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『おいしいコーヒーの真実』、<知らないこともまた同罪である>。

2009年06月17日 01:37

Q
トールサイズのコーヒー、330円。
あなたが支払ったお金は何処へ行くのでしょう?

そんな問いかけに惹かれて見てみた映画。

『おいしいコーヒーの真実』
公式ウェブサイトは→ 『おいしいコーヒーの真実』公式サイト

以前、知人が出店していたアフリカン・フェスティバルに行ってきたときにも、またバオバブのドキュメンタリーを観たときにも思ったことだが、
 ・<知ること>の重み
 ・<知らないこと>の無力
について、とりわけ全ての情報が瞬時に手の届くところにあるように見えてしまう世界故の・・・何と言っていいのだろう、欺瞞?矛盾?嘘? うまく言葉にできない・・・恐怖感と言うか、そのシステムの中に組み込まれている自分自身とその知識への憤りのようなものを感じる。

あまり関係のないことだが、ユビキタスユビキタスといい、世界の情報があなたの手の中に、などと言っている世界と同時進行で、手の中にその日の食料も持てずに死んでいく子供もいるという事実。
例えばネット文化のなかでは、<知られていないことは存在していないことと同じ>という文脈があるようだが、<知らないこともまた同罪である>という文脈もまた、現実の世界にはしかるべく存在する。

映画の中では、幾分象徴的な意味合いでスターバックス・コーヒーが取り上げられている。なんと言ってもスターバックスは、世界でも最も成功を収めたチェーンストアのリーディング・カンパニーだ。今ではマクドナルドと並んで、アメリカ的グローバリズムの表象的存在である。最もピークでは、1日に4店舗のスターバックスが、世界中でオープンしていたこともあるくらいだ。

もちろん僕もスターバックスに行くこともある。日本はスターバックスのお膝元と言ってもいいほどの状況である。世界でオープンで最も売れたスターバックスは、長野県の1号店だ(恐ろしいことに出店誘致の署名活動まであった)。アジアで最初に出店したのが銀座の松屋通り店で、世界で最も日販の高いスターバックスは、渋谷のQ-FRONT店。サザビーリーグとインターナショナルの合弁事業であるスターバックス コーヒー ジャパン株式会社は、確か今でも年50店舗以上の出店を義務付けられていて(なんと筑波大学の図書館にまで・・・学生はスタバのコーヒー飲むくらいなら白波でも飲め)、現在およそ850店舗。うろ覚えですが。昔取ったなんとやら、です。

映画では、スターバックスの1号店で誇りを持って働く店長の姿とその裏で深刻な飢餓に苦しむコーヒー産地の現状(=惨状)がモンタージュされる。初めの問いに答えれば、330円のうち、生産者に行くお金はそのうちの1?3%、3?9円に過ぎない。ではそれ以外の99%のお金はどこへ消えたのか?『おいしいコーヒーの真実』はそこを追求する映画だ。いや、追及するというよりは<提示する>と言ったほうが良いかもしれない。結局はその情報を処理するのは見る側の問題であるのだから。

ただ、ニューヨークの先物取引市場の喧騒にせよ、iphoneに株価グラフがデフォルトで入っていることにせよ、古館がしたり顔でニュースの最後にニューヨーク市場の為替の状況を述べるにせよ、そこに違和感を持てなくなったらおしまいだと思っている。すでにそのようなマネー至上主義、単一市場至上主義、あらゆる分野のメジャーによる独占至上主義の世界は、もうすでに終わりを告げているはずだ。
世界はある意味均されているし、その分だけよりいびつで、より点と点のドット絵のようになった。世界はピラミッドの頂点が動かすのではなくその裾野に位置する人々が、より自由にその進路を広げていく世界になった。

音楽も、芸術も、それに同じ。そう信じたい。


追記

ちなみに今日、以前も紹介した株式会社バラカザンジバル・MIXスパイスを使って、本格的なスープカレーを作ってみた。かなり美味。
このスパイスはタンザニアの農家とのフェアトレードを適応させている。とはいっても、フェアトレードは商売としてはまだ大変な困難がある。もともと原価の安いことが途上国を生産基地とする魅力でもあるからである。
しかし、上でも述べたように、ピラミッドの頂点が王権のように搾取するのではなく、あらゆる人間がwin-winの関係を築かなければならない。少なくとも世界はそうしないときしみ続ける一方だ。win-winが痛み分けでなくなる世界が、理想だが、現実はそうもいかない。


[image/air_ : 細越一平]

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 プロジェクトJAPANを見ながら、「第3回アフリカンフェスティバルよこはま」に行ってきた。




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プロジェクトJAPANを見ながら、「第3回アフリカンフェスティバルよこはま」に行ってきた。

2009年04月04日 21:42

i phoneのアドレス帳の移行に格闘しながら、NHKを見ている。

プロジェクトJAPANと銘打った、3年がかりのシリーズだという。
プロローグは「戦争と平和の150年」。


昼間は、知人が参加している「第3回アフリカンフェスティバルよこはま」に行ってきた。


それに感化されたということではないが、<知ること>の重みを、感じる。

逆にいえば、知らないということがいかに無力であることか。



フェアトレードについてもそう。

誰かが儲かり、誰かが貧困にあえぐ、その仕組みがよしという時代ではないのだ。

「対岸の火事」で済む世界ではないのだ。


そして世界は知りすぎている。

世界中の情報は均されている。

求められるのは、今必要な情報は何かを嗅ぎ分ける力であり、それを補助するツールでしかない。
価値がある情報を見つけるのではなく、必要な情報にどうやってアクセスし、それを活用できるかが重要なのだ。


最近、アフリカの野生動物の密猟を防ぐ手段として、携帯電話が有効というテレビを見た。

携帯電話によって情報が回ることによって貧困が減り、結果として密猟に頼る必要がなくなったのだという。




それでもテクノロジーを活用するのは(今のところ)人間だ。

想像力だ。


僕の手は、なにができるだろう。


言葉か? 行動か? 

それを模索する時間が続く。



[image/air_ : 細越一平]



ちなみに、今回アフリカ祭りを教えてくれた友人の職場はこちら

株式会社 バラカ

「ザンジバル・ミックス・スパイス」、なかなかに使えます。

アフリカ祭りは、赤レンガ倉庫にて明日まで。

たのしかったっす。



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