無料アクセス解析
  1. 無料アクセス解析

スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

吉松隆「鳥シリーズ」を聴く。今だから響く音楽の可能性。

2010年05月26日 01:33

ちょっとしたきっかけがあり、吉松隆氏の初期の室内楽作品を聴き返している。
所謂「鳥シリーズ」の内から数曲。
・デジタルバ?ド組曲  Digital Bird Suite 1982
・鳥の形をした4つの小品 4 Pieces in Bird shape 1983 
・ランダムバ?ド変奏曲 Random Bird Variations  1985
・ファジイバード・ソナタ Fuzzy Bird Sonata 1991 あたり。

10代の終りから20代のはじめによく聴いていたのだからほぼ10年、ということになる。
当時は文字通り浴びるほど聴いた。LPだったら確実に磨り減っていたと思う。
CDは当時僕の住んでいた山形では入手できず(カメラータ・トウキョウは取り寄せられなかった!)、はるばる仙山線に乗り大都会・仙台の新星堂とかで購入したと思う。そう考えれば今はなんと良い時代だろう。

改めて聴き返すと、全く印象が異なっていることに驚く。
もちろん録音なので対象は同じ、ということは聴き手である自分が変わったということだろう。
そういうことがあるから、音楽は面白い。

10代の頃に聴こえた自意識やセンチメンタリズムは影を潜め、焦りや孤独、諦観といった感情に、したたかさや揺るがない強さ、そして道化とも取れるような楽観/客観の思想が盛り込まれている。


1953年に生まれた作曲家は、29歳で「鳥シリーズ」を書き始めた(その前年に『朱鷺に寄せる哀歌』を書いている)。
つまりは今の自分とほぼ同じ年齢で書かれたのがこれらの作品ということだ。

『朱鷺に寄せる哀歌』で、失われゆく調性や音楽そのものの美しさを絶滅した鳥に重ね合わせ、彼らのいない空を眺めながらそれらがいつか復活する日を祈った吉松青年が覚悟とともに記した音楽は、もしかしたら今の空気こそを震わせるものなのかもしれない。


 なにしろ音楽というものがあまりにも素晴らしいので、せっかく生きているのだからせめて美しい音楽のひとつも書いてからのたれ死ぬのも悪くない、とそう思って作曲を始めた。

 大学は途中でやめ、今から思うと背筋の寒くなるような不毛な生活をしばらく送るはめになった。なにしろ独学だから当然といえば当然なのだが、書いても書いても呆れるほどどの曲ひとつとして音にならない日々が七年間ほど続いた。
  窓の外で四季がゆったりと回転しているのがわかった。初めは絶望し、深海の底から星を見ているような気分が続き、後にはその見事さに深夜一人で笑い転げた。

 そんな生活を送っていると、逆に、演奏されないような音楽を書いていても殺されもせずにとにかく生きていられるということが、それはもう感動的に思えてきた。
  そしてある朝、神が言い給うた。
 - 幸いなるかな、演奏されない音楽の作曲者よ。音楽は汝のものなり -
 後光が眩しかった。
                                                               (「魚座の音楽論」より)

この文章を読むと、何故「鳥シリーズ」の作品群が、刹那的とも言えるほどに訴えかけてくるのかが理解できる。
まさしくこの音楽は、吉松青年が刻印した「生」の証でもあるのだ。



上述した「鳥シリーズ」の内、「ファジイバード・ソナタ」以外の3曲はこちらの作品集で聴くことができる。
2枚組で、上記室内楽曲の代表曲に加え、オーケストラ作品で『朱鷺に寄せる哀歌』、『チカプ』、『鳥たちの時代』、そして『交響曲第2番 地球にて』が収録。

[image/air_ : 細越一平]
 音楽ノート1
 白い風景 吉松隆
 朱鷺(トキ)に関するニュースを2つ、吉松隆、「朱鷺に寄せる哀歌」。
スポンサーサイト

As time goes by.

2010年03月12日 01:55

流れゆく時間を(未来にも過去にも)追いかけ、
ねじ伏せてでも掴まえるのが音楽と思っていたけれど(しがみつく、と言うのが適当かもしれない)、

流れのままの時間の後ろ姿や残照を、ありのままに辿っていく。
そんな音楽もあっていいのだと、ふと想った。


最近の動向。

2009年11月11日 01:20

先週はひさしぶりに音楽に浸った1週間。
干からびかけた壺も潤いました。

備忘録として。記事は後日に回します。

1日 
ミュージック&リズムス トーキョーキッズ
 スタッフとして参加。     
 突然の突風でテントが全て剥がされるというアクシデントもありましたが、子どもは風の子、それすら楽しそうでした。一時は大事をとって中止した各参加団体の皆さんが、自然発生的に演奏して行って、そこに人だかりができる様がとても感動的でした。

3日
東京都交響楽団 プロムナードコンサート
 コープランド『アパラチアの春』、ラフマニノフ、モーツァルト。
 ほぼ満席の状態のコンサートホールを久しぶりに見ました。
 そういった意味ではとてもよかった。

テッセラの秋音楽祭 高橋悠治の耳
 本当に久しぶりに、生の高橋悠治さんを目の当たりにして感激。
 席は完全に満席。
 客席も熱気に包まれる中、高橋さんのピアノは、今この瞬間という「生」を再認識させてくれるものでした。

5日
マルク・ミンコフスキ指揮 ルーブル宮音楽隊
 ラモー、モーツァルト。
 高橋さんのコンサートの感激の余韻を若干引きずりながらオペラシティへ。
 このコンサートも本当に素晴らしかった!!
 博物館的な音楽からはほど遠い、今の時代の音楽を聴くことができました。
 コンサートで純粋にこんなに楽しく、幸せな気持ちになったのは久しぶり。
 6日のハイドン・プログラムはテレビ収録もされていたようですよ?。


そんな感じでインプットにアウトプットが追い付いていない今日この頃。
14日にはトーキョーワンダーサイトで再びの高橋悠治さん、聴いてきます!


[image/air_ : 細越一平]

(追記)久々にアクセス解析みてみたら、10日のアクセス数が久々に3桁。
 何ぞと思ったら、ああ、茂木さん追徴課税の影響か・・・
 

ネットラジオにて、コンセルトヘボウのシベリウスを聴く。

2009年10月26日 22:43

最近はネットラジオを良く聴く。
時差がちょっと気になったりするが(実はそこに大きな問題が孕んでいるがここでは割愛)、極東の片隅にいながらにして世界中の音楽家やオーケストラの演奏を聴くことができるのだから(しかも無料で!)、それは素晴らしいことだ。音質も、10年前と比べたら段違いだし、正直生演奏でなければ僕はそこには全くこだわらないので問題ない。

今はちょうど、マリス・ヤンソンス指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウの演奏するシベリウスの第1番を聴いている。(Musiq3, MP3)

シベリウスは、個人的に言うと、1番好きな作曲家だと言いきれるかもしれないくらい好きだ。
演奏(録音)も良く聴く方だと思う。ベルグルンドの新旧録音がずっとスタンダードだったけれど、ヘルシンキ・フィルの初来日コンサートのオッコ・カムの3番、6番の素晴らしさに最近心を揺さぶられた。
といってもはじまりは、中学生の時に聴いたバーンスタイン=ニューヨーク・フィルの、確かBSの中継した2番だったと思う。第1楽章も終盤、抑圧から一気に解放へと向かうその頂点で、バーンスタインが異様な輝きを放ち、チェロのトップが左手を楽器から弾き飛ばしたときは度肝を抜かれた。クラシックってかっこいいぞと思ったのはそれが初めてだ。もちろん高校の時に聴いた山形交響楽団と村川千秋さんの演奏も心に残っている。村川さんは、「山形の風土、冬の感覚は、まさしくシベリウスを理解するのにふさわしい」と言い猛然とシベリウス・ツィクルスを始めたが、事務方は「4番以降だれが集客するんだ」と喧々諤々だった。僕はそのツィクルスが終わるのを待たず関東の大学に進学して、それきり忘れてしまった。無事にツィクルスは完成したのだろうか。

話がそれてしまった、シベリウスの音楽は様々なことを喚起させる音楽だ。

さて、コンセルトヘボウのシベリウス、冒頭から、これまでに聴いたことのような様々な「なにものか」が聴こえる、凄演である(今ちょうど第4楽章が始まった)。シベリウスから、一面的ではないが確実にロマン的な音楽が聴こえる。もちろんそれは単に前時代的なものではなく、感傷的ではなく、実に機能的で現代的なロマンの表現(矛盾しているだろうか?)なのだが、はたしてコンセルトヘボウのそれは、ウィーン、ベルリンと音楽を学び、思ったような成果を得られず、それ以上に放蕩を覚え、それでいてその自省的な音楽の才能を抑えることができなかったひとりの青年の心情の吐露とも言える情熱と青臭さを湛えている。

決してシベリウスのそれまでは、順風満帆ではなかった(もちろん「国民的作曲家」と言われるようになってからもそうではなかったが)。何処となく寄る辺のない様、何処へ叫んでいるのか、しかし闇から出て闇へ帰るその音楽は、少なくとも始まりの闇とは違う色の闇へと消える。

最後のピチカートが今終わった。少し唐突で、乱暴にも思える終わり方は、それでいて説得力のある終わり方であったとも言える。


[image/air_ : 細越一平]


ネットラジオについては、以下のサイトで詳細な番組表を更新されている。
おかか since 1968 Ver.2.0
いつもありがとうございます!

コンサートのススメ

2009年10月20日 22:58

久しぶりのエントリです。
ご無沙汰しております?意外と元気にしております。

さて、皆さんおまちかねの!!! 渡瀬英彦さんのコンサート情報です。


キャンドルナイトライブ(国境なき楽団主催)

10月28日(水曜日) 19時?
ワンドリンク付き 1000円 
『Com.Cafe 音倉』(下北沢駅北口徒歩2分、大丸ピーコック裏、NTTdocomoの地下)

出演 
 渡瀬英彦(フルート) 
 玉村三幸(フルート)
 橋爪恵一(クラリネット)
 松里俊明(ファゴット)
 さのさとし(トロンボーン)
 宮澤 等(チェロ)
 
 庄野真代(ボーカル)

歌手の庄野真代さん主催の電気を使わないエコライブです。
曲目はクラシック中心とのこと。庄野真代さんも参加されるそうです。

という当初の予定でしたが(最初はフルート2本とチェロの予定だったらしい)、蓋を開けてみれば豪華メンバーの揃った感じです。色んなジャンルの楽しいひとときになりそうですね!
 



ケミカルリアクショナルセッション

11月4日(水曜日) 19時?  
Colored Jam』 (下北沢 LIVE & BAR)
チャージ3000円

出演 
 足立"YOU"裕二 ? from DEAD END (guitar)
 TOSHI NAGA I ? from GLAY(drums)
 渡瀬 英彦 ? from TRIO THE TRIP(flutes)
 鹿間 朋之 ? from EDo=REPORT(bass)
 白井 告人 (piano)

「かなりロッキーな感じのライブになると思います。私的には未知な る分野と言えますが、GLAYでdrumsをやっているNAGAIさんなどと共演できるのは、すごく楽しみです。」とのことです。エフェクターも揃えて、研究に余念がない様子です!


なんだかかなり下北沢づいてますね?秋の夜長に音楽を。。。


[image/air_ : 細越一平]

チケットなど詳細知りたい方は僕まで連絡ください。
わかる範囲でお答えします!

子どもと音楽。ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 2009。

2009年10月05日 23:55

ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 2009
←参加中。
ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 2009 に参加。


先週の土曜日にも、高尾の森わくわくビレッジに行ってきた。


子どもは自由奔放で、それでいて常にこちらを試してくる。
子どもは本当の音楽を知っている。本当の音楽のおおよそは、子どもの中に備わっている。
だから子どもは素直で、時に凶暴だ。


車椅子の子どもがいて、プログラムが始まったばかり、まだ何も話していない時にふっとこっちを向いて、
「雨、やんだね。音が聴こえなくなったよ」と言う。

彼女はまっすぐ立っている他のどの子どもよりも、むしろ大人の誰よりも、遠くを見ていた。


楽器を作ったら、子どもたちが何人かいて、一緒に叩こうという。
即席でアンサンブルをする。といっても、作った楽器そっちのけで椅子を叩いたりもする。楽譜なんてもちろんない。もちろんぼくに段取りなどあるわけもない。

大切なのは、相手がどうしたいのかを全身で感じ取ること。
いつの間にか子どもたちがわらわらと集まっていて、楽しそうに竹の笛を吹いたり、竹べらを叩いたりしている。そんなことに幸せを感じる。


音楽は誰のものでもない、君たちのものだ、そんな風に思えた。



この日は子ども20人ちょっとに、プロの音楽家の方が8名。
ほんと贅沢なイベントです。


[image/air_ : 細越一平]

 ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 2009 に参加。



ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 2009 に参加。

2009年09月28日 01:10

ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 2009
以下公式ウェブサイトより。

豊かな自然の中で、水の音、風の響き、森のざわめき等に触れつつ、音楽の生まれる現場を体感してもらい、自分たちの手で、石や竹を使って楽器を作り、 音楽を生み出していくことを学ぶワークショップです。
日本の音のすばらしさを肌で感じ取り、石や竹、木などの大切な命を音楽へと作り上げていく楽しさを体験してもらいます。ワークショップの積み重ねとみんなの力を結集することで、手づくりのオーケストラを自らの手で作り上げ、全員参加による演奏会を実現します。
竹や木を使った日本ならではの楽器のほか、プロの演奏家たちの様々な音楽も加わり、地球音楽・ワールドミュージックの祭典を創造します。




という訳でこちらのイベントにスタッフとして参加することにしました。

昨日はワークショップ初参加(イベントとしてはステップ1」の2日目)。高尾の森わくわくビレッジに行ってきました。
何故今回参加するか、そして初日の感想などはまた後日。とりあえずは、子どもとふれあい、とても楽しかったです!


[image/air_ : 細越一平]



全力で音楽を表現し尽くそうとする、アバド指揮、ルツェルン祝祭管弦楽団の『復活』。

2009年08月19日 01:15

ルツェルン祝祭管弦楽団は、クラウディオ・アバドが再編成した、スイスの湖のほとりで行われる音楽祭のためのレジデンス・オーケストラだ。
大病を患い、手術を療養から復帰したアバドのもとで音楽をするために、オフシーズンに集まったメンバーは錚々たるもの。
22日には再びライブ中継がARTE Live Webにてあります(下にリンク貼りました)。

このオーケストラだけは、映像つきで聴くことをお勧めする。
とはいっても、大家の顔を拝むためではない(ミーハーな人はそれだけでも楽しめますが)。



アバド=新生ルツェルンの「伝説」は、2003年、マーラーの交響曲第2番『復活』から始まる。
(そしてドビュッシーの『海』も、凄まじい)



ぼくは昨年の8月に飲食業から離れ、音楽に関して自分が何をすべきなのかを模索していた。
もちろん今も模索しているのだが(!)、当時のぼくは模索は模索でも暗中模索、五里霧中かつ無味無臭、自分の座標軸すらも分からず、日々の生活もままならず、決めたはずの心は揺らぎ、後悔なのか絶望なのかわからない地点にいた。

そんなとき、衝撃の映像に出会う。
教育テレビでは、「いつものように」N響アワーをやっていた(ような気がする)。
印象にない、それくらい「あたりまえな感じの」演奏だった(気がする)。
ぼくはかなり気が滅入っていた。音楽をもっと開かれた場所に、そう思いながら、現実に奏でられる音楽は「いつものように」「あたりまえな」ように、日常的な音楽でしかない。心が揺れない。

そしてそれに続いて、パリ・ギャルド吹奏楽団(正式名称は忘れた)の「仕事」演奏。フランスの軍楽隊は、何かの除幕式のような無表情で機能的な音楽をしていた。そしてそれも過ぎた。

さらにそれに続いて、東京佼成ウインド。モーツァルトの室内楽作品。そのあとのプログラムで使うのだろう椅子や譜面台が置かれたままの、ジャングルのようなステージ上で、モーツァルトのような音が聴こえる。恐らくはリハーサルも時間が取れなかったのだろう、その音は後味の悪さだけを残していく。

ぼくにはそれで決定的だった。一体音楽はどこに行ってしまったのだろう? 適度に消費された音楽だけが、その3時間を支配していた。

こんな音楽のために、自分の人生を賭けようと思った訳ではなかったのに。


そんな時に、友人の家で、『復活』を聴いた。
涙が出そうだった。友人がその場にいなければ、確実に泣いていた。

そこで繰り広げられる音楽には、全てが詰まっている。もちろん演奏は名手の集まるオーケストラ、折り紙つき。しかし、聴く者の心を突き動かすのはその「機能性」ではない。その「本気さ」であり、「情熱」である。
「原光」のアンナ・ラーションの感動的なソロに続いて、5楽章、オーケストラはいよいよドライブしていくなかで、パユが、アルブレヒト・マイヤーが、そしてザビーネ・マイヤーすらもが、管を突き出して、音楽を表現しようとしている。ホルンはベルを上げ、弦楽器はうねり、咆哮し、身もだえしている。

まるでアマチュアのようだ。
アバドのもと、全員が(それも世界的な名手が髪を振り乱しなりふり構わず)、全力で音楽を表現し尽くそうとしている。
初めてその映像を見た何年か前には痩せ細ってまるで別人のようになったアバドの姿も、今ではこの演奏のために自らの人生を動かしたのではないかとおもえるほどだ。
演奏後の客席の興奮状態にも頷ける。涙を流すもの、呆然としているもの、そして割れんばかりの拍手…。

ニューヨーク・タイムズにはこのような評が掲載された。

『それは稀にみる友情の結合であった。全員が音楽を創ることに喜びや楽しさを感じ、熱意と情熱を傾けて演奏するために参加していた。彼らは音楽のためならばどんな狂気じみたことでもやってのける覚悟で臨んでいたのだろうか。炎を踏み越えて歩み、飛翔するほどに』


音楽は、まだ何かを訴える力を、十分に持っている。
そう確信させてくれた、ぼくにとって思い出の音楽。


youtubeでも演奏を聴くことはできるが、できればこの演奏はDVDなどのパッケージがお勧め。
といってもamazonでは手に入らない様子です。ごめんなさい。


[image/air_ : 細越一平]

 8月22日のARTE Live Webはこちらから。
  →Lucerne Festival 2009 : Claudio Abbado dirige Mahler

 「現代オーケストラの到達点」、アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団を聴く(ARTE Live Web)。
 アート関係者にとって、TwitterもしくはFacebookは有効なツールと成りえるか?


最新記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。