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創造の過程に グレン・グールドの音楽8

2009年02月07日 00:02

 事実、グールドはバッハの鍵盤作品の大半を録音しているし(原理がオルガンの音響と密に結びついている作品は除外される)、シェーンベルクに至っては5つのピアノ独奏作品全てのみならず、『ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 作品47』、『ナポレオン・ボナパルトに寄せる頌歌 作品41』、『月に憑かれたピエロ 作品21』の抜粋、果ては歌曲集まで録音し、1974年にはシェーンベルク生誕100周年を記念した「シェーンベルク・シリーズ」なるラジオ番組まで制作している。
 テレビやラジオ放送の目的を除いて、録音目的でスタジオで他の楽器と共演したものは、ヒンデミットの金管楽器のためのソナタ集と歌曲集『マリアの生涯』、そしてバッハのものしかないことからも、シェーンベルクに対する深い共感が見てとれよう****。


 「シェーンベルクはピアノに逆らう作品は書いていない」(GGR)とグールドは述べている。
 けれどもそれは、グールドが価値を置かなかった初期ロマン派の作曲家にもたらされたような、<ピアニスティック>な意味合いではない。
 同様に、バルトークやストラヴィンスキーといった作曲家が用いたようなピアノの打楽器的な使用とも意を異にしている。
 シェーンベルクはピアノに媚びなかった。それどころか「アルノルト・シェーンベルクにとって、ピアノは都合の良い楽器であった」(GGR)。
 ピアノが彼に忠実に仕えたのだ(それはグールドとピアノの関係とも似ている)。

 「シェーンベルクはその労に報いて」、作品11・19・23・25・33a&bといった「現代ピアノ音楽の偉大な作品」である5つのピアノ作品を残した(GGR)。
 その録音にあたり、グールドは足早にではあるが、作品に用いられた音列や動機の、詳細な解析を寄せている。
 グールドに聴くシェーンベルクは、理性によって統制された、非常に見晴らしの良いものでありながら、暗闇の中で光る鋭利な刃物のようなアトモスフィアを失わない。
 微妙な音色変化は音楽に絶えず緊張感を与え、驚くほどの効果をもたらしている(とりわけ作品11の第1曲、ピアノからのディミュニエンドを受けるGes-F-Hのコードは、聴いているものからの現実感覚を奪い取ってしまう)。
 独奏以外の作品に対してはこの我の強いピアニストにしては珍しく抑制を利かせた演奏だが、曲の持つ対位法的な構造を活かして共演者との対話を重視している。
 グールドがバッハの演奏に際して発言した次の言葉は、そのままシェーンベルクのそれにも当てはまるようにも感じられる。


 私は、このうえなくコントロールされた響きの枠の中で、できるだけ豊かな表情を生み出すことを目指して、軽快で音の線のくっきりした触覚的感覚や演奏法を育んできたのです*****。



 グールドはモーツァルトとベートーヴェンのピアノソナタ(ベートーヴェンは協奏曲についても)全集録音を残したが、彼自身がその全てに共感を持って演奏したものではない。
 それに比べて、シェーンベルクに対しては深い共感と尊敬の念を持って取り組んだことが、思惟に富んだ演奏に聴くことができる。
 加えて、彼の、著述・講演活動においてもグールドは多面的に、様々な切り口からこの「近代音楽史上最も複雑で、御しがたく、矛盾に満ちた人物」(GGR)にアプローチを行っている。
 それはピアノ作品に留まらず、コンチェルトやオーケストラ作品、そして彼の伝記から作風そのものに至るまで、対象は幅広い******。

 アドルノのいうところ、「最後まで作曲され尽くされ」(アドルノ「アルノルト・シェーンベルク 1874年―1951年」『プリズマン』所収)、「分節されていると同時に揺れ動き、最後の一音に至るまで組織されている」(アドルノ)というシェーンベルクの音楽の特色は、そのままグールドの志向に答えるものであったといえよう。

 グールドはこう予言する――「われわれはいつの日か、かれがこの世にあった最も偉大な作曲家の1人であったことを悟るでしょう」(GGR)。



****付記するならば、グールドは1952年の10月4日にトロントのコンセルヴァトワールで行ったコンサートで初めてシェーンベルクを取り上げるが(『ナポレオン・ボナパルトに寄せる頌歌』の抜粋と作品11、25)そのうちのいくつかでカナダ初演者になった。
*****モンサンジョン。グールドがバッハの<クールな>演奏家であるという評価をどのように思うか問われた際に、いくらかの反駁を持ちつつ答えたもの。
******グールドは、「アルノルト・シェーンベルクのピアノ作品」、「モーツァルトのピアノ協奏曲、シェーンベルクのピアノ協奏曲」、「アルノルト・シェーンベルクの第二室内交響曲」というタイトルの文章を録音に対して、また「たか、はと、フランツ・ヨーゼフという名のうさぎ」をシュトゥッケンシュミットによるシェーンベルクの伝記の書評として残している。また、シンシナティ大学では、1964年に、「アルノルト・シェーンベルク――ある見方」という講演を行っているが、その中の無調音楽とバック・グラウンド・ミュージックについて、興味深い考察を語っている。


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「演奏の哲学」第1章、補足。

2009年01月20日 23:30

第1章において、20世紀前半から中期における「演奏」の概念の歴史と変遷について辿ってきたつもりである。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


①ロマン主義的(前世紀からの拡大的進歩史観にのっとった)ヴィルトゥオロジー

②新即物主義(新古典主義を経たのちの)

③古楽(新即物主義とは袂を分かつ、新しい意味合いでの)の理念


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


もちろんいささか極端に過ぎるきらいは承知の上であるが、
おおまかに分けて本論では何人かの代表的な音楽家に登場してもらった。

①フルトヴェングラー、ストコフスキー、
②ワンダ・ランドフスカ、
③アーノンクール、

等である。

もちろんこのほかにも挙げておきたい音楽家がたくさんいる。


ただ、何より音楽は論より証拠、ではないが、
それこそ鳴り響いてみないと分からない。


最近、ある意味恐ろしいウェブサイトを見つけた。


パブリック・ドメイン・アーカイブ
pda


このサイトでは、パブリック・ドメイン、いわゆる「著作権切れ」と言われる、著作権保護期間の終了した対象に関して、ネット上でデータを公開している(著作権法の違いにより、日本国内に限る)。

パブリック・ドメインに関しては、ウィキペディアなどを参照にされたい。

この「パブリック・ドメイン・アーカイブ」に関しては、著作物としてのパブリック・ドメイン(つまり楽譜)のみならず、演奏に関してのデータを公開しているという点で、個人的には版権等の問題があるのではないかと考えているが、今回、当論文の補足として、と言う留保つきで紹介することにしようと思う。

例えば、バッハの「ゴルトベルグ変奏曲」では、1章で取り上げたワンダ・ランドフスカの記念碑的演奏と、2章以降扱って行くグレン・グールドの最初の録音(これに関しては確実に問題があると思う)のデータが(全曲分)公開されていたり、
またフルトヴェングラーのベートーヴェン、メンゲルベルクの畏怖すべきマタイ(これも全曲!!一聴の価値あり)、カザルスのバッハ(独奏、プラド音楽祭どちらも)、フリッツ・ライナーのバルトーク、トスカニーニのローマ三部作、アンセルメのシエラザード等々、・・・
資料用・補足用、と言う割にかなり興奮するデータが・・・(すみません)


①、②の演奏に触れる、と言う意味では、これ以上ない資料であると言える。



念のため追記。



あくまで収集用のデータベースとして活用しています。
この中で素晴らしい作品・演奏があったなら、ぜひCDなどで購入してください。
また、ここにある音楽が、作品のすべてではありません。
加えて言えば、実演に勝る録音はないと思います。

ぜひ実際のコンサートに足を運び、音楽を全身で能動的に感じられるよう。


追記②。

このサイトでは、クラシック音楽のデータの他に、有名な演説も公開されている。
ケネディやヒトラーの有名な演説や、昭和天皇の玉音放送など、それもまた興味深い。


演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流8

2009年01月12日 01:00


 古楽を演奏する場合、演奏伝統は自筆譜と同様に、形成されゆく一つの構成因子となる。そしてどんな音楽も、何十年、何世紀の間に幾度も演奏され、やがて最終的な性格を含有する一つのフォルムを得る。このようにして成立したあらゆる演奏解釈は、お互いに影響しあい、一つの「正統的」なフォルムに集約され、今日ではもう避けて通ることができないものになっているのである(アーノンクールMD)。



 その文脈の中で、ベートーヴェンの音楽の伝統的解釈は正しい、とアーノンクールは述べる。
 何故ならば、ベートーヴェンの音楽は、他の歴史的な作品と比べてもほとんど例外的に初演以来絶えず演奏されてきたので、「その演奏の伝統は直接作曲家に遡ることができる」(アーノンクールMD)からである。
 
 もちろん伝統にのっとってベートーヴェンを演奏する際にも議論する点はある。
 例えば、アーノンクールは『交響曲第3番』を演奏するにあたり、ヨーロッパ室内楽団との録音で、モダン(現代)楽器のオーケストラで唯一、トランペットのみ無弁のナチュラル・トランペットを用いている。
 それは、「トランペットは単なる楽器ではなく、ある種のシンボルです――そして全てのファンファーレのモティーフで、そういった種類の響きが求められるのです」(”Beethoven’s music is language at every moment – A conversation between Nikolaus Harnoncourt and Harmut Krones”(アーノンクール指揮『ベートーヴェン交響曲全集』ブックレットより。和訳は筆者)といった理由からである。
 ベートーヴェンのトランペットの用い方については、何箇所か問題を孕んでいる。ベートーヴェン自身がトランペットのフレーズの中で、数か所不自然な形で音を抜いているところがあるのである。
 齋藤は『交響曲第9番』の終楽章についてこう語っている。
「第4楽章の出だしのところ。あの頃使っていたトランペットは出る音と出ない音があるんですね。ところがベートーヴェンはどうしたってその時トランペットの音が欲しいから(略)出る音だけ書いてあるんですよ。出ない音は書かないでいるわけです。ところが今は吹けるから全部吹くんですよ」(齋藤)。
 これがおおかた一般的になっていた解釈であった。3番にも音の欠落したフレーズがトランペットにあらわれ、現在ではフレーズ全てを吹くのが通例となっていた。
 しかしアーノンクールは、実際には当時のトランペットもフレーズの全ての音を出すことができたという歴史考証のもとに、それが英雄が失墜した様をあらわす、音楽の重要な声明であるとして、敢えて手を加えることはしなかった。
 9番の終楽章でも同様に楽譜への〈retouching〉は行っていない。ここにも、単に演奏の伝統を鵜呑みにしない姿勢が表れている。
 

 ただし、古典派以前の作品、とりわけバッハの作品への演奏解釈はベートーヴェンの様にはいかない。
 例えば先述した『マタイ受難曲』について考えてみれば、それはメンデルスゾーンの歴史的蘇演に演奏伝統の基盤を置いているのである。
 他の受難曲やオラトリオについても同様で、「(再びバッハが演奏されるようになった19世紀前半の)人々はバッハの音楽をバッハが演奏したように扱おうとは微塵も考えていなかった」(括弧内筆者)(アーノンクールMD)。
 バッハ演奏において現在の我々が拠っているのはそういった19世紀初期からの演奏伝統で、それが18世紀のライプツィヒのカントールへ直接繋がりようもないことは先に述べた点からも明らかであろう。
 ブゾーニやストコフスキー、レーガーらロマン主義の文脈にのっとったバッハ作品の編曲による受容を、アーノンクールは時代遅れのものとして却下する。
 立ち返るべきは「原典として作品そのものを受入れ、それを自らの責任において表現」(アーノンクールMD)する姿勢である。
 

 もうひとつ、古楽の特色について加えるならば、そこで用いられる楽器であろう。
 当初、古楽の存在理由はオリジナル楽器**にあるとされた。いうなれば、前提となるオリジナル楽器の使用とその音響によって、古楽はその時代性と真正性を付与されると考えられてきたのである。 
 けれども、音響の復元に重きを置く向きに対しては多くの批評がなされ、アーノンクールもそういった考えには同様に批判的なスタンスを取っている。
 実際彼自身、初期の古楽演奏に関して、「概して古楽においては根本的に下手な演奏がなされました。ぎこちなく味気ないのです」(アーノンクールMD)と回想している。
 それは、アドルノらが感じたことと同様であったが、事実1920~30年代の古楽(演奏家)はそういった閉鎖性と世界観***を持っていた。

 また、当時使用されたオリジナル楽器の理に適わない奏法と、余りにも貧相な音しかしないレプリカもまた、音響に対する誤った見方を助長することになった。
 1960年以降は、アーノンクールの強い影響力も伴って、古楽の歴史的思考はその音響的追求よりも、フレーズやアーティキレーション、和声の構造の研究や楽器に見合った奏法の獲得といった演奏習慣、ひいては語法の獲得に向かって行った****。
 そして現在では、アーノンクールが繰り返し説くところの、1800年以前の<言語としての音楽>を具現化するスタイルの探求が求められている。


 ここまで、作曲家―演奏者―聴衆という音楽の構図と、それがもたらす諸問題について俯瞰してきた。それは、歴史と闘ってきた演奏家の歴史でもあった。次章では、そこから軽やかに飛翔したひとりの演奏家について考えていく。


**「オリジナル楽器」=作曲当時に用いられていた楽器のことを指し、「ピリオド楽器」ともいう。この反対が「モダン楽器」、つまりは現在用いられている楽器である。けれども先述したように、現代で用いられている楽器のほとんどは19世紀後半には現在の形をとったものであり、そこにひとつの問題が生じているということは自明である。同様に、オリジナル楽器についても、それらは余りにも長く忘れられてきたため、形状はわかっていても奏法や音色についての土壌が失われている場合が多い。つまり、古楽器の形状や特色については例えばミヒャエル・プレトリウスの『楽器大全』のような書物で知ることができるが、それをどう吹けばどのような音が出るのかということで未だ謎に包まれている楽器があるということである。武久はこの点で、シャルマイという楽器の奏法について「問題はそれを扱う演奏者の中にどういう音のイメージがあるかであって、吹く人が現代人ならば結局は現代のイメージでやることになる」と述べている。

***アーノンクールはそれが「第1次世界大戦後の時代のユーゲント運動の目標」と関係していると述べ、その〈創成期〉の在り方がその後数十年に渡って、職業音楽家や職業批評家、そして聴衆の考え方に刻印を残しているとしている(アーノンクールMK)

****古楽の音響についての真正性、すなわちオーセンティティの問題は、その聴取の在り方も含めて現在では疑問がもたれている。それについては津上智美「2000年から見る古楽運動と真正性論争」に詳しい。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流7

2009年01月11日 07:20

 古楽は、それまでのスタンスに対する(限定的な留保を伴いながらの)”Nein”という事ができる。
 それは、常に古楽への偏見や攻撃に晒されてきたアーノンクールの音楽的道のりと信念から導き出され、同時に論争好きな彼の性格から形作られてきた問題提起である。


 アーノンクールによると、先の世紀は「今日ほど過去の芸術的遺産を意識的により強い責任感を持って獲得しようとした時代は存在しなかった」(アーノンクール『音楽とは対話である』以下MD)という。
 現代のプログラミングのような同時代作品と過去の作品との割合は、過去になかったことであるとは先に述べた。
 しかも我々はそう望むならば、バロックの遥か以前、1300年代の音楽まで遡るまでことができる(アーノンクールが録音している〈最古の〉作曲家はジョスカン・デ・プレ1440c-1521である)。
 けれども彼は、このような状況を好ましく思っていない。
 それは、我々の生きる時代精神と音楽が共存していないという事実を示しているからである。
 
 ここまで、演奏に際して〈意図を汲む〉という言葉を幾度か用いてきたが、そのような〈作品に忠実〉たれという理論は、20世紀にはひとつの規範まで高められたとアーノンクールは指摘する。
 「それはどのような作品も多少の違いはあれ、唯一の理想を持ち、そしてその理想に近付けば近付くほど、その演奏は素晴らしいという考え方に由来している」(アーノンクールMD)と。
 けれどもここに誤謬が生じる。
 このような〈作品に忠実たれ〉であるという理論は、19世紀後半から20世紀にかけての記譜法、つまりは演奏の仕方を規定し、奏者の自由意思をできるだけ抑える書法でもたらされた作品のみに適応できるものなのである。
 そのような仕方で、それよりも過去の音楽、つまり全く異なった演奏の前提にのっとった音楽に取り組む場合、全く異なったアプローチが必要になると、アーノンクールは説く。
 けれども、「私たちは大変長い間すべての西洋音楽を、ほぼブラームスの時代の習慣に従って演奏してきた」(アーノンクールMD)ゆえ、前述した極端に異なる解釈が生まれたのである。
 つまりひとつは、楽譜に欠けている記号を補って演奏するもの、もうひとつはできる限り〈作品に忠実〉に、〈客観的〉に楽譜をそのまま演奏するもの。
 前者は、テンポはダイナミクス、そして過度な装飾や楽器編成の変更までを含めた伝統的な解釈による演奏のことであり、後者は新即物主義にのっとった演奏である。
 
 このような違いが生まれた背景には、記譜法の問題が大きく横たわっている。
 そもそも記譜法が実演のコピーとなった時代などなかったし、音楽に起こりうる全ての事柄を五線のフォーマットに書き留めることは不可能である。
 もちろん、現在のニュアンスで過去の記譜を見る事もまた間違っている。
 アーノンクールによれば、「一般的に、1800年までの音楽は、〈作品〉の原理に従って記譜され、その後は〈演奏〉の指示として記譜されている」(アーノンクール『古楽とは何か』以下MK)という。
 古典派以前の楽譜についていえば、当時自明のものと見なされていた具体的な演奏の習慣は、当然のこととして記譜されてはいない。
 テンポの指示にしても現在とは異質のものであり、例えばアーノンクールはモーツァルトの「異常なほどに夥しい数の様々なテンポ表示」(アーノンクールMD)について示唆にとんだ考察を展開している。
 
 つまり、記譜法の問題を理解することは、古典派以前の当時には常識だった慣習を理解すること――演奏者と作曲者の同一性――である。
 

 アーノンクールは、彼のもたらした衝撃的な演奏と攻撃的な論調により、時に伝統の破壊者というような言われ方をするが、それは正しくない。彼は伝統についてこのように述べている。


 古楽を演奏する場合、演奏伝統は自筆譜と同様に、形成されゆく一つの構成因子となる。そしてどんな音楽も、何十年、何世紀の間に幾度も演奏され、やがて最終的な性格を含有する一つのフォルムを得る。このようにして成立したあらゆる演奏解釈は、お互いに影響しあい、一つの「正統的」なフォルムに集約され、今日ではもう避けて通ることができないものになっているのである(アーノンクールMD)。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流6

2009年01月10日 02:39

3 古楽の概念、ニコラウス・アーノンクール


 行き過ぎたロマンティシズムへの反動か、それとも作品固有の在り方への探求か、古楽への忠実な演奏試行もまた、20世紀初頭に端を発する演奏へのアプローチであり、現在の演奏の概念として大きな影響をもたらしてくれる。
 武久源造はいささか否定的なニュアンスを与えながらも「今日の(演奏の)常識」(括弧内筆者)が「時代様式に従い、当時の演奏習慣を守りつつ、作曲家の意図を歪めることなく作品を解釈する、いわばよきガイド役を勤めることが演奏者の使命」(武久)となっていると述べる。
 これはまたおおまかながらも先の世紀に獲得された古楽の演奏の理念と言ってよい。
 けれども、その黎明期には、古楽は「少数の変人用のいかがわしい居留地に過ぎず、常にディレッタンティズムとの謗りを免れなかったし、コンサートの世界では何の意味も持たないとみなされていた」(モーニカ・メルトル『ニコラウス・アーノンクール 未踏の領域への探求者』*)という。
 歴史的にみると、古楽という概念は、音楽家であり楽器製作者でもあったアーノルド・ドルメッチらによって提唱されたといわれ、1920年代以降にはヨーロッパ各地でローカルな演奏団体やサークルが生まれた。
 しかし、その存在が一般的に広く知られるようになったのは、チェンバリストのワンダ・ランドフスカとその演奏によってであろう。
 彼女の演奏する『ゴルドベルク変奏曲』(バッハ)は、古楽の規範的・記念碑的演奏として、未だに持ち出されることが多い。
 〈真正性(オーセンティティ)〉のスローガンの下に展開された古楽の復興運動はしかし、旧来の音楽に慣れきった耳に、衝撃とともに強い拒否感をもたらした。
 歴史的楽器の復元や補修がままならなかったことや、模造品の楽器が流通したことが背景にあるが、「機械的にチリチリなる通奏低音楽器やみすぼらしい学校合唱団」そして「かん高く咳き込んでばかりのバロック・オルガン」は「当時よく使われていた音響を奴隷的に模倣したいという願望」に過ぎないとし、「例えば〈マタイ受難曲〉の乏しい資金による上演は、むかし聖トマス教会でどう演じられたかは別として、現代人の耳には、2,3のメンバーがただ偶然寄り集まって行われた試演のように生色がなく、散漫に聞こえる」と強い調子で批判、「その上演はバッハの本質それ自体と反対のもの」と切り捨てたのはアドルノである(引用は全てアドルノ『プリズメン』による)。
 齋藤もまた、バッハの鍵盤曲を演奏する際にピアノの機能がチェンバロに勝っているとして、そのバロック期の楽器を「むかしの懐古趣味の骨董いじりする人はいいかもしれないけれど、実用品にはほど遠くなってくる」(齋藤)としている。彼は自らも演奏者である立場から、いささかの偏見をもちつつこのようにも語っている。
「バッハを再現しようと思ったら教会でろうそく持ってかつらかぶって、これはバッハの真髄であるって楽しむ人もいるだろうと思います。それで楽しんだからって罪にはならない。罪にはならないけれどピラミッド型の底辺の人、大衆が分かってくれるかどうか。音楽家は聴衆が分かってくれない時、一番情けないんじゃないか。やっぱり支持者がたくさんほしいんです」(齋藤)。

 
 果たせるかな、今日の状況は先の武久の言葉にもあるように一変している。
 世界各地の音楽祭を見ると、古楽は一定の市民権を持ち、もしくはそれ以上の影響力を有しはじめている。
 ここでは、その理論の実践者であり、自ら創設したオリジナル楽器を用いたアンサンブル、ヴィーン・コンツェントス・ムジクスを率いて20世紀の古楽をリードし続けたニコラウス・アーノンクールの言説から、古楽演奏の概念を簡単に俯瞰してみたい。それは、今後論をすすめる上で非常に重要な視点をもたらしてくれるはずである。

*原題は”Vom Denken des Herzens; Alice und Nikolaus Harnoncourt. Eine Biographie”、ニコラウス・アーノンクールと、妻でありヴァイオリニストであり、ヴィーン・コンツェルトス・ムジクスの元コンサートマスター・ソリストであったアリスとの共同作業としての評伝である。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流5

2009年01月08日 01:31

2 恣意から忠実さへ――新即物主義


 そういった行き過ぎたロマン主義に対して、1920年代に反対が表明される。
 シェーンベルク(彼自身はロマン主義者を自認していた節もあるが)らの、いわゆる新ヴィーン学派と呼ばれる人たちと、ヒンデミット、フランス6人組に代表される作曲様式である新古典主義――音楽の中に音楽以外のものを持ち込まない、ロマン主義的な主観や過度の叙情性、官能主義を批判する――の立場を取る人々にその先鋒を担った。

 シェーンベルクは、作品はスコアで完結し、演奏に依存しないという観念主義ともとれる考えを持っていた。
 そのコンテスクトで最も重要とされるのが〈作曲者の意図〉を汲むことであり、演奏は全てそこに隷属すべきものであった。
 この時期を経て生み出された作品には、作曲者の意図が事細かに記譜されており、当時演奏者の裁量に委ねられていた弦楽器の運弓すら固定化されているものもある*。
 アンチ・ロマンティシズムの結果が、あいまいな部分をなくし、演奏者の自由意思をできるだけ抑えつけることで解釈の多様性を認めないという姿勢に表れている。
 このことは、演奏の概念にも影響を与え、それ以前の作曲家、つまりはバッハやモーツァルトらの作品に向かうときにも同じような態度、演奏者の恣意ではなく楽譜への忠実さを重視する、いわゆる新即物主義運動と呼ばれる演奏上の変革に繋がる。
 
 セルゲイ・ディアギレフのために書かれた『火の鳥』、『ペトリューシカ』、『春の祭典』のバレエ3部作でヨーロッパに大きな衝撃を与えた乗り、引用やパロディーを詰め込んだ新古典主義を経て、折衷主義、セリー技法に片足を突っ込んでいったカメレオン作曲家、ストラヴィンスキーの規定した演奏者の役割は、作品の解釈者としてではなく、実行者としてのそれであった。
 その根底には、演奏という媒介の越境もしくは歪曲にこのロシアから来た作曲者が失望し寛容できなかったということが横たわっている。
 演奏者はバイブルたる総譜を寸分違わず再現することを求められている。
 けれども彼はそれができなかった。彼自身の棒による自作自演は録音としてかなりの量が出回っているが、どれひとつとして同じ演奏は存在しない(冒頭のテンポ設定までも!)。自ら矛盾をさらけ出すところがこの作曲家らしいのだが。
 
 新即物主義は、当時勃興してきた古楽復興運動とも思想的に連動する。
 それは先に述べたフォイアマンの考え方とは全く逆の概念であり、いわば徹底的な客観性のもとに構築された演奏様式を希求したものであった。
 アドルノは、彼らを「今日のバッハ愛好家」、「今日の[原譜に]窮々とする純粋派」(テオドール・W・アドルノ『プリズメン』)とし、彼らの持つ演奏の概念――「もともと解釈にもとづいているプレゼンテーション(=楽譜)は、何ら手を加えなくてもありのままに、だがそれだけ一層切実に自己を告げ知らせるもの、そういうことはすべてを作品自体に委ねるべきだ、演奏家はただ自己を否認して、作品自体が語ることを言い表すだけでいい」(アドルノ)――を、説得力がないものだとしている。
 このアドルノの言説は、初期の古楽復興を叫んだ人々や新即物主義運動に携わった人々のスタンスをよく表している。
 1940年代を過ぎると、そのような運動は様々な批判にあい下火になっていく。
 アドルノの言葉には、こういった思想へのアンチテーゼ――それもこの論の当初の前提に立ち返らせてくれる――が示されている。
 
 「音楽が一般に演奏を必要とする限り、音楽の形式法則は作曲上の本質と感覚的現象の間の軋轢のなかにある」(アドルノ)。
 
 余談ではあるが、現代の作品には、シェーンベルクの思想にも繫がる、奏されるのではなく〈読まれるための〉音楽も数多く存在する。
 余りにも技術的に高度すぎて実際に演奏されるのが不可能であったり、時間・空間的に不可能であったり、それらは全く演奏されることを前提としない(と思われる)。
 そういった作曲家から演奏者へのベクトルを、作曲家の意図を無効化することで転覆したジョン・ケージのチャンス・オペレーション、偶然に基づく音楽の概念は、音楽のみならず、芸術、そして人間の知覚認識の在り方を気づかせてくれる点では、前世紀の革命的な思想であったということが言えるだろう。

*この傾向は、後期ロマン主義の時期にもたらされた、音響効果を求める記譜法に遡ることもできる。その時期の、シュトラウスやマーラーといった代表的な作曲家が指揮者としても優れた存在であったことも一因である。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流4

2009年01月06日 00:45

第2節 演奏の潮流


 演奏者の役割について考える場合、20世紀には3つのスタンスが存在した。
 ひとつには19世紀以来の伝統的なスタイルに則った、主観的なヴィルトゥオロジーによる演奏。
 もうひとつは1920年代以降のヴィーン学派や新古典主義者によって担われた観念主義的思想、作品はスコアによって完結するという演奏不在の概念や、実行者として演奏者はそれに従属せねばならない、という思想と、それに連関しての新即物主義運動。
 そしてもうひとつは作品の作曲当時の演奏習慣に立ち返るという古楽復興運動というものである。



1 ロマン主義なるもの



 19世紀的伝統というといささか前時代的かと考えられるが、それでは具体的に、われわれが普段目にするオーケストラについて考えてみよう。
 現代の一般的なオーケストラという形態は、現代という言葉とは裏腹に、その編成や使用楽器など、多少の技術的改善こそあれ、根本的に19世紀後半からほとんど変わっていない。
 それは、ハイドン・モーツァルト、ベートーヴェンときて、ヴァーグナー、リヒャルト・シュトラウス、マーラーに至るまでの、拡大的進歩史観に裏付けられていることは明らかである。
 同様に現在の演奏の文脈においても、ロマン主義的な19世紀的の伝統は根強く残っているといえよう。

 それでは、19世紀以来の、伝統的な解釈に則った、個の主観に基づくヴィルトゥオロジーの演奏とはどのようなものか。
 
 もちろん21世紀に生きるわれわれが、それに生で触れることは不可能だが、幸運なことに、当時の息吹を伝える録音に触れることはできる。
 例えば、エーリッヒ・クライバー(1890-1956)やオットー・クレンペラー(1885-1973)、そして「最後のロマン主義者」とも呼ばれるヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1956)らの演奏を一聴すると、音価一杯に保たれた音や、息の長いスラー、弦楽器に時たま見られるポルタメントといったものから、フレーズによって強くかかるルバートやアゴーギグ、幅の広いダイナミクスレンジといったものを感じることができる。
 これらの演奏によって優先されるのは、音楽の持っている構成よりむしろ、情感であるとかリリックなもの、ロマン的であるものであり、また裁量は演奏者という個に委ねられている。
 それは、いわゆる拡大的進歩史観のもと、ロマン主義以前に生まれた作品においても適用される。 フルトヴェングラーのベートーヴェン演奏は、その神秘主義的な性格も伴って、現代においても揺るぎない金字塔であるが、第一に注目すべきはそのテンポ設定である。
 1943年に手兵ベルリン・フィルハーモニックとともに行われたライブの録音では、『交響曲第七番』第4楽章Allegro con brioに於いて、冒頭とコーダで倍ほどもテンポが異なる。そこではアッチェレランドが暫時的にかかり、恒常的な推進力とともに音楽は怒濤のように終末を迎えるのだ。
 また、第2楽章冒頭のA mollの短三和音は時が止まったのかと思われるほど保たれ、続く低音弦楽部の葬送行進曲の弱奏を導き出すなど、至る所にテンポ変化を伴った劇的効果が行われる。
 そこにある近視眼的な比較対象の変化はいささか全体の整合性に欠けるともいえ、典型的なロマン主義的要素を見ることができる。
 
 その極端な例が、レオポルド・ストコフスキー(1882-1977)によるバッハ作品の編曲である。
 オルガンのための作品をロマン主義的大オーケストラに出力することで、彼は奏法の問題を超えてバッハをロマン主義のフォーマットに叩き込んだ(彼はバッハのみならず、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』やストラヴィンスキーの『火の鳥』といった、ロマン主義からはみ出るような〈モダンな〉作品においても編曲を行った(それも作曲家の存命中に)。
 そこでのバッハは、圧倒的なダイナミクスとともに、恐らくはバッハ自身全く予期しなかったような劇的・扇情的カタルシスを伴って奏される。
 20世紀前半には、ストコフスキーに加え、フルトヴェングラー、ブゾーニなどもバッハ作品をオーケストラに書き換えたが、形式や奏法をロマン主義的文脈へ投入し〈洗練させて〉演奏することは、先に述べたメンデルスゾーンの『マタイ受難曲』蘇演にも見られるように進歩主義的に音楽史を見れば当然の行為であり、20世紀のマエストロたちの編曲という行為もこの伝統的なロマン主義者の流れを汲んだものであったということができよう。
 ブゾーニが行ったバッハの鍵盤作品へのアプローチ(ロマン主義的文脈の介入)にも、同様の思考の痕跡を見て取れる。
 彼はバッハの楽譜にロマン主義的解釈を導入し、その文脈での根拠付けを行っている。

 日本に生まれ、小澤征爾らを輩出した齋藤秀雄は、1923年、1930年と二度ドイツに留学し、当時の空気を吸った。
 バッハの『無伴奏チェロ組曲第3番』プレリュードの原譜によって装丁された彼の講義録には、先に述べたロマン主義、そしてそれ以降に至る流れを進歩史観的に同一線上に並べながら、主にドイツ・オーストリアの作曲家の作品をどう演奏するべきかというヒントを与えていく。
 その基盤となるのが、「僕たちはロマン派という時代を過ぎているから、それを無視して演奏することは現代人の感覚に合わない」(斎藤)という言葉である。この言葉を通奏低音として、バッハやモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーンの手になる作品の〈意図を汲んで〉ロマン主義的な〈味付け〉をしていく。
 
 齋藤の示唆に富む講義の中でもとりわけ興味深いのが、齋藤と師フォイアマンとの、バッハについての問答である。
 フォイアマンは齋藤に、アレクサニアンの校訂したバッハの(恐らくは『無伴奏チェロ組曲』)楽譜を買ってこさせ、その中にある「バッハの原譜の石版」を見て弾けと言う。原譜にはアーティキュレーション等の指示がないので、齋藤がどのように弾くべきかフォイアマンに尋ねると、「多分こうだ」とばかり言い断定はしない。ここから齋藤は「バッハは弾くためには考えなきゃいけない」、「自分で解釈を付けないといけない」ということを学んだという。
 その解釈とは、作品の理解と表現の匙加減であり、「バッハと言う人は書く時に、悲しいとか、うれしいとか苦しいとか特定の言葉がなくて作曲しているから、これを悲しくやろうと、うれしくやろうと演奏者の勝手」(齋藤)となる。
 現在(の批評の場)においても、「誰のアッチェレランドは凄い」、「誰がどう弾いた」といったヴィルトゥオロジー(または楽譜の歪曲)はよく聴かれる文句である。
 つまりはいまだ、19世紀的な、ロマン主義者の伝統に裏付けられた演奏は(とりわけパッケージングされた商業主義の中で)大手を振って闊歩している。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流3

2009年01月04日 07:00

2 歴史的作品への志向


 加えて、現代のプログラミング(選曲)の問題も、演奏者の存在を問う一因となっている。
 
 今日のコンサートでは同時代の作曲家による音楽が占める割合が非常に少ないものになっている。
 それでは何が演奏されているのか。それを知るためには、何かひとつコンサートにいってみればよい。そこで演奏されているもののあらかた全ては歴史的な音楽、ウィリアム・バードやクラウディオ・モンテヴェルディからシェーンベルク、ストラヴィンスキー・・・その中でも19世紀、いわゆるロマン派の作曲家の手からなるものがほとんどを占めている。
 ニコラウス・アーノンクールは、このような同時代の音楽の過疎化ともいえる状況を多声音楽の誕生以来の現象であるとし、また、音楽が時代の精神状態を顕わすものであるならば、それと聴衆の乖離は現代という時代の危機であると述べる。
 その結果として、「現代の文化的創造と人生との統一がもはや存在しなくなった瞬間に、過去へと逃避することを試みた」(アーノンクール)。
 この問題は、「今日の音楽は音楽家にも、そしてまた聴衆にも満足を与えない」(アーノンクール)とする同時代音楽の置かれた危機的状況を考察する歴史的音楽の演奏家の視点として非常に興味深いが、本論で取り上げる問題ではない。
 ただ、18世紀には、過去の作曲家による音楽はほとんど演奏されなかったことは事実である。19世紀に於いても後半に至るまで、その音楽事情はほとんど変わらなかった(アラン・ルヴィエ『オーケストラ』)。
 
 「今日もし、演奏会場から歴史的音楽を追放し、現代作品ばかりを上演したとしたら、演奏会場からはやがて人影がいなくなるだろう――しかしモーツァルトの時代には、もし同時代の音楽が聴衆から遠ざけられ、古い音楽(例えばバロック音楽)のみが優先されたとしたら、まったく同様なことが起きたかも知れないのである」(アーノンクール)。
 
 1829年3月21日は、そういった音楽受容の在り方を考える上で非常に重要な一日である。
 
 その日、ベルリンのジングアカデミーにおいて、当時20歳のメンデルスゾーンがバッハの『マタイ受難曲BWV244』を再演する。いわゆる大受難曲の歴史的復活上演である。
 初演から100年以上経過したのちのこの蘇演により、ドイツ各地では以降〈バッハ・ルネッサンス〉とも呼ばれるバッハ作品の頻繁な演奏が引き起こされた。
 ヴェルナー・ブライクは、この事件とバッハ受容の歴史を「拡大」と「解放」の文脈で捉えている。一地方の音楽家であったバッハの音楽は、とりわけ鍵盤音楽(=非宗教音楽)を主として広く知られるようになっていったが(=「拡大」)、メンデルスゾーンの受難曲上演は、教会音楽をコンサート音楽とする契機、つまりは作品が「根っこを断たれ」、音楽が歴史的コンテクストから「解放」された、とする(「現代に生きるバッハ――演奏と研究から」ウェルナー・ブライク、鈴木雅明、小林義武、佐藤望の座談会より。『エクスムジカ』所有)。
 このことについて、大角欣矢は、「18世紀後半から19世紀初頭まで、バッハが一般的に対位法(フーガ)と和声の大家として、主として専門家のみに知られていた」と指摘し、教会のような場所で特定の機会に奏されるのとは異なった文脈で「反復して演奏・聴取」する需要の在り方を前提として価値の高い音楽が生まれていった、その端緒をバッハとしている(大角欣矢「バッハの主題による西洋音楽史のための二つの「練習曲」――資料研究と受容史に関する詳察の試み」*)。
 ブライク・大角両者において共通することは、メンデルスゾーンの行った歴史的復活上演はまた、音楽をそれまでとは違ったステージに押し上げることを可能にした、もしくは高らかに宣言した、記念碑的始まりであったということである。
 
 19世紀後半には、同時代の主流な音楽(当時音楽に関わっていたものは否応なくヴァーグナーへの意思表示をしなくてはならなかった――そう、あのクロード・アシル・ドゥビュッシーでさえも(クロード・ドゥビュッシー「ドゥビュッシー音楽論集 反好事家八分音符氏」))の紹介に加え、過去の作曲家の作品も頻繁に演奏会で取り上げられるようになった。
 マーラーは度々エクトル・ベルリオーズの『幻想交響曲』を取り上げ(それは多くの聴衆に衝撃をもたらした)、フランスでは1807年にはじめてもたらされたベートーヴェンのシンフォニーが、他のフランスの新しい音楽とともに奏された(ルヴィエ)。
 
 時を経て現在、先に述べたように、コンサートで取り上げられる音楽の時代感は逆転している。
 演奏されるのは今は亡き人物の生み出した音楽である。
 われわれは死者ののこしていったうたを奏でなければならない――このようにして、作曲家と演奏者は、完全に引き離された。
 
 再び問おう。演奏者は何をすべきか。 


*また著者は「バッハの音楽が含み持つ深遠な可能性は、名曲を反復聴取するという19世紀以降一般的になった聴取習慣、さらには20世紀の録音再生技術の発達により、十全に開示されるようになったといえよう」と述べている。この考え方は、これから論を進めていく上で、興味深い視点を与えてくれるだろう。



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