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ピアノ・ディスタンス グレン・グールドの音楽6

2009年01月31日 08:00

 ピアノの<中性的な>性質の特化はまた、コットに語るところの「一種の相互受胎」(コット)という現象をも生み出した。
 つまり、ピアノは非ピアノに、ハープシコードやオルガンはよりピアノに近く、という現象である。
 ピアノではより直截的なアタックや軽やかさを志向するグールドが、ひとたびピアノを離れて他の鍵盤楽器に向かうと、それらの特色を十分に活かし切れているとはいえないパラドックスに陥っているようにも見えるのである。
 ハープシコードのヘンデル作品は何処か変化に乏しく、動きの遅い亀のようで、このピアニスト特有の溌溂とした運動はついぞ影を潜めてしまうのだ。


 それに比べて彼の、ピアノにおけるバッハの演奏は、やはり格別なものがある。
 グールドはピアノでハープシコードの作品を演奏する際にはそのレジストーション機能の問題――リュート・ストップやカプラーシフト操作に相当するピアノの打鍵効果の後退(GGR)――を挙げているが、『平均律クラヴィーア曲 第1集第1番 BWV846』のプレリュードに於いて、レガートを取り払うことによってブゾーニの版に見ることのできるようなロマン主義的表現や<ピアニスティック>な演奏を一切取り払い、同時にピアノの持つ可能性の新たな一面を切り開いて開示してみせた。
 それは、「ピアノには響き(ソノリティ)があり、レジスターを切り替える効果を出すことができる」(GGSL)という主張の証拠物件であった。
 それまでの演奏が、ピアノの音量変化や息の長いスラー、そしてルバートの挿入によって<表情>をつけていたのに対して、バッハが平均律によってもたらされた転調の自由を謳歌しているこの曲において、グールドはスラーとともに過度でロマンティックな表現を取り払い、和声の漸次的変化に対応すべく微細な音量と音色の変化で応えてみせた*******。

 グールドの演奏についてのシュネーデルの文章は、まさにこの演奏を想起して書いた様でもある。


 グールドの演奏には、どこかとても神秘的なところがある。あの乾いた(セッコ)演奏、はっきりとした区切りがあって点描的だとさえ言えるような演奏、それを通して驚くばかりの厚みと奇跡的なつながりを持った線が生み出される。グールドは音の外部にある要素、つまりぼやけたペダル音あるいは指が奏でるレガートによってつなげたりはせずに、まさにリズムではなく強弱法的なフレージングを実現するような強度、次第に強まりやがて弱まってゆく強度によってつなげた。彼は隣接性ではなくして、独立してくっきりと浮かび上がる音による連続的な漸層法(グラデーション)でもってつなげたのだ(シュネーデル)。



 グールドはピアノを離れてイメージを蓄積し、そして鼻先をくっつけるようにしてピアノを弾いた。
 彼は音楽をピアノに捧げなかった。
 彼のなかで鳴り響く音楽は、もっとあまねき何者かに帰属する類いのものであったから。
 
 彼はピアニストだったか? 
 イエス。しかし彼は単なるピアニストではなかった。

 そのスタンスとディスタンスに、バザーナは「奇妙な態度」を見る。
 それは、「ときにピアノが出すのではない、想像上の音の響きにインスピレーションを与えられ、またピアノという楽器にわれわれが抱く概念とは無関係な、音楽的抽象観念に啓示を与えられて、自分の思想や解釈を伝えるために、非常に独自な鍵盤演奏技術を多く編み出した」(GGPW)というものであった。

 それまでのピアノ的だと思われていたもの、<ピアニスティック>なる概念は本当に正しいのかという自らの問いかけに、グールドは独自の答えを導き出した。
 そのためには既成のピアノですら改造され、その機構は全て秤にかけねばならなかった。
 その結果をバザーナは、「ピアノで打倒するのではなく、むしろピアノ語法の可能性を拡大することになった」(GGPW)としている。

 そのようにして獲得された言葉は全て、グールドのうちに鳴り響く音楽の言い回しに捧げられた。




*******バザーナは、グールドがノン・レガートで奏したアルペッジョを、リュートやギターを爪弾きした音を意図していたと述べ、グールドがヴァージナルのための作品を演奏する時には決まって行われたこと、またバッハにおいてはサラバンドなどの緩徐楽章で用いられたと指摘している(GGPW)。
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あなたのいのちのよろこびをうたえ

2009年01月30日 01:46


数年前に、あるセミナーを受講した。

いうなれば自己啓発の一種で、内容には触れられないのだが、
そのなかでひとつ、「あなたの欲しいものは何か」というセッションがあった。

パートナーがずっと、全力で「あなたの欲しいものは何ですか」と問いかけてくる。
はじめのうちは「家」とか「お金」とか「時間」とかいうのだが、パートナーも自分も、殻を捨てて絶叫しながらその問答を繰り返していくと、考えて応えることができなくなっていき、最後には「自分の本当に欲しいもの」がおのずから立ち顕れてくる。



僕はその時、「音楽がしたい、音楽をする仲間が欲しい」と叫び続けていた。




大学を卒業してからすぐに、僕は飲食業に従事した。


目的は、将来音楽で起業をしていくにあたって、経営を学ぶため。

アメリカでは、ビジネスを始めるにあたって、まずはフードビジネスを学ぶのが良いというならわしがある。

フードビジネスは、かなりダイレクトなビジネスである。

それでいて「心」がないと絶対に成功しない。


僕はご縁に恵まれ、本当にたくさんのことを学ばせてもらったと思っている。



しかし、飲食業に従事するなかで、音楽からはどんどん遠ざかっていた。

時間も、余裕もなく、仕事に没頭した。それが正しいと信じていた。

もちろん今も間違った選択はしていないと思っている。




音楽を、忘れていたのか、それとも、忘れようとしていたのか。


確実に、僕は音楽から逃げていた。



飲食業では、なんとか成功の道を進みつつあった。

仕事に手ごたえもあったし、やりがいもあった。

日々やることに追われていたが、それだけ充実していた。


いつの間にか、「俺は飲食を生業にするのだ」と思い込もうとしていた。


しかし、音楽に戻るということは、それを全て捨てるという事を意味した。



飲食の現場では、世の景気やビジネスの現状をまっただ中で感じていたつもりだった。

音楽で仕掛けるのは今じゃない、と言い聞かせていた。







  今しかなかった。






夢は夢のまま、現実は厳しい。

日常の連続で、いつの間にか薄れていく夢。





  夢があるなら、自分の手で掴みとれ。




失敗を恐れて、失うことを恐れて、しかし一番の失敗は、何もしないことだ。


何もしない人生だけは、絶対に送りたくない。






そして、本当に、今だった。


明日、久しぶりに指揮を振る。

『集え、祝え、歌え』。



音楽をする。




この瞬間に、間に合ってよかった。



このタイミングでないと、出会えなかった人たちがたくさんいる。

このタイミングでないと、ありがとうを伝えられなかった人たちがたくさんいる。

このタイミングでないと、繋ぎとめられなかった人たちがたくさんいる。



そして、このタイミングを、今を逃したら、おそらく僕は、ずっと音楽から逃げていた。






だからこそ、今に感謝。

はじめに誘ってくれた鈴木くんに、本当に感謝。


今回、同じ時間を共にする仲間に感謝。


そしてもちろん、音楽に感謝。








音楽とは何か、との問いかけに、僕は、「存在の全肯定」と答える。


言いかえれば、「生まれてきてくれてありがとう」ということだ。



「あなたのいのちのよろこびをうたえ」ということだ。






 世界中に定められたどんな記念日なんかより

 あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう


 世界中に建てられてるどんな記念碑なんかより

 あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう





ブルーハーツは続けてこう歌う。





 だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で







不器用でもいい。

へたくそでもいい。



今、ここに生きていることに、価値がある。





願わくば、みんなが自分の「うた」を、高らかに奏でられますように。




ザ・ブルーハーツ、後輩と飲む。

2009年01月29日 07:45



世界中に定められたどんな記念日なんかより

あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう


世界中に建てられてるどんな記念碑なんかより

あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう


THE BLUE HEARTS : TRAIN TRAIN




昨日は後輩と飲む。



音楽のことばかり話す。




改めて、幸せだと思う。




いろんな事があるけれど、

全てを含めて、生きていることが幸せだということ。



シカゴ交響楽団来日について思うこと、1%神話?、ラ・フォル・ジュルネ、野村ホールディングス赤字。

2009年01月28日 01:56



シカゴ交響楽団が来日する。
指揮はハイティンク。

演目は、マーラー「悲劇的」、ブルックナー「7番」、モーツァルト「41番」、R・シュトラウス「英雄の生涯」など。

会場はサントリーホール。



一流の演奏家、魅力的で一般受けする演目、そして「サントリーホール神話」。

言ってみれば「心・技・体」が揃ったような見事な集客マネジメントではなかろうか。



しかし、このチケット、どうやら全く売れていないようだ。


カジモト・イープラスですら、2月1日の公演分でS・Aともに残席ありの状態、
ハイドンとブルックナーのプログラムではB席も余裕ありとのこと。



ちなみにチケットは、S席が4万円である。

ほとんど大方は「高いから売れない」と即座に思われるだろう。

しかしこの興行主は最大手の音楽事務所である。

さすがに「高すぎて売れないがそうでないと採算がとれない」などという価格帯の設定はしないはずである。


この値段でも売れる、もしくは「売れていた」時代があったのだ。

売れていたどころか、「チケットがプレミアで手に入らない」ような時代があったのだ。



それでは、本格的に「クラシック離れ」が深刻化しているということだろうか。

よく取りざたされる「1%神話」ですら、崩壊しているのだろうか。

山田真一氏が、この「1%神話」について興味深い考察をされている。特に、「市場」という意味合いでは、およそミステリーの領域であるということが、クラシックの文脈では言える。


しかし、例えば2005年から開催されている<ラ・フォル・ジュルネ>は、2007年には東京国際フォーラムに100万人を超える聴衆を集めた。
(ちなみに僕も行きました)
ラ・フォル・ジュルネ2007概要

これは、山田氏の言を借りれば「潜在市場」なのだろうか。それとも、芸術の「市場」はあると言えるのだろうか。


また、吹き荒れる不況の嵐が、財布の紐をきつくしているのだろうか。

今回シカゴ交響楽団の冠スポンサーは野村グループである。

その野村グループと言えば、昨日、4?12月の連結決算で4924億円の最終赤字だそうだ。
通期では過去最大の赤字となるという。(日経ネット参照)


猛烈な不況のしわ寄せが、文化芸術活動を叩きのめしているのだろうか。



今日は後味悪く、疑問形で終わる。


ひとつだけ言えることは、この状態が続くとしたら、3?5年後の日本の文化芸術の環境は、確実に(もしかしたら壊滅的に)変化しているであろうことである。

欧米のオーケストラが日本では聴くことができない、などと言う事態も、起こりうるかもしれない。




しかし、ひとつだけ。

それでも音楽は(芸術は)必要なはずだ。

音楽に関わる全ての人が幸せに溢れるように、世界を変えたい。









ピアノ・ディスタンス グレン・グールドの音楽5

2009年01月28日 00:16

 飽くことなき改造から聴こえるもの。

 それは、ピアノを通して、ある意味ピアノであることの否定が奏でられる自己矛盾。

 同時に1950年代から70年代にかけては、まだ一般的でなかったものの、ランドフスカらによる古楽復興運動が芽を出し始め、<バッハをピアノで弾く>という流儀に疑念が挟まれつつあった時代でもあった*****。
 それでもグールドはいくつかの例外を除いて、改造したピアノでバッハを弾き続けた。それは何故か。


 グールド自身も、自らのスタンス――文字通りピアノから<ピアニスティック>なるものを剥ぎ取っていく――を追求していけば、バッハの作品はハープシコードで演奏しさえすればよいと認めている(GGSL)。
 けれども彼をピアノに推し進めたのは、この楽器の持つ「抽象に向いた素質」(モンサンジョン)である。
 ピアノが、ヴァージナルやクラブサン、クラヴィコード、オルガンといった他の鍵盤楽器のための音楽、そしてオーケストラのための音楽を再現し、変換するのに適しているというのである。
 グールドは楽器が元来持つそれ自体の特有性や、音色といったものをピアノに見出すことはしなかった******。
 『フーガの技法』を例に挙げて、バッハの特有の音響へこだわらない姿勢、抽象的なものに向かう姿勢を賛美した(GGR)グールドにとって、ピアノの持つ抽象的な性質、バザーナが言うところの<中性的な>(GGPW、付け加えてバザーナは、ピアノの性質をこのように語ったピアニストはグールドが初めてではないとしている)性質は非常に好ましかった。
 後述するが、グールドは楽器のみならず、レパートリーにおいても、バッハに見られるような抽象的で、構造の堅固な作品を好んだ。
 グールドが<冒涜>といった、バッハのサスティンペダルの多用は、構造の明確化を妨害するとともに、<ピアニスティック>な風合いを増してしまうものだった。

 ペダルを使用しないことで生まれたノン・レガートの特徴的な奏法はまた、ピアノから<ピアニスティック>なものを奪い取るとともに、19世紀的な演奏習慣の伝統の否定であったのである――「<対位法による野心>号というすばらしい船は、ペダルを過度に使用すればロマン派式レガートに修辞の岩礁で難破の憂き目に遇うことはまず避けられないであろう」(GGR)。




*****岡田敦子によると、グールドの活躍していた1950年代から70年代前半にかけて、ピアノでバッハを録音したものは「驚くべきことに」グールドのものしかなかった(岡田敦子『打鍵のエクスタシー』)
******グールドはモンサンジョンに対して、自分の理想とするピアノの響きは「いくらか力を弱めたクラブサンのように響くこと」と語っている。同様に、バザーナによれば、グールドは楽器自体の特有性や音響であれば、ハープシコードやフォルテピアノの方を好んでいた。森泰彦はその『完全なる音楽監督の自由』のなかで、グールドのモーツァルト作品の録音に触れ、その改造されたピアノの音響が18世紀のフォルテピアノに通じると述べたのち、「グールドは多分フォルテピアノのことはよく知らず、これは偶然の一致だと思う。果たして真相は?」と疑問を呈しているが、これは森の勇み足であり、認識不足である。しかしこのような反応もまた、或る意味グールドの意図したことであったのかもしれない。

ケージへの期待、インプロ、対話、ヘーゲル?

2009年01月27日 00:17

♪ 

いつかジョン・ケージの『竜安寺』をやってみたい。

次のコンサートで、もう一回FIVE4とかやってみようかしら。

今なら、前よりもっと、違った音楽ができるかもしれない。


いや、できる。





つくばから帰宅。今回もやはり2泊3日の泥沼コース。

たくさんのひとと、音楽をつくる歓びを感じることができて、その幸せに感謝。





言葉は想いをカタチにする。

夢は、言葉にしたときから、叶っているという。


語られなかった想いは、何も想わなかったことと同じなんだ。



夢や想いが言葉になり、言葉が行動となり、行動することが夢を紡ぐ。

夢も、想いも、言葉も行動も、自分に嘘は付けない。


音楽もそれに同じ。





インプロヴィゼーションというものを、避けていた。

自分を信じられなかったからかも知れない。


自分を信じることができなければ、他人を信じることなどできない。





対話することの重要性を改めて感じた。

どうも自分は、話したり書いたりしてブレストするのが一番いいみたい。

そして対話することでお互い高まっていく。


ヘーゲルですか。





ピアノ・ディスタンス グレン・グールドの音楽4

2009年01月26日 22:08

3 ピアノに関する諸問題


 されど、ピアニストはピアノを通して音を発せねばならないという非常に現実的な問題がある。

 グールドの関心がピアノそのものに向かったのは当然の成り行きであった。
 自らの頭に鳴り響く想像上の――バザーナに沿うなら<観念的な>――音楽を具体化するために、できるだけ現実のロスを少なくする必要があった。
 彼の演奏活動に寄り添うように、理想的なピアノへの探求は続いた。


 1972年頃、下書きのまま投函されることのなかった手紙が残されている。その中で彼は理想的なピアノについてこのように書いている。


 どこのピアノであれ、過去25年間にアメリカ――そしてヨーロッパでもある程度はそうですが――で作られたピアノのひとつの傾向とは、私は忌み嫌っているのですが、キーのドラフトが深まる傾向なのです(ドラフトとは、打鍵したときにキーが下降していく距離のことです)。そして実際にかなり深くなった。しかも、より大きな音、より輝かしい音質を求めるあまり、それまでの時代に作られたピアノ特有の長所の多くを犠牲にしたのです。私自身の場合、標準よりもわずかに狭い寸法のタッチブロックに整備された楽器を好みますが、その理由のひとつは、アフタータッチ等の相関的な全要素が考慮されていると仮定するならば、それは演奏者の楽器へのコントロールを強め、より明瞭で、通常より整った音質をもたらしてくれるからです。言うまでもなく、このドラフトを選ぶと、それを補う整調がこの上なく重要となりますが、他の条件が同じであれば、ハープシコード的とも言える響きの透明感がピアノを通して生み出せると思うのです。結果としてそれは17,18世紀の音楽に適しています(『グレン・グールド書簡集』、以下GGSL)。



 いささか長い引用になってしまったが、この下書き書簡には、彼が望んだピアノの在り方について、具体的に技術的なものへと踏み込んで語られている点で非常に興味深い。

 彼は自宅のチッカリングを除けばその30年ほどのキャリアのほとんどをスタンウェイ社のピアノ(CD178、CD318)と歩んだ(最後の2年間は中古購入したヤマハ社製のCF-�を使用した。81年の『ゴルドベルク変奏曲』録音は、この中古のヤマハを用いて行われたものである)。
 彼のピアノに対する関心と知識は専門家に負けないもので、それは当時のスタンウェイ社の責任者C.W.フィッツジェラルドに宛てた1956年の手紙にも垣間見える(グールドはそこで、コンサートで用いたスタンウェイCD90モデルのアクションが「どう考えても低すぎる」(GGSL)と憤っている)、『27歳の記憶』では、グールドが『イタリア協奏曲』のレコーディングにあたって、ニューヨーク57丁目のスタンウェイの地下室で、狩人のように自分に適したアクションと音色を持ったピアノを探す姿を見ることができる。
 若きグールドは気に入ったピアノを見つけて言う、「楽器には本当に敏捷さが求められる。そういうものがこの楽器にはあるんだ……響きが実に澄んでいる。そう、これが気に入った」(映画『グレン・グールド 27歳の記憶』)。

 <敏捷さ>と<澄んだ響き>、先の下書きにも触れられているようにこれらの目指すところは、ハープシコード的な性能だった。
 グールドは1895年製のチッカリングを、そのハープシコードに似た響きと即時的な反応ゆえに愛した。
 ここには矛盾が潜んでいる。
 グールドが求めたピアノはつまりハープシコード的なアクションとサウンドを持ったピアノだった。実際に彼は1960年には<ハープシピアノ>なるものを作ったという****。
 CD178とCD318についても同様のモットーの下に改造がなされた。

 音は薄く、アクションは軽く。
 特に彼の特徴のひとつでもあるノン・レガート奏法の為には、象のようなピアノは許されなかった。



****GGSL、1960年12月5日、ハンフリー・バートンに宛てた書簡参照。また、バザーナによると、それはピアノのハンマーに鋼の鋲を打ち込み、ピアノのアクションと強弱を出せる昨日はそのままにハープシコードの音色を真似ようというもので、タックピアノなどと同様に、ラヴェルやマーラーが20世紀初めに用いたハープシコードに改造したピアノの復活であるとしている。

ピアノ・ディスタンス グレン・グールドの音楽3

2009年01月25日 01:00

 そのように繊細なタッチを持ちながら、グールドは自分の指を誇張して取り上げることはしなかった――録音ではしばしば凄まじい勢いで動き回る指を聴かせてくれるが、それは純粋に音楽的な欲求によってもたらされたものであり、彼が嫌悪していたヴィルトゥオロジー的発想によって、技巧を振りかざすためだけにもたらされたのではなかった。
 それどころか彼は、その自在に動き回る指や触覚のイメージを重要視しなかった。

「私は、自分の指がひいているのではなく、自分の指はまさしくその瞬間にたまたま私と結びついている独立した単なる延長物だと感じる必要があるのです」(モンサンジョン)。

 思考の後に指はついてくるものであり、グールドはそれに二次的な価値しか置かない。
 ジェフリー・ペイザントがグールドに対して用いた〈観念主義〉というキーワードを、バザーナは絶えず強調し、通奏低音として用いることによって、グールドの演奏術に明確なテーマを持たせている。

「手は精神に使えるのであって、その逆はないということだ」(GGPW)。

 グールドは鍵盤楽器、そして彼自身の手から離れて総譜を研究した。
「どんな作品でも分析し記憶する」(モンサンジョン)という彼の作法―――それはゲレーロによる影響が大きいことはバザーナが指摘している――は、そこに物理的な可能性が入り込んでくることを否定し、そのイメージ、曲のフォルム、「スコアのレントゲン写真のごときもの」(モンサンジョン)――グールドにとって最も重要なのは構造を明確にし、統一性を失わない全体像を構築することであった――にこそ、彼の指とそこから解き放たれる音楽は奉仕しなければならない。

 「分析的完全さは」、とグールドは語る、「ピアノから離れていれば、とにかく可能になる。(略)その完全さは触覚上の妥協によって減少してしまう」(コット)。

 有名な興味深いエピソードがある。まだコンサートで弾いていた頃、テルアヴィヴでの連続演奏会で、彼は「完全に腐ったピアノ」(コット)を弾くことになった。
 その文字通り弱音(ピアノ)しか発さず、C durのスケールも満足に鳴らないピアノを前にして、流石のグールドも調子を崩してしまった。
 本番は目前に迫っている。
 そこで彼が取った行動は、「最高の触覚環境を再創造する」(コット)ことだった。自宅にあるチッカリング(1885年、アメリカ製のクラシックピアノ)を思い浮かべ、指を動かすことなくその触感イメージの中に自分を没入した。夜のコンサートはそれでうまくいった。
 形而上的な音楽の在り方に、響きも身体も委ね、指と音の間の感覚の繋がりを少なくともグールドのなかで断ち切ったのである。


つくばへ、ブログ1か月、再びピアソラ「リベルタンゴ」

2009年01月24日 08:36



今日から二日間、つくばへ。
31日に向けて最後の特訓。

他にも打ち合わせたいことたくさん。



いつのまにかブログを初めて1か月がすぎてた。

目標にしていた毎日更新は達成。

次は、どうやって開かれたブログにできるか・・・

と言っても薄っぺらいのにはしたくない。


可愛く生まれれば・・・自分の写真を載せて・・・


はい。終了です。



気がついたら床で寝てた・・・
ずっとPCがバッハの無伴奏ヴァイオリンのパルティータを流していた。

睡眠学習で余りにも頭がぎしぎし言うので、ピアソラを聴いてみた。

何故かピアソラの自作自演集10枚組なんて持っていた。
(多分買ってから一度も聴いてなかった・・・)


目が覚めた。


改めて、ピアソラは一般的なコンサートピースになりえる筈がないと思う。
コンサートホールの光の下におびき寄せたら、その輝きを失う。

暗闇のなかでこそ輝ける音楽がある。


そんな訳で、多分ピアソラの演奏によるLibertangoを探してみた。



Libertango は、ピアソラがイタリアに渡り、新しい楽器を導入したクインテットの音楽を志向した際の最初のアルバムタイトルにも使われた。
Libered(自由)+Tangoという造語であったと思う。


自由の裏側には常に狂気が潜んでいる。

自由は、リスクと隣り合わせだ。

しかし自由は切り開く。自由に制限はない。自由は動きまわる。自由は穏便ではない。





think different.

2009年01月23日 13:04

朝からずっとブレインストーミング中。


われわれは、どんな世界を創り出したいのだろう。


脳みそから煙が出そうになったので、apple computerのCMを見る。







できることなら、ピカソのように、世界中を塗り替えたい。





なんとはないが

2009年01月23日 09:34

最近音楽を聴いても演奏しても歌っても、

なんだか泣けてくるんだなあ






音楽に、感謝

上の歌は、バンプオブチキンの「スーパーノヴァ」

いい歌です・・・

CS・ES、てっぺん、朝礼、「仕事」、パブロ・カザルス「無伴奏チェロ組曲」。

2009年01月22日 23:40

先日の記事(補足②)について、何通かメールをいただいた。


特に、<クラシック>音楽と他を分かつ理由として、

楽譜(記譜されたもの=エクリチュール)から「作曲者の意図」を汲み、
「第一にそれに隷属することが求められる」という部分に対して、

それは「演奏者」の否定ではないか、という意見や、
「忠実さ」と「不自由」は違うのではないか、というものもあった。


返信ののち、理解していただけたが、掲載して補足したい。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


CS と ES という言葉がある。


俗に言う「顧客満足」と「従業員満足」である。

以前はサービス業でよく使われていた言葉が、今はどの業界でも当たり前のように使われる用語になった。


僕は、「てっぺん」という居酒屋で、2年働かせて頂いていた。

入社して3ヶ月後に、桑名店の立ち上げに関わらせて頂き、
後半の1年は店長として自由が丘本店で勤務していた。

「てっぺん」は人財育成に尋常ではない程度で傾注していた。
(むしろ人財育成こそが目的であるといえるほどに)

とりわけ、営業前にスタッフ全員で全力でスピーチをしたり、あいさつや宣言をしたりといった「本気の朝礼」は、それを取り上げた2枚のDVDやテレビなどで紹介されたこともあり、全国的に有名になった。
4店舗で、朝礼の見学だけで、年間5千を超えるお客様が見学、参加をするほどであった。
(わからない方には???であると思いますが・・・日本中から朝礼に参加するためにいらっしゃるのです)


店長をしていたある時、朝礼に参加されたお客様からこのような意見をいただいた(あくまでも好意的な意見)。


「てっぺんって、ESのために100%全力ですね!!」


今だからこそ言えるが、僕はこの時返す言葉が見つからず、混乱した。

僕は当時、スタッフにこう言っていた。
「全てはお客様の為に。自分たちの為のことなど、この店には何一つない」

1年間チームとして店を運営していく中で、この意思統一はなされたと思う。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



CS と ES について話を戻すと、


飲食店のみならず、全ての業種業態において、ES(従業員満足)に重きを置いて事業を成そうとしても必ず失敗する

言い換えるならば、
CS(顧客満足)の徹底的な追求こそが、最終的にESに繋がる。


よくあるフレーズ、
「仕事を楽しもう!」
「お客様を楽しませるために、まず自分たちが楽しもう!」
ほど、欺瞞の潜んだ言葉はない。

ESを追求して得られるESほど、空虚なものはない。

従業員向けのインテリア、過剰な待遇、偽善的な理念、形だけの<クレド・カード>・・・
「自分たちの為のなにか」は虚栄に満ちている。

逆に、想いを外に向け、お客様がどうしたら(どんな状態なら)、今よりももっと満足して頂けるのか、楽しんで頂けるのか、寛いで頂けるのか、そのために自分たちが何ができるのかを考えに考えて、ひとつでも多くのことを実行すること。


「誰かの為の何か」を追求しつづけてこそ、人は成長する。

そして、時にいただくお客様からの「ありがとう」の一言で、救われる。


CS(顧客満足)の徹底的な追求こそが、最終的にESに繋がる。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


仕事とは、「事に仕える」こと。


では「事」とは何か。
それは、「自分以外の誰か」である。

それは僕の、仕事に対する信念でもある。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



脇道がとても長くなってしまったが、音楽に関しても、先にあげた CS と ES の関係が成り立つのではないだろうか。


「自分のための演奏」を否定するものではない。

確かに音楽を演奏することで、自らの心が開かれていったり、救われたりする気持ちになるかもしれない。

しかし、ひとたび五線の前、<書かれたもの>の前にいるとき、求められるのは個性を出すことでも、自己表現をすることでもない。

上手い下手でもない、経験でも出自でもない、

エクリチュールの前では、その楽譜を十全に、全力で表現することのみが求められる。

そこに「私」は必要だろうか。


語弊があるかもしれないが、演奏者に「私」は必要ないと、僕は思う。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


パブロ・カザルスの「無伴奏チェロ」を聴く。


音楽は彼の弦の上で、あたかもスウィングしているかのような趣さえある。
録音自体は70年以上も前のものだ。
しかし、そこでは音は、彼のあふれんばかりの情熱と喜びを受けて、ひとつひとつが余すことなく「表現され切っている」。


音は、或る場面ではまばゆいばかりの光だ。
或る場面では、人生を振り返る哀の色だ。


バッハのチェロ曲は、カザルスの精神と体を通して、音楽となっている。
カザルスの強烈な個性が、唯一無二の音楽となっている(ここでは奏法その他の問題については触れない)。


しかし、この演奏を通してカザルスが表現したのは何か。


カザルスは、決して自分の力量や技術、そして特異なリズム感覚を披露したかったのではない。

カザルスが全力を賭して表現したのは、決して「私」ではなく、記譜されたもの=エクリチュール」を介して、バッハの作品そのものを表現し尽くさんとしたのだ。

スペインの太陽のように、バッハの作品のすべてを顕わにしようと、文字通りチェロにしがみつきながら表現した音楽には、「結果として」カザルスの強烈な個性が刻印されることとなった。


バッハの作品の為にのみ捧げられた演奏が、結果として演奏者の姿や思想を照らすのである。


バッハの作品を表現し尽くした先に、カザルスが滲み出てくる。


そこでは、演奏とエクリチュールが張り付いているのだ。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


これ以降、グレン・グールドを通して、上記の問題を掘り下げていけたらと思っている。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



メールを頂いた方々、ありがとうございました。

メール・コメント大歓迎です!

少しでもこの場を通じて広がっている輪を作りたいと思っています。

ピアノ・ディスタンス グレン・グールドの音楽2

2009年01月21日 23:23

2 グールドのスタイル


 演奏スタイルについてグールドの言に耳を傾ける前に、もう一度、彼の演奏している姿に立ち返ろう、もちろんあの犬のカリカチュアも含めて。
 特筆すべきはその距離感である。
 低い椅子に座り、背中を丸めて鍵盤に向かうその姿勢、窮屈そうに鍵盤の上にのせられ、その上を這いまわるような両の手、そういったものはすべて、19世紀に獲得されたピアノ奏法とは相容れない**。
 2000人以上を収容する大規模なコンサートホールにおいては、ピアニストは荒々しい牛に向かう闘牛士のごとく、背筋を伸ばし腕を支えにして、時に自らの全体重を掛けて<打鍵>する必要がある。それによって得られるものが2000人用のフォルティッシモであり、コンサート・グランドのロマンティックな音色であり、時にカタルシスを引き起こす圧倒的なクレシェンドである。

 
 現代のコンサートホールで2000人以上の聴き手を持つようなピアニストは、きめ細かい表現をあきらめねばならない。指はオーケストラ全体にもまけない大きな音を出す訓練をうけ、小さな音には表情というものがないものしかたがないことだ。容量のわずかなちがいによってつくられる古典的なリズム感覚は失われた。耳をすまして音を聴きとるのではなく、ステージからとどく音にひたされていればいい耳は、なまけものになった。(高橋悠治『家具になった音楽』)



 バッハ、モーツァルト、そしてバッハ以前の作曲家(彼のもっともお気に入りはギボンズだった)のレパートリー、つまり「レパートリーでいうと最高の状況」を弾く際に、〈モグラ〉になるとグールドは言う。
 そうすることで「音は洗練するし、ピアノらしさを最小限にできる、コントロール能力は増す――といってもドラマティックにしたいわけではない」(ジョナサン・コット『グレン・グールドとの対話』)。

 彼の〈モグラ〉は、19世紀以来の拡大する進歩史観への異議であった。
 「その作業(=演奏)の中で、彼はピアノ作品から、継承された伝統の多くを剥ぎ取ってしまう」(ピーター・F・オストウォルド『グレン・グールド伝 天才の悲劇とエクスタシー』)のである。

 例外はある。19世紀から20世紀にかけての、音楽そのものが大きなダイナミクスレンジを求めるもの、例えばスクリャービンの作品を弾く場合は、いつも通りの格好で演奏するわけにはいかず、鍵盤から離れる必要があった。

 けれども彼の演奏スタイルはピアニストのそれと言うよりも、むしろチェンバロやフォルテピアノ奏者のそれに近い。

 現代ピアノ奏法でそれらの楽器に向かった場合、ほとんどはまともな音もでない。
 鍵盤楽器とはいえ、それらの楽器は発声構造もキーアクションもまるで異なっている。
 <技術過剰(オーバーキル)>である。
 それらを弾く時は鍵盤に身を寄せ、ときには斜に構えて演奏する***、重要なのは指先の繊細なコントロールと軽やかさであった。
 そしてそれはそのままグールドのテクニックに通じる。
 グールドの驚くべきテクニック、運指の正確さと音に埋もれることなく躍動するアーティキュレーション、『平均律クラヴィーア 第2集第15番ト長調 BMW884』では、それらを堪能することができる。
 プレリュードとフーガをわずか2分ほどで疾走する(繰り返しなし)その演奏は、諸石幸生の言うところの「誰しもLPの回転スピードが狂ってしまった」(諸石幸生『風化を拒否した演奏〈平均律クラヴィーア曲集第2巻〉に聴くグールド』)と思わせる超絶技巧を尽くしながら、音楽の輪郭は全くぶれない。

 目眩のするフーガ。これがグールドの、そしてグールドのスタイルにのみ為せる技であった。


**バザーナによれば、このような低い椅子に座り猫背で演奏するスタイルはグールドが11歳から20歳まで断続的に師事していたアルベルト・ゲレーロの影響が色濃く残っていると言う。「ゲレーロに師事していた人々の証言によれば、ゲレーロが、グールドの演奏の重要な面の多くを育むのを助けたのは明白なのである」(GGPW)。バザーナは姿勢の他に、「バッハやシェーンベルクに対する関心、分析的な思考態度、デタシェや対位法を好むこと」といったことを影響として挙げている。ただ、ゲレーロもグールドの演奏上の奇行(ハミング、指揮、足組み)といったことには閉口したという話も残っている。同様に、グールドは10歳からフレデリック・シルヴェスターにオルガンのレッスンを受けていたことも付記しておきたい。
***バロック期周辺の楽器について、武久源造が非常に興味深い実演を交えた講演を行っている(「バロック時代の鍵盤楽器と奏法――講演と演奏/日本ピアノ教育連盟・第16回全国研究大会」)。

バッハ

2009年01月21日 23:00

バッハの音楽の、本質的な魅力のひとつは、

自由

だと思う。


突然ですが。

「演奏の哲学」補足② いくつかの前提、定義づけ、エクリチュール

2009年01月21日 00:25

再度、「演奏」について、


本論では、「演奏」の対象となる音楽をいわゆる<クラシック>の文脈で捉えられるものに限定している。

つまり、<ポップス>や<ジャズ>、<民俗音楽>の文脈の音楽は除外する。



では、<クラシック>の文脈で捉えられるものとはどのような音楽か。

直訳すると「古典的な」という意味になるが、ここでは20世紀以降に作曲された作品も含む。


基本的なスタンスは、<書かれたもの――エクリチュール>によって、作曲家の思想や音響や言語(メタファーとして)が設計された音楽である。

記譜法と言う概念を拡張していった、西洋芸術音楽(この場合は芸術たらんという思惑のもので作曲された)音楽を、<クラシック>と言うこともできよう。


それも西洋と言うよりも、基本的にイタリア・フランスのラテン語圏から発生して流布・拡張していった文化である。
中世・ルネサンスと経て、音楽の中心はまさにそこにあった。
ドイツ・オーストリア、イギリス、スペインなどは、得てして辺境の地であった。

「音楽の父」バッハの功績は、ルターがプロテスタント教会にもたらした、カトリックのグレゴリオ聖歌に対してのコラールや、文字通り「神からの捧げもの」である音楽を、極度に強度な建築物として構築し、その結果時代を超越した作品をうみだしたところである。


私見ではあるが、バッハの音楽とは、音楽が音楽それ自体で存在できるほど強固なものであると思う。
グールドが(ある種彼がピアノでバッハを演奏するための口実であるとも言えるが)「バッハの音楽は特定の音響に依存しない」と述べたのも、その強固な構築性にあるからである。
フーガをしてバッハの音楽と言うならば、それもうなづける。
すなわち、バッハの音楽は、土地からも、時代からも引き離され、その文脈から引き離されても成立するのだ(メンデルスゾーンに始まるバッハの再発見、コンサートホールにおけるミサ曲、ジャズやロックなどへの引用なども、同じ文脈で言えるであろう)。

(しかし、バッハの音楽からも、そのルーツの一端をイタリアに辿ることはできる。彼がカントールを務めたライプティヒは、当時の国際的商業都市でもあり、文化は様々に入ってきた。バッハのリュートのための作品などは、語弊を恐れずに言えば、非常に地中海的な響きのする、開放的な音楽である)


では、<書かれたもの――エクリチュール>の音楽とは。

基本的には、再現芸術である。

現在、クラシックで用いられる伝統的な記譜法は、広くポップスやジャズなどでも用いられているが(今は日本の古典音楽も五線譜を使う場合があるそうだ)、クラシックの文脈での同時代の音楽(コンテンポラリー)と、それらを分かつのが、「作曲者の意図」が存在し、演奏者は前提としてそれを汲むことが求められるということである。
要は建築するための設計図は出来上がっているのだ。
加えて言うならば、ディティールもすでに出来上がっている。楽譜の裏側に、時代考証や楽器の特性も含めて、ほとんどすべての要素が張り付いている。それがここでいう<クラシック>の文脈の音楽である。

演奏者は、それに第一にそれに隷属することが求められる。


それでは演奏者に個性は必要ないのではないか。
ヒンデミットの時代には、音楽家機械論などという物議もあった。
すなわち、<恣意から忠実さへ>という問題である。

もちろんそれ以前のロマン主義的なヴィルトゥオロジーが、自らの個性を表出するエゴの為に音楽をやっていたかと言うと、まったくそうではない
その時代の音楽の裏側に、そういった演奏方法と言う「伝統」が張り付いていただけである。


以上が、論を進めていくための前提の補足である。

この前提の補足の中にも、様々な問題が孕んでいる。

また折につけて考察していきたい。

なぜなら、それが、<クラシック>の音楽(この文脈でいえば、吹奏楽もまたクラシックだ)に拙いながらも関わる上での心構えになるからである。

「演奏の哲学」第1章、補足。

2009年01月20日 23:30

第1章において、20世紀前半から中期における「演奏」の概念の歴史と変遷について辿ってきたつもりである。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


①ロマン主義的(前世紀からの拡大的進歩史観にのっとった)ヴィルトゥオロジー

②新即物主義(新古典主義を経たのちの)

③古楽(新即物主義とは袂を分かつ、新しい意味合いでの)の理念


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


もちろんいささか極端に過ぎるきらいは承知の上であるが、
おおまかに分けて本論では何人かの代表的な音楽家に登場してもらった。

①フルトヴェングラー、ストコフスキー、
②ワンダ・ランドフスカ、
③アーノンクール、

等である。

もちろんこのほかにも挙げておきたい音楽家がたくさんいる。


ただ、何より音楽は論より証拠、ではないが、
それこそ鳴り響いてみないと分からない。


最近、ある意味恐ろしいウェブサイトを見つけた。


パブリック・ドメイン・アーカイブ
pda


このサイトでは、パブリック・ドメイン、いわゆる「著作権切れ」と言われる、著作権保護期間の終了した対象に関して、ネット上でデータを公開している(著作権法の違いにより、日本国内に限る)。

パブリック・ドメインに関しては、ウィキペディアなどを参照にされたい。

この「パブリック・ドメイン・アーカイブ」に関しては、著作物としてのパブリック・ドメイン(つまり楽譜)のみならず、演奏に関してのデータを公開しているという点で、個人的には版権等の問題があるのではないかと考えているが、今回、当論文の補足として、と言う留保つきで紹介することにしようと思う。

例えば、バッハの「ゴルトベルグ変奏曲」では、1章で取り上げたワンダ・ランドフスカの記念碑的演奏と、2章以降扱って行くグレン・グールドの最初の録音(これに関しては確実に問題があると思う)のデータが(全曲分)公開されていたり、
またフルトヴェングラーのベートーヴェン、メンゲルベルクの畏怖すべきマタイ(これも全曲!!一聴の価値あり)、カザルスのバッハ(独奏、プラド音楽祭どちらも)、フリッツ・ライナーのバルトーク、トスカニーニのローマ三部作、アンセルメのシエラザード等々、・・・
資料用・補足用、と言う割にかなり興奮するデータが・・・(すみません)


①、②の演奏に触れる、と言う意味では、これ以上ない資料であると言える。



念のため追記。



あくまで収集用のデータベースとして活用しています。
この中で素晴らしい作品・演奏があったなら、ぜひCDなどで購入してください。
また、ここにある音楽が、作品のすべてではありません。
加えて言えば、実演に勝る録音はないと思います。

ぜひ実際のコンサートに足を運び、音楽を全身で能動的に感じられるよう。


追記②。

このサイトでは、クラシック音楽のデータの他に、有名な演説も公開されている。
ケネディやヒトラーの有名な演説や、昭和天皇の玉音放送など、それもまた興味深い。


『タンゴ・エチュード』、ピアソラ、クレーメル。

2009年01月19日 23:00

楽譜の山から、ピアソラの『タンゴ・エチュード』を見つけた。(ドゥラングル・コレクション)



ギドン・クレーメルの弾くCDを久しぶりに聴く。

tracing
"TRACING ASTOR"


もう8年くらい前のCD?

今聴くと全く違った印象がある。



ピアソラ、クレーメル。

クレーメルの弾くタンゴ・エチュードには、何処か慄然とさせる厳しさと孤独がある。


kremer






特にこの3番は、energicoもcantabileもあり、リズムの強さ、ノスタルジー、愛執と哀愁の匂いがする。


ピアソラが以前こんなことを言っているのを見た

「私自身とタンゴは全く別物である」
「私はタンゴを憎んでいる」
「タンゴが、ブエノスアイレスの売春宿から生まれたと言うことを忘れてはいけない」
「タンゴとは、忌むべき全てのものを含んだ総称である」

「私は(タンゴを)作曲することが好きだ。私が作曲を嫌いになる時は死ぬ時だけだろう」




孤独、反逆、冷遇、時にその音楽のために命を狙われたこともあるというピアソラ。

ピアソラの音楽からは、それでも音楽に身を捧げ続けた信念のようなものが透けて見える気がする。



「種」を蒔く。

2009年01月18日 14:07

一昨日は、大学の先輩と後輩と飲んだ。
朝まで一気に飲んだ。

それでも全く足りなかった。


先輩と会うのは五年ぶりくらいだったけれど、お互いに何も変わっていなかった。

実際には変わっているのかもしれないけれど、結局内実は変わらないのだろう。


僕はその先輩にたくさんの「種」をもらった気がする。
グールド、マーラー、バッハ、ヴァーツラフ・ノイマン、
その辺は先輩の影響がとても強い。

当時は少し背伸びして、何とか追いつこうと躍起になっていた。


そして妙な(それでいてとても健全な)プライドと、自意識と、
音楽に対してのワクワクさ加減と、そのあたりの雰囲気にとても惹かれる。


それも変わらない。



いつの間にか、「種」の一端は芽吹いた(と、思う)。

少し責任を取ってもらおうと思う(笑)。




そして、そのまま派遣のアルバイトへ。

昨日は一日配送トラックの助手席に座り家電を配送してみた。



時々、自分で選んだにせよ、何故俺はこんなことをやっているんだと思うこともある。
不安と憂鬱、迷いや悩みが決して自分を良い方向に運ばないと知っていても、だ。



今ここでなにかあったら、この人生は何も意味をなさなかったことになってしまうという怖れ。
だからこそ今は決して死にたくない。



学生の時に、たくさんの人やものや出来事から、たくさんの「種」をもらった。

大学を卒業して5年、その「種」を抱いて生きていた。


忙しく働くなかでいつの間にかそれを忘れてしまいそうになったこともあった。
現状に満足し、忘れてしまいたいと思ったことも、本当はあった。


けれど、無意識でも、いつも心はその「種」がどんな花を咲かせるか、ということを考えていた。


だから、自分で決めて戻ってきた。



昨日の出荷場は、4階にあり(倉庫なので通常の建物なら8階くらい)、
そこから見える街の景色は、とても美しかった。

朝日が昇り、そして沈む。そのたびに街は色を変え、美しく染まる。



あ、大丈夫だと思う。

世界はまだこんなにも美しい。




今、少しずつだが、その「種」が動き始めてきた。

もちろん小さな動きに過ぎない。

何かが大きく変わる、と言うものではない。

しかし、この「種」が、少しずつでも花を咲かせていけば、
必ず世界は変わると信じている。



「世界を変えようと思わなければ、事業などする必要がない」とはユニクロの社長の言葉。



世界が変わると信じなければ、音楽などする必要がない。




音楽によって、そこに関わる人の世界が豊かになればと本気で思っている。

素晴らしい音楽は、必ずやそれを可能にする。



そして、そんな音楽は、ひとの心に、「種」を植える。


「種」はいつか芽を出し、根を張り、美しい花を咲かす。


花は「種」を蒔き、そしてまた繰り返す。


いつの間にかあたりは綺麗な花でいっぱいになっている。



「種」を蒔く人が、穂を刈り取る必要などないと思っている。

実りはそれぞれのひとの心に。



僕はそんな「種」を蒔くきっかけをつくりたい。



そして、ひとりでも多くの人に参加してもらいたいと思っている。

世界を変える「種」を蒔く仕事に。




長文ありがとうございました。



ピアノ・ディスタンス グレン・グールドの音楽1

2009年01月17日 01:00

第1節 ピアノ・ディスタンス


1<ピアニスティック>の否定


 グレン・グールドは音楽家だったという言説と、グレン・グールドはピアニストだったという言説を同義に捉えることはできるだろうか?

 このふたつの言説の狭間に、グールドのピアノに対する錯綜した考えが介在する。
 それは、近年盛んに研究されるようになったグールドと分裂症といったテーマにも似ている*。

 もちろん、「グレン・グールドはピアニストであった」(ケヴィン・バザーナ『グレン・グールド演奏術』以下GGPW)。それは疑いようもない事実だ。

 グールドは愛でるようにピアノを弾いた。

 けれどピアノに近付けば近付くほど、彼はピアノから離れていった。

 彼はピアノに触れながら、ピアノでないものを夢想し、音楽そのものに触れようとしていた。

 グールドはピアノを弾く。けれども彼は鍵盤をほとんど見ない。


 モンサンジョンのフィルムのなかで、音楽という実態のない何者かへ吸い寄せられるようにグールドは遠くを見つめしばし恍惚とし、変奏を経たアリアの最後、ト音を消え入るように押さえた後(それはもはや〈打鍵〉とは言わない)、音の消滅に耐えられないかのようにその手は鍵盤から唐突に放たれる。

 その反射のような仕草――力なく背中を丸める肉塊(ミシェル・シュネーデル『グレン・グールド 孤独のアリア』)――、彼の目の前にあるヤマハのコンサート・グランドはまるで棺桶だ。
 

 高見一樹は、『パルティータ』の録音に寄せた文章のなかで、グールドとピアノ、そしてバッハとの関係を「ピアノから20世紀的な部分を去勢すること」(千葉文夫『創意と源泉 インヴェンションとシンフォニア』)と書いた。
 性的な言い回しを嫌悪していたグールドは恐らく拒絶するだろうが、それに関わらずこの言葉は真実のひとつの比喩だ。
 グールド的に言えば、彼はピアノから、〈ピアニスティック〉なるものを剥奪したのである。それでは〈ピアニスティック〉なるものとは何か?


 「私にとってもっとも魅力のないピアノ音楽は、気がついてみると、まさしく、本質的にピアニスティックな音楽」(ブルーノ・モンサンジョン編・構成『僕はエキセントリックじゃない グレン・グールド対話集』)であると、グールドはモンサンジョンに語っている。

 グールドに従うと、ピアニスティックな音楽とは、彼が慎重にレパートリーから除外した音楽であり、ピアニスト一般にはもっとも演奏回数が多くなるであろう19世紀のロマン主義作曲家によって生み出された作品のことである。

 「御承知のように、たとえばショパンは耳から耳へと素通りしてしまうのですよ」(モンサンジョン)、「初期ロマン派の作曲家たちでピアノ曲をどう書いたらよいか知っていたものは一人もいなかったと思っています」(グレン・グールド『グレン・グールド著作集』以下GGR)etc.。

 グールドにとって、ピアノにとって恐るべき空白の時代――多くのピアニストにとっては実り多きリサイタル用レパートリーのもたらされた時代ではあるが――は、作曲家の能力不足とピアノの特性を見誤られたことによって生じた。
 ショパンやリスト、シューマンがもたらしたドラマティックで情感に訴える作品や、豊かな音響のタペストリーの上に乗る技巧を尽くした走狗を追い掛けるような作品、「鍵盤楽器の持つ機能や特色にしきりに媚びようとしている」(GGPW)作品、いわゆる〈ピアニスティック〉な音楽は、グールドの描くピアノの特性、果てはこの風変わりのピアニストの美学に全く合致しなかった。
 加えて彼が敬愛するヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウスら後期ロマン派の作曲家は、ほとんどピアノ作品を残さなかったのも大きかった。


 こういった〈ピアニスティック〉さを排除するために、グールドはふたつのアプローチを敢行する。
 ひとつはあの特異な演奏スタイル、もうひとつはピアノへの徹底的なこだわりである。

 その探求はつまりグールドのあの独特な音色の調理レシピがどのようにもたらされたのかということである。

*グールドと神経症、とりわけピーター・オストウォルド、ティモシー・マローニーらによるアスベルガー症との関係に関しては、宮澤淳一「グールドと精神医学 <トロント通信>から」に詳しい。

夢・音楽・人、時間、Robert Moran、そしてジョン・ケージ、沈黙

2009年01月16日 00:40



音楽が、人を繋ぐ。

夢が、音楽を運ぶ。

人が、夢を紡ぐ。





これまで と これから の違いってなんだろう。





出会いは多分に必然なのだと、改めて思う。

そう思うと、「今」という時間の重要性に気づく。

出会っていなかった時間の重みの分に気づくから。


音楽もそれに同じ。





Robert Moranという作曲家の
"Seven Sounds Unseen"と言う作品を、「たまたま」聴き返している。

学生の頃に「なぜか」手に取ったCD。
eternallight
怖い・・・



CATALYSTレーベルから出ている"OF ETERNAL LIGHT"というアルバムで、
メシアンやリゲティらの無伴奏混成合唱曲が収められている。
演奏はMUSICA SACRA。

"Seven Sounds Unseen"(『7つの見えない音』)は、数々の静謐で美しく、時に凶暴な作品集の中でも、とりわけ神秘さと美しさと優しさが混在している。

作曲者のサイトによると、この作品はMUSICA SACRAに委嘱されたもので、
合唱と言うより、20人の声楽ソリストのための作品であるらしい。


Robert Moranはアメリカ現代の作曲家で、ルチアーノ・べリオに作曲を学んだ後、現在も存命で活躍している。
ジョン・ケージやフィリップ・グラスらとの親交もあったという。


曲は3つのパートに分かれ、言葉を持たない1,3に挟まれる2つめのパートでは、
ジョン・ケージの言葉が引用されている。


ジョン・ケージというと『サイレンス』という有名な著作があるが、
"Seven Sounds Unseen"の音楽も、ある種沈黙に向かうようにも感じられる。

パート2では、何度となく音は沈黙に挟まれる。
まるで言葉が失われてしまったかのように。


そこに、言葉にできない感動がある。



ちなみにRobert Moranのオフィシャルウェブサイトはこちら

こちらがRobert Moran。
moran
やっぱり怖い・・・というよりこわもてか。


演奏の哲学 第2章 グレン・グールドの音楽

2009年01月15日 11:56


 グレン・グールドは、恐らく20世紀で最もユニークで、刺激的な存在であり続けた――彼は、しばしば彼についての言説で目にするこの形容詞を好ましく思っていなかったが――エキセントリックなピアニストだった。

 1932年にカナダで生まれたこのピアニストは、23歳でアメリカでのリサイタル・デビューを果たしたのち、すぐに世界各地で演奏会に招かれるピアニストとなるが(彼はカナダ人としてはじめて、ソビエトでリサイタルを行ったピアニストである)、32歳、ロサンジェルスでのコンサートを最後に〈コンサートは死んだ〉という有名な言葉を残して、聴衆の前での演奏活動を引退してしまう。
 
 華やかなコンサート・ピアニストの座を捨ててまで(実際彼は何の未練も無しに舞台から去ったのだが)彼を駆り立てたのは、膨大な量の著述活動であり、ラジオ・ドキュメンタリー番組いの制作であり、(ほとんど完成を見なかったが)作曲活動であり、そしてレコーディングであった。
 彼は1955年の『ゴルドベルク協奏曲』にはじまり、82年の『ゴルドベルク協奏曲』に閉じる円環のなかで、レコーディング・スタジオから、音楽を発信し続けた。
 

 一枚のカリカチュアがある。
 1970年、『トロント・グローブ・アンド・メイル』紙に掲載されたこの犬に似した劇画は、このピアニストの特徴をよく表している。
 ひとつには、手袋、帽子、厚着やポケットの中の薬瓶、それにトレードマークともいうべき低い椅子といった彼のいささか奇抜な装い、そしてもうひとつには、そのピアノに向う姿勢である、多少のデフォルメはあるが、これを書いたフランクリンという漫画家はグールドの演奏法を巧みに捉えている。
 〈モグラ〉とも呼ばれたその姿勢、事実グールドはこの犬に近い姿勢でピアノを弾いていた、そして多くはこの絵にあるように足を組んで。

 われわれは、1959年にカナダ国立映画制作庁が撮影した”Glenn Gould Off the record / On the record”(邦題『グレン・グールド 27歳の記憶』から、81年にブルーノ・モンサンジョンが制作した”The Goldberg Variation from Glenn Gould plays Bach”に至るまで、22年隔たってもなお同じ姿勢で、おなじ態度(スタンス)と距離(ディスタンス)を保ってピアノに向き合っているグールドの姿を見ることができる。
 彼が曲中、使っていない方の手で指揮を振り、絶えず声にならない声で歌を口ずさみながら音楽を生み出していく過程も、それらのフィルムには収まっている。


 今や周知の伝説ともなっているそのような奇抜な奏法に、何故言及するのか。
 それは、ここにグールドの演奏観、いうなればグレン・グールドのグレン・グールドたる所以があるからである。この章ではグールドとピアノとの関係、グールドの創作の過程にある分析の概念、そしてレコーディングが彼と音楽にもたらしたものを考察することで、先に見てきた問い、〈演奏者は何をすべきか〉という問いへの、このピアニストなりの答えを見ていくことになる。

『集え、祝え、歌え』

2009年01月14日 02:02


きみがうまれて ぼくがいて
めぐりあえたよろこびを
いつも いつでも わすれない
HAPPY BIRTHDAY おめでとう
たんじょうび おめでとう


伊藤康英作曲『吹奏楽のための祝祭曲 集え、祝え、歌え』に挿入される
自作の歌『たんじょうびおめでとう』の歌詞である。


1998年に富山県吹奏楽連盟40周年を記念して作曲、7月25日に初演された。吹奏楽連盟の生誕の記念であるということと、私事ながら私の次男がその年の6月に誕生した、ということがあり、作品は誕生に関する祝祭の音楽となっている。つまり、主部はキリスト生誕を記念する賛美歌『神の御子は』による変奏、中間部は私が作詞作曲した歌『たんじょうびおめでとう』のメロディに拠っている。(2005年12月シンフォニック・ブラスカペレ演奏会プログラムノート/伊藤康英)


ITO MUSICより。作品の前半部分の視聴もできる。



Maestoso con motoで始まる祝祭の音楽は、小刻みに曲想を変えながら主部のマーチへと移り、作曲者の引用にもあるように『神の御子は』のメロディを導き出す。
一度Allegroにてドラマをみせた後、音楽は夜へ。
Adagio ma non troppoでは、『たんじょうびおめでとう』がイングリッシュホルンにより奏され、次第に高まり、トゥッティにて歌われる。
曲は再度マーチに戻り、『たんじょうびおめでとう』はそのまま『神の御子は』に引き継がれる。音楽はその勢いと輝きを増し、疾風怒濤のフィナーレへと進んでいく。


音楽は全体に明るく、陽気であり、そして愛に満ちている。
副題として"Festeggiamo e Cantiamo"というイタリア語が添えてあるのも、人生を謳歌する喜びのようなものを表したかったからかもしれない。


この作品に関して、多くを語るのは無粋であろう。


中間部で歌われる『たんじょうびおめでとう』は、全ての人に贈られる賛美歌だ。
聖歌と言っても良い。


きみが生まれた。
ぼくが今ここにいること。


人の出会いなんて偶然に過ぎないけれど、
そこに必ずなにがしかの意味があって、
でも大事なのは意味を探ることではなく、その喜びを全力で受け止めること。
精一杯に、今のあなたの命を、生き切ること。



誰しもが、「今ここにいるということ」だけで尊い。


それは実は夢のようなことで、そしてまた、今あなたがここに生きているということは、まさしく誰かの夢であったのだから。




今月末の演奏会、『集え、祝え、歌え』を介して何が生まれるだろう。


改めて伊藤康英さんの作品を演奏できる喜びを感じるとともに、
この機会を与えてくれた皆に感謝したい。

僕はそれに、全力で応えようと思う。




「心にダムはあるのかい?」

2009年01月13日 19:11


音楽のかたちも、人間の出会いも、その意味を紡ぐものは、夢なのかもしれないな、と思った。



つくば行って参りました。
今は壺の中がからっぽ・・・
練習なのに抜け殻状態。。



帰ってきたら「ひとつ屋根の下」をやっていた。

「心にダムはあるのかい?」

響いた。



そして飲み過ぎた。



そしてありがとうの気持ちが増えた。







演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流8

2009年01月12日 01:00


 古楽を演奏する場合、演奏伝統は自筆譜と同様に、形成されゆく一つの構成因子となる。そしてどんな音楽も、何十年、何世紀の間に幾度も演奏され、やがて最終的な性格を含有する一つのフォルムを得る。このようにして成立したあらゆる演奏解釈は、お互いに影響しあい、一つの「正統的」なフォルムに集約され、今日ではもう避けて通ることができないものになっているのである(アーノンクールMD)。



 その文脈の中で、ベートーヴェンの音楽の伝統的解釈は正しい、とアーノンクールは述べる。
 何故ならば、ベートーヴェンの音楽は、他の歴史的な作品と比べてもほとんど例外的に初演以来絶えず演奏されてきたので、「その演奏の伝統は直接作曲家に遡ることができる」(アーノンクールMD)からである。
 
 もちろん伝統にのっとってベートーヴェンを演奏する際にも議論する点はある。
 例えば、アーノンクールは『交響曲第3番』を演奏するにあたり、ヨーロッパ室内楽団との録音で、モダン(現代)楽器のオーケストラで唯一、トランペットのみ無弁のナチュラル・トランペットを用いている。
 それは、「トランペットは単なる楽器ではなく、ある種のシンボルです――そして全てのファンファーレのモティーフで、そういった種類の響きが求められるのです」(”Beethoven’s music is language at every moment – A conversation between Nikolaus Harnoncourt and Harmut Krones”(アーノンクール指揮『ベートーヴェン交響曲全集』ブックレットより。和訳は筆者)といった理由からである。
 ベートーヴェンのトランペットの用い方については、何箇所か問題を孕んでいる。ベートーヴェン自身がトランペットのフレーズの中で、数か所不自然な形で音を抜いているところがあるのである。
 齋藤は『交響曲第9番』の終楽章についてこう語っている。
「第4楽章の出だしのところ。あの頃使っていたトランペットは出る音と出ない音があるんですね。ところがベートーヴェンはどうしたってその時トランペットの音が欲しいから(略)出る音だけ書いてあるんですよ。出ない音は書かないでいるわけです。ところが今は吹けるから全部吹くんですよ」(齋藤)。
 これがおおかた一般的になっていた解釈であった。3番にも音の欠落したフレーズがトランペットにあらわれ、現在ではフレーズ全てを吹くのが通例となっていた。
 しかしアーノンクールは、実際には当時のトランペットもフレーズの全ての音を出すことができたという歴史考証のもとに、それが英雄が失墜した様をあらわす、音楽の重要な声明であるとして、敢えて手を加えることはしなかった。
 9番の終楽章でも同様に楽譜への〈retouching〉は行っていない。ここにも、単に演奏の伝統を鵜呑みにしない姿勢が表れている。
 

 ただし、古典派以前の作品、とりわけバッハの作品への演奏解釈はベートーヴェンの様にはいかない。
 例えば先述した『マタイ受難曲』について考えてみれば、それはメンデルスゾーンの歴史的蘇演に演奏伝統の基盤を置いているのである。
 他の受難曲やオラトリオについても同様で、「(再びバッハが演奏されるようになった19世紀前半の)人々はバッハの音楽をバッハが演奏したように扱おうとは微塵も考えていなかった」(括弧内筆者)(アーノンクールMD)。
 バッハ演奏において現在の我々が拠っているのはそういった19世紀初期からの演奏伝統で、それが18世紀のライプツィヒのカントールへ直接繋がりようもないことは先に述べた点からも明らかであろう。
 ブゾーニやストコフスキー、レーガーらロマン主義の文脈にのっとったバッハ作品の編曲による受容を、アーノンクールは時代遅れのものとして却下する。
 立ち返るべきは「原典として作品そのものを受入れ、それを自らの責任において表現」(アーノンクールMD)する姿勢である。
 

 もうひとつ、古楽の特色について加えるならば、そこで用いられる楽器であろう。
 当初、古楽の存在理由はオリジナル楽器**にあるとされた。いうなれば、前提となるオリジナル楽器の使用とその音響によって、古楽はその時代性と真正性を付与されると考えられてきたのである。 
 けれども、音響の復元に重きを置く向きに対しては多くの批評がなされ、アーノンクールもそういった考えには同様に批判的なスタンスを取っている。
 実際彼自身、初期の古楽演奏に関して、「概して古楽においては根本的に下手な演奏がなされました。ぎこちなく味気ないのです」(アーノンクールMD)と回想している。
 それは、アドルノらが感じたことと同様であったが、事実1920~30年代の古楽(演奏家)はそういった閉鎖性と世界観***を持っていた。

 また、当時使用されたオリジナル楽器の理に適わない奏法と、余りにも貧相な音しかしないレプリカもまた、音響に対する誤った見方を助長することになった。
 1960年以降は、アーノンクールの強い影響力も伴って、古楽の歴史的思考はその音響的追求よりも、フレーズやアーティキレーション、和声の構造の研究や楽器に見合った奏法の獲得といった演奏習慣、ひいては語法の獲得に向かって行った****。
 そして現在では、アーノンクールが繰り返し説くところの、1800年以前の<言語としての音楽>を具現化するスタイルの探求が求められている。


 ここまで、作曲家―演奏者―聴衆という音楽の構図と、それがもたらす諸問題について俯瞰してきた。それは、歴史と闘ってきた演奏家の歴史でもあった。次章では、そこから軽やかに飛翔したひとりの演奏家について考えていく。


**「オリジナル楽器」=作曲当時に用いられていた楽器のことを指し、「ピリオド楽器」ともいう。この反対が「モダン楽器」、つまりは現在用いられている楽器である。けれども先述したように、現代で用いられている楽器のほとんどは19世紀後半には現在の形をとったものであり、そこにひとつの問題が生じているということは自明である。同様に、オリジナル楽器についても、それらは余りにも長く忘れられてきたため、形状はわかっていても奏法や音色についての土壌が失われている場合が多い。つまり、古楽器の形状や特色については例えばミヒャエル・プレトリウスの『楽器大全』のような書物で知ることができるが、それをどう吹けばどのような音が出るのかということで未だ謎に包まれている楽器があるということである。武久はこの点で、シャルマイという楽器の奏法について「問題はそれを扱う演奏者の中にどういう音のイメージがあるかであって、吹く人が現代人ならば結局は現代のイメージでやることになる」と述べている。

***アーノンクールはそれが「第1次世界大戦後の時代のユーゲント運動の目標」と関係していると述べ、その〈創成期〉の在り方がその後数十年に渡って、職業音楽家や職業批評家、そして聴衆の考え方に刻印を残しているとしている(アーノンクールMK)

****古楽の音響についての真正性、すなわちオーセンティティの問題は、その聴取の在り方も含めて現在では疑問がもたれている。それについては津上智美「2000年から見る古楽運動と真正性論争」に詳しい。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流7

2009年01月11日 07:20

 古楽は、それまでのスタンスに対する(限定的な留保を伴いながらの)”Nein”という事ができる。
 それは、常に古楽への偏見や攻撃に晒されてきたアーノンクールの音楽的道のりと信念から導き出され、同時に論争好きな彼の性格から形作られてきた問題提起である。


 アーノンクールによると、先の世紀は「今日ほど過去の芸術的遺産を意識的により強い責任感を持って獲得しようとした時代は存在しなかった」(アーノンクール『音楽とは対話である』以下MD)という。
 現代のプログラミングのような同時代作品と過去の作品との割合は、過去になかったことであるとは先に述べた。
 しかも我々はそう望むならば、バロックの遥か以前、1300年代の音楽まで遡るまでことができる(アーノンクールが録音している〈最古の〉作曲家はジョスカン・デ・プレ1440c-1521である)。
 けれども彼は、このような状況を好ましく思っていない。
 それは、我々の生きる時代精神と音楽が共存していないという事実を示しているからである。
 
 ここまで、演奏に際して〈意図を汲む〉という言葉を幾度か用いてきたが、そのような〈作品に忠実〉たれという理論は、20世紀にはひとつの規範まで高められたとアーノンクールは指摘する。
 「それはどのような作品も多少の違いはあれ、唯一の理想を持ち、そしてその理想に近付けば近付くほど、その演奏は素晴らしいという考え方に由来している」(アーノンクールMD)と。
 けれどもここに誤謬が生じる。
 このような〈作品に忠実たれ〉であるという理論は、19世紀後半から20世紀にかけての記譜法、つまりは演奏の仕方を規定し、奏者の自由意思をできるだけ抑える書法でもたらされた作品のみに適応できるものなのである。
 そのような仕方で、それよりも過去の音楽、つまり全く異なった演奏の前提にのっとった音楽に取り組む場合、全く異なったアプローチが必要になると、アーノンクールは説く。
 けれども、「私たちは大変長い間すべての西洋音楽を、ほぼブラームスの時代の習慣に従って演奏してきた」(アーノンクールMD)ゆえ、前述した極端に異なる解釈が生まれたのである。
 つまりひとつは、楽譜に欠けている記号を補って演奏するもの、もうひとつはできる限り〈作品に忠実〉に、〈客観的〉に楽譜をそのまま演奏するもの。
 前者は、テンポはダイナミクス、そして過度な装飾や楽器編成の変更までを含めた伝統的な解釈による演奏のことであり、後者は新即物主義にのっとった演奏である。
 
 このような違いが生まれた背景には、記譜法の問題が大きく横たわっている。
 そもそも記譜法が実演のコピーとなった時代などなかったし、音楽に起こりうる全ての事柄を五線のフォーマットに書き留めることは不可能である。
 もちろん、現在のニュアンスで過去の記譜を見る事もまた間違っている。
 アーノンクールによれば、「一般的に、1800年までの音楽は、〈作品〉の原理に従って記譜され、その後は〈演奏〉の指示として記譜されている」(アーノンクール『古楽とは何か』以下MK)という。
 古典派以前の楽譜についていえば、当時自明のものと見なされていた具体的な演奏の習慣は、当然のこととして記譜されてはいない。
 テンポの指示にしても現在とは異質のものであり、例えばアーノンクールはモーツァルトの「異常なほどに夥しい数の様々なテンポ表示」(アーノンクールMD)について示唆にとんだ考察を展開している。
 
 つまり、記譜法の問題を理解することは、古典派以前の当時には常識だった慣習を理解すること――演奏者と作曲者の同一性――である。
 

 アーノンクールは、彼のもたらした衝撃的な演奏と攻撃的な論調により、時に伝統の破壊者というような言われ方をするが、それは正しくない。彼は伝統についてこのように述べている。


 古楽を演奏する場合、演奏伝統は自筆譜と同様に、形成されゆく一つの構成因子となる。そしてどんな音楽も、何十年、何世紀の間に幾度も演奏され、やがて最終的な性格を含有する一つのフォルムを得る。このようにして成立したあらゆる演奏解釈は、お互いに影響しあい、一つの「正統的」なフォルムに集約され、今日ではもう避けて通ることができないものになっているのである(アーノンクールMD)。

いざつくば

2009年01月11日 07:19

今日明日は音楽漬け。

頑張ってきます。

演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流6

2009年01月10日 02:39

3 古楽の概念、ニコラウス・アーノンクール


 行き過ぎたロマンティシズムへの反動か、それとも作品固有の在り方への探求か、古楽への忠実な演奏試行もまた、20世紀初頭に端を発する演奏へのアプローチであり、現在の演奏の概念として大きな影響をもたらしてくれる。
 武久源造はいささか否定的なニュアンスを与えながらも「今日の(演奏の)常識」(括弧内筆者)が「時代様式に従い、当時の演奏習慣を守りつつ、作曲家の意図を歪めることなく作品を解釈する、いわばよきガイド役を勤めることが演奏者の使命」(武久)となっていると述べる。
 これはまたおおまかながらも先の世紀に獲得された古楽の演奏の理念と言ってよい。
 けれども、その黎明期には、古楽は「少数の変人用のいかがわしい居留地に過ぎず、常にディレッタンティズムとの謗りを免れなかったし、コンサートの世界では何の意味も持たないとみなされていた」(モーニカ・メルトル『ニコラウス・アーノンクール 未踏の領域への探求者』*)という。
 歴史的にみると、古楽という概念は、音楽家であり楽器製作者でもあったアーノルド・ドルメッチらによって提唱されたといわれ、1920年代以降にはヨーロッパ各地でローカルな演奏団体やサークルが生まれた。
 しかし、その存在が一般的に広く知られるようになったのは、チェンバリストのワンダ・ランドフスカとその演奏によってであろう。
 彼女の演奏する『ゴルドベルク変奏曲』(バッハ)は、古楽の規範的・記念碑的演奏として、未だに持ち出されることが多い。
 〈真正性(オーセンティティ)〉のスローガンの下に展開された古楽の復興運動はしかし、旧来の音楽に慣れきった耳に、衝撃とともに強い拒否感をもたらした。
 歴史的楽器の復元や補修がままならなかったことや、模造品の楽器が流通したことが背景にあるが、「機械的にチリチリなる通奏低音楽器やみすぼらしい学校合唱団」そして「かん高く咳き込んでばかりのバロック・オルガン」は「当時よく使われていた音響を奴隷的に模倣したいという願望」に過ぎないとし、「例えば〈マタイ受難曲〉の乏しい資金による上演は、むかし聖トマス教会でどう演じられたかは別として、現代人の耳には、2,3のメンバーがただ偶然寄り集まって行われた試演のように生色がなく、散漫に聞こえる」と強い調子で批判、「その上演はバッハの本質それ自体と反対のもの」と切り捨てたのはアドルノである(引用は全てアドルノ『プリズメン』による)。
 齋藤もまた、バッハの鍵盤曲を演奏する際にピアノの機能がチェンバロに勝っているとして、そのバロック期の楽器を「むかしの懐古趣味の骨董いじりする人はいいかもしれないけれど、実用品にはほど遠くなってくる」(齋藤)としている。彼は自らも演奏者である立場から、いささかの偏見をもちつつこのようにも語っている。
「バッハを再現しようと思ったら教会でろうそく持ってかつらかぶって、これはバッハの真髄であるって楽しむ人もいるだろうと思います。それで楽しんだからって罪にはならない。罪にはならないけれどピラミッド型の底辺の人、大衆が分かってくれるかどうか。音楽家は聴衆が分かってくれない時、一番情けないんじゃないか。やっぱり支持者がたくさんほしいんです」(齋藤)。

 
 果たせるかな、今日の状況は先の武久の言葉にもあるように一変している。
 世界各地の音楽祭を見ると、古楽は一定の市民権を持ち、もしくはそれ以上の影響力を有しはじめている。
 ここでは、その理論の実践者であり、自ら創設したオリジナル楽器を用いたアンサンブル、ヴィーン・コンツェントス・ムジクスを率いて20世紀の古楽をリードし続けたニコラウス・アーノンクールの言説から、古楽演奏の概念を簡単に俯瞰してみたい。それは、今後論をすすめる上で非常に重要な視点をもたらしてくれるはずである。

*原題は”Vom Denken des Herzens; Alice und Nikolaus Harnoncourt. Eine Biographie”、ニコラウス・アーノンクールと、妻でありヴァイオリニストであり、ヴィーン・コンツェルトス・ムジクスの元コンサートマスター・ソリストであったアリスとの共同作業としての評伝である。

「クラシック・アーカイブ」観てます

2009年01月09日 23:39

NHKで「クラシック・アーカイブ」なる番組を放送している。


ペーター・シュライアーのシューベルトの素朴な佇まいが、ギター伴奏の版によってさらに親密なものになっていたり、
「シェリングのバッハは今聴くと演歌だ」とか(失礼!)、
アルゲリッチの戦車のような突進力にのけぞったり、
ホロヴィッツのベートーヴェンの底知れぬ静けさに引き込まれたり、

そんなことを高校からの友人とメールしながら見ている。


もちろん目当ては、カルロス・クライバーです!



それではまたのちほどー

ことば①

2009年01月09日 00:37

改めて今の自分に問いかける言葉たち。




「結局は自分たちの時代の自分たちの感性による音楽をしなければならない」(武久源造))



美しさは音楽の持つ特質のひとつではあるが、全てではない。(ニコラウス・アーノンクール)



音楽が、そこで今生まれている。われわれは驚きとともにその瞬間に立ち会っている。われわれは彼らを介して音楽と、切断された時間と繋がることができる。音楽そのものの持つファンタジーがそこにはある。(グールドとアーノンクールの音楽に関して)



ひとはことばでかんがえる。思想はことばではなく、ことばも思想ではないが、とりとめもなくとびちろうとする思想を繋ぎとめるのはことばである。(高橋悠治「ことばから音楽へ」)



ことばは批判である。世界を前にして沈黙をまもりきれないとき、ひとはかんがえはじめる。言葉は世界に向かって打ちこまれる。それはひらかれた不確定な部分をもっている。その部分が変化する状況に対応するのだ。(高橋悠治、同上)



For me sound was the hero, and it still is.
I feel that I am subservient.
I feel that I listen to my sounds,
and I do what they tell me, not what I tell them.
Because I owe my life to these sounds.
Right? They gave me a life. (Morton Feldman)




♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



もう少ししたら雪がふってくるのかな。

明日も全ての人に祝福を。

シェーンベルク『主題と変奏』、アドルノ。

2009年01月09日 00:02

ほとんど毎日登場いただいている米さんから、シェーンベルクについてコメントをいただいた。
(いつもありがとうございます)


今日はシェーンベルクについて。


一度だけ、シェーンベルクを演奏した。



『主題と変奏』


実をいうと、僕はなんとしてもシェーンベルクを演奏したかった。

といってしまうとエゴになってしまうのだが、シェーンベルクを演奏しなければならないような、私憤のような義憤のような、当時はそんな得体の知れない感情と、未だ解けざる「謎(≒問いかけ?)」に対しての衝動のような気持ちがあった。



僕の(ささやかでいて結構迷惑な)夢だった。



以下はそのコンサートに寄せたプログラムノート。
少し長いがお付き合いください。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



1951年に没したアルノルト・シェーンベルクは、その少し前にこう語った。「あと50年もして、人々が私のことを何者かわかるといいが」と。


「20世紀の音楽に最も影響を与えた人物」、12音技法を伴って彼はそう呼ばれる。「今日、世間一般にはシェーンベルクは革新者、いやさらにはある体系の発明者として思われている」とアドルノは述べる。


では、シェーンベルクとは何者だったのだろう。シェーンベルク自身は、自らを作曲家、それも感動的な傑作を書いた作曲家であると思っていた。けれども彼の作品は常に喧騒と野次の中にあり、彼の考案した12音技法はセリーの技法へと発展し独り歩きしていくのに対し、彼の作風は常に様々な矛盾と対立し足止めを喰らい続けていた。死の11日前、ダルムシュタットで行われた『黄金の仔牛のまわりの舞踏音楽』の初演で初めて熱狂的な拍手を受けるまで、シェーンベルクはそういったものには無縁の作曲家であった。実際に、50年以上が過ぎた現在においても、シェーンベルクの作品に触れる機会は少ない。名こそ知れ、CDショップの彼のコーナーは閑散とし、演奏会で彼のプログラムを見ることも決して多くはない(思い立ってオール・シェーンベルク・プログラムなどを決行してしまうと、今度は客席が閑散とすることになる)。


しかし、そのような事実が、シェーンベルクの作曲家としての能力の欠如を示すものではない。アドルノは、シェーンベルクの作品を「最後まで作曲し尽くされ」ていると述べ、このように綴っている。


実際、シェーンベルクの音楽は、最初から能動的かつ集中的な共同遂行を要求する。すなわち、同時進行の多重性に対する最も鋭い注意、次に何が来るかいつも既にわかっている聴き方というありきたりの補助物の断念、一回的な、特殊なものを捉える張りつめた知覚、そしてしばしばごく僅かの間に入れ替わる様々な性格と二度と繰り返されないそれらの歴史を正確につかむ能力などを、それは要求する。(略)彼の音楽が聴き手に贈るものが多ければ多いほど、彼の音楽は同時にますます聴き手に受け入れられなくなる。


シェーンベルクは作曲家として聴き手に何も訴えかけないのではなく、あまりにも過剰に求め、与え過ぎるのであり、そのために遠ざかるというアドルノの言葉に意を得るところは多いだろう。我々受け手の側が受動的に接することでこそ、シェーンベルクの音楽は輝きを増すのである。


『主題と変奏』は、シェーンベルク唯一の管楽合奏のための音楽である。この作品には管弦楽版も存在する。1943年、アメリカのスクールバンドのレパートリーの拡張と、シェーンベルクの作品の普及という名目での出版社の要請に応える形で作曲されたこの作品は、その構造の複雑さから、アメリカの当時のアンサンブルの技術能力を超えるものであったため、演奏されることが困難であった。作曲者自身によって発表された管弦楽版のほうが初演が早く、1944年にボストン交響楽団(クーセヴィツキの指揮)によって行われた。結局管楽合奏版はそれに遅れること2年の1946年に、ゴールドマン・バンドによって初演されることになる。


作品43『主題と変奏』についてシェーンベルクは、調性を用いて作曲していることから作品目録からは外すように指示したと言われるが、彼自身、名人芸を駆使したこの作品を楽しみながら作曲したと言う。作品は主題の後7つの変奏をはさみ、フィナーレに向かう。その間2度のフェルマータをはさむ以外は寸断なく音楽は進行していく。主題は細かなパーツに分けられ、それが12音技法的な変奏の仕方で顔を覗かせながら、常に音楽を生気づける。また、楽器の使用法でも音色旋律的要素をふんだんに織り込みながら、斬新な組み合わせを選択している。管弦楽版と比べても、平易になっていない分、シェーンベルクの飽くなき探求と意欲的な姿勢が管楽合奏版には表れている。作曲から60年が経過した現在においてもなお、他のいわゆる「吹奏楽」作品とは一線を画す傑作であると言えるだろう。



西暦2000年にシェーンベルクはどのように受け止められているかという興味深いラジオドキュメンタリーを制作したのは(1963年)、彼のピアノ作品を全曲録音したピアニスト、グレン・グールドである。グールドはシェーンベルクを、伝記的意味合いではなく音楽的意味合いから、「この世にあった最も偉大な作曲家のひとり」と評価している。


20世紀を良かれ悪かれ束縛したシェーンベルクの引力は、確かに薄れはじめている。しかし、だからこそ今、我々は純粋に彼の音楽を聴く耳を持てるのではないだろうか。この謎めいた作曲家の業績を受け止めたその彼方に、我々の「これから」の音楽のかたちを、見ることが出来るはずである。


(2003年3月、 ensemble_TSUKUBA コンサートプログラムより)


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


上記に引用したアドルノの言のなかで、特にこの部分が素晴らしい。


彼の音楽が聴き手に贈るものが多ければ多いほど、彼の音楽は同時にますます聴き手に受け入れられなくなる。


シェーンベルクの音楽を巧みに表現していると思う。

この言葉は、音楽と演奏、聴取の問題について、非常に興味深い。



彼の音楽には、「予定調和」というものは存在しない。


聴き手は常に音楽が生まれ、また生まれ変わる瞬間と対峙する。
その音楽は豊穣で、それでいて間隙に満ちている。



音楽が、聴き手の受動的な「作法」によって完結する――シェーンベルクは、「彼なり」のやり方で、音楽と聴衆の関係性を取り戻そうとした作曲家である(と思う)。




彼の言葉がまた、モニュメンタルだ。

「あと50年もして、人々が私のことを何者かわかるといいが」。






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