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JOHN HARLE Children Song

2009年02月28日 08:35


東横線。


iPodで、ハール先生のソングブックを聴いていて、
改めておののいて目が覚めた。


チック・コリア「チルドレン・ソング」


とりあえず書き留めておくわけです。



ささやかに、それでいて重厚でもあり、柔らかく、鋭い。


ハール先生のソングブックというアルバムは、僕にとって行幸の作品。

サクソフォンのアルバムでは、確実に最も影響を受けた一枚。


今日さらう曲の順番変わりました…
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image/air_(再)構築に向けて。

2009年02月28日 02:02


今年の目標、というかタスクとして、image/air_の法人化を念頭に置いている。

といっても何らかの明確な事業があるわけでもなく、システムもノウハウもない。

僕が何年か前に書いた、image/air_の理念のようなものはあるが、法人化するなら、名前も含めて一切をテーブルの上に並べて、再構築していく必要があるだろう。



はじめ、起業するにあたっては、僕と佐藤の二人で行くつもりである。

もちろん誘いたい人間はもっとたくさんいる。

しかし、まだ何処かの岸辺に辿りつけるか知れない船だ。

リスクの方が圧倒的に多い船出には、たくさんの人間を乗せることはできない。
食糧だって、足りるかどうかわからないのだ。

航路が定まり、その先に堅固な港を発見してはじめて、船は大きく、より遠くへ進めるようになる。
航海士は、その時に合流できればいい。それも様々なスタンスで。


いろんな形で、たくさんの人々に「参加」してもらう企業でありたい。



加えて今回、佐藤を社長に据えることを決めた。

二人にとって、とても大きな決断になると思う。


学生が終わってからずっと、佐藤は僕を社長に見据えてきていたし、僕も自然とその流れで来ていたが、確実に企業体としての形をとるためには、その形の方が良いと判断した。

ふたりが重なり合うことで縦の強さを生み出すよりも、互いの専門性であったり強みをフレキシブルにするためにも、横の強さを活かしたほうが良い。



夢を夢のままで終わらせない。

終わらせてはいけない。


眠れぬ日々が続きそうです。












ランボォ「私の人生は祭りだった」

2009年02月27日 20:21



音楽は残酷だ。


それは突きつける。

現実とのギャップを。



音楽をする、という行為は、その、決して埋まらないであろう溝を、何とかして修復せんという作業なのかもしれない。


音楽が、あっという間に過ぎゆく時、その「時間」という分化不可能なものを共有する人々はみな、一定の尺度を伸ばしたり縮めたり切ったり貼ったりしながら、、、祭りの瞬間を見つめているのだ。




私の人生は祭りだった、とランボォは言った。



人生が祭りであったなら、祭りのような人生を送れたのなら、ランボォの言葉の意味とは逆に、幸せだろう。

それがいくら悲劇的で、地獄のような日々であったとしても。



多くの人々は、自分の人生が祭りだなんて、思えない。


単調に過ぎていく日々、繰り返す憂鬱、余暇ともいえない休日、繰り仕事、、、「夏休みのある小学校時代に帰りたい」なんてミスチルが歌い、誰かが「でも帰れない」と返す。そんなことはみんな知っている。



しかし音楽が。


例え一瞬でも、そこにまばゆいばかりの命の輝きを見せるのなら、遠い昔に聴いた祭囃子を引き寄せるのなら。



だから音楽は、残酷だ。




そんなことを感じた演奏会の時間だった。


(演奏会自体の感想ではないです、あしからず。演奏会は盛況でした)


Ensemble CLARTE & SEVEN Stella ジョイントリサイタル@杉並公会堂







創造の過程に グレン・グールドの音楽14

2009年02月26日 01:09


5 グールドと伝統、その隔たり



 時に聴き手を仰け反らせるような演奏を生むグールドのやり方、一見すると、同じく楽譜を改竄、もしくは極端に伝統と個に由来する解釈を音楽史に押しつけたロマン主義的な概念と似ているが、けれども両者のその方向性は大きくずれている。
 グールドはソリストを添えてのコンチェルトのスタイルやコンクール等の競争の論理を忌み嫌っていたが*、一方で、自らの演奏は伝統的な音楽解釈による演奏の否定であるとも捉えていた。

 当時の伝統的なヴィルトゥオロジー達のバッハ演奏について、グールドはこう苦言を呈している。



 ペダルの使用までは言わなくとも、ピアノでバッハを弾く人たちの大半は、音楽に弧線をつけすぎている。強弱のフレージングを強調し過ぎている。そうすることで、表情に富んだ効果が手に入ると思いこんでいるんです(モンサンジョン)。



 バッハの「専門家たち」、大衆にバッハを注目させた人たち――カザルスやランドフスカといった人たち――の演奏ときたら、大層なルバートをつける。事実、彼らのアプローチは、基礎がロマン派の感受性でバロックと溶け合っていて、思うに、あの世代にとって魅力的だったのはそのせいじゃないか(略)――といっても、ぼくには本当のバッハじゃない(コット)。



 また、モーツァルトの『ピアノ・ソナタ11番 イ長調 K.331』の第3楽章、有名なトルコ行進曲のテンポ設定には「完全に確信があるとは言えません」としつつも、設定の根拠のひとつとして「わたしの知るかぎりではともかくそれまでだれもあのように弾いた人はいなかったから、少なくともレコードにはなかったから」(GGR)とも告白している。



*「協奏曲を弾くというということはどんなものでもほんとうはあまり楽しいものではないのです。一番わずらわしいことは協奏曲をめぐる競争的な、対比的な雰囲気です。たまたまわたしは、諸悪の根源は一般にお金ではなくて競争にあると信じていますが、音楽ではそうした競争心が協奏曲に完璧なかたちであらわれています」(GGR)。また、「コンクール落ちこぼれ候補からひとこと!」(GGR)を参照のこと。競争の原理がもたらす功罪について、シェーンベルクは1919年にアードルフ・ロースが編纂した<芸術庁設置基準>の<音楽>の項第2条に「公開の演奏活動の決定的な過ちは競争である」と書いている(ヴィリー・ライヒ『シェーンベルク評伝――保守的革命家』)。



髪を切る。

2009年02月25日 19:05

これから髪を切りに行く。

居酒屋の店長時代のお客さん。


新人だった女の子がスタイリストにデビューするという。


月日は過ぎ行く。



美容師、理容師という職業は、思えばサービス業として非常に繊細な職業だ。

ひとりのお客様に対して向き合えるかどうか。


その姿勢は音楽関係の所作にも、大きな示唆を与える。



果たして我々が向き合わなければならない対象とは?


そもそも我々とは何者か?


今どこにいるべきなのか?



気ばかり焦る。


しかし時間は待っててくれない。

創造の過程に グレン・グールドの音楽13

2009年02月24日 23:32


4 対位法とフーガ


 ここに見るモーツァルトのピアノ・ソナタにみるアプローチは極端な例だが、グールドが一貫性や統一感を考える、つまりは曲の全体としての構造を見るとき、もっとも重要視したのが対位法的な考え方であった。
 グールドにとって、「音楽とは…対位法的に、もっと分割可能な何か」(モンサンジョン)であった。
 対位法とは、「いくつかの旋律線とその累積の技法」(ビッチ/ボンフィス)である。
 彼は自ら製作したラジオ・ドキュメンタリーにも応用したように*、音楽の分析についてもそれを導入した。

 「線的な独立の感覚、複数の動機が同時進行で印象を与えていく感覚が、私の人生と私の音楽との関係において特に重要な役割りを果たしてきた」(GGSL)。

 例えば、彼が死の年に録音したブラームスの『ラプソディ ロ短調 作品79』の第1番では、とりわけその冒頭に、リズムの躍動や旋律線を活かすよりも、偏りをなくすことで右手と左手の応答や主題の音域の移り変わり、独立性といったものを明確にし、疑似対位法ともいえる構造を立ちあらわしている。
 グールドの手によって、ロマン主義的な解釈は洗い流され、ブラームスに新たな顔が与えられた。

 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の多重録音にもその傾向は表れている。
 彼はこのヴァーグナーの絢爛豪華な作品からオーケストラの音響とがなりたてるフォルティシモの誘惑を取り払う。
 彼が露わにしたかったのはやはりその対位法的構造である。
 コーダの多重録音による(元来弦楽器に書かれた音型の)めまぐるしいまでの対位法が、その形式だけで十分な興奮を与える実例になっている。


 グールドは、バッハこそ対位法構造からの分析による演奏が最も望ましいと考えていた。
 旋律線や低音線の強調といった単旋律的演奏、ルバート等の、構造を見えづらくするような効果(そこには<ピアニスティック>な効果も含まれる)を嫌い、アーウィン・ボトキーが著した『バッハ鍵盤曲の解釈』を「ロマン派の人たち全てがそうであるように、彼は動機に敏感になっている」(GGR)と切り捨てている。
 「バロック建築の化粧しっくいの細工には微に入り細を穿って語りながら、その細工が施されている本体の柱のことはほとんど述べていない」(GGR)。
 グールドは、その本体の柱、そしてその建物全体をわしづかみにすることを望んだのだ。




*『北の理念』では、3人の登場人物に同時進行的に語らせ、一つの印象を聴き手に与えようとしている。


skypeを使う、世界はフラットか、やはり丸いか、未来に対しての覚え書き、「菜の花畑の笑顔と銃弾」。

2009年02月23日 23:46




友人から本が届いた。

『フラット化する世界』。

このブログの以前の記事を読み、送ってきてくれた(経費で)。


直感的に感じていたような物事をロジスティックに考えるきっかけになるだろう。

久しぶりに読み応えがありそう。




そうしていると、まさにトレンディなタイミングで、skypeが鳴った。

ベルギーから嬉しい電話をいただく。


<競技場は均(なら)されている>とトーマス・フリードリヒマンは書くが、
もしかしたらそれ以上に、世界は圧縮されているのかもしれない。




けれどその電話で、改めてヨーロッパと日本の音楽事情の違いを思い知る。

やはり世界は丸く、そして遠いか。




「さあ、われらの畑を耕そう」というカンディードの言葉を通奏低音にする、ジョアン・シェフ・バーンスタインの著作、『芸術の売り方(原題"ARTS MARKETING INSIGHTS The Dynamics and Retaining Performing Arts Audiences"』を読み返していた。

アメリカを中心に、様々なケース・スタディを編んだこの本について、なるべく早いうちにこのブログで取り上げていきたい。

そこには、丸く遠い世界を近づけるための方法論が記されている。




<メモ>

societyという文脈は日本にはない
カザルスホールの閉鎖
意欲的プロダクションと開催場所
音楽とフランス料理・京懐石
ブランドを作るには、継続すること
収支の問題
寄り合い文化、mixi
コンサートの作り方、聴衆も含めたコンサート制作の流れ
プログラムの組み方、配置ひとつで変わる
アクションと社会的責任、アカウンタビリティの問題
アルス・ノヴァはいくらかかるのか
伝えたいことが、伝わるためには
室内楽と聴衆の幸せな出会い
キャパシティのミスマッチをなくす
1000円という区切り、1000円だからできること
ハコを飛び出せ、場を見つけ出せ
最終的な目標は、やはりハコを創ること
経済が停滞しているからこそ、着実に力を貯められる
現在の自分の選択を正しかったと言えるのは、未来の自分だけ




NHKで「菜の花畑の笑顔と銃弾」というプログラムをやっていた。

アフガニスタンで懸命に生き、銃弾に倒れた青年、伊藤さんのについてのドキュメンタリー。

遥か遠く、テクノロジーの恩恵も受けないアフガニスタンで、水路を伸ばし、荒廃しきった土壌を耕し続けた青年の生き方に、心を打たれた。


種を蒔き続けた彼の命は、確かにかの地で息づいているのだろう。



創造の過程に グレン・グールドの音楽12

2009年02月22日 22:56

 グールドをグールドたらしめるのは、この徹底的な<選択>にあった。

 裸にされ、吟味され尽くされた音楽は、改造された乾いた音のピアノとともに、新しい形<フィギュア>を与えられ、現実の空気を震わせることになる。

 グールドの<選択>の一例を見てみよう。
 K.331の第1楽章、第5変奏のアダージョの指示は、曲の持つ一貫性とその統一を期して、アレグロにも近いテンポに変更された。
 グールドの選択したテンポ設定は、モーツァルトの指示を無視、あるいはこの演奏者の作曲の領域への<侵犯>ともとれるものである。
 モンサンジョンの言う「奇妙なテンポ」(モンサンジョン)は、バザーナのメトロノームに拠るとこのようになる(GGPW)。


  主題(andante grazioso 6/8) ♩=20
  第1変奏 (6/8) ♩=29
  第2変奏 (6/8) ♩=31
  第3変奏 (6/8) ♩=33
  第4変奏 (6/8) ♩=47
  第5変奏 (adagio 6/8) ♪=97
  第6変奏 (adagio 6/8) ♩=167



 変奏毎にテンポを上げていき(次第に上がっていくのではない)、作曲家の発想(=記譜)を無視してでも自らの構想を通したこの録音を、バザーナは、「実はこれはある特定のスコアに新しい意味を与えようとするグールドが、もっとも強く自分の意見に固執した解釈の例」(GGPW)としている。
 確かに、後半部に第5変奏のようなアダージョがあると、学省全体に、何処かぎこちなく、全体のバランスが崩れてしまう。

 グールドはモンサンジョンとの対話のなかで、このソナタの演奏に対する自らの見解を述べているが、それに拠ると、グールドはこの演奏を通して、ヴェーベルンがバッハの『リチェルカーレ』に行ったような「精密な精査」をモーツァルトに対して行ったという。

 それはつまり、「連続する変奏それぞれが、その一貫性に回復するために働き、その務めに集中すれば、装飾的なごてごてした要素のようには見えなくなるだろうという考え方です」*。
 グールドは聴き慣れた冒頭の主題を演奏するにあたって、極めて遅いテンポを採用し、その形<フィギュア>がまるでばらばらに分解されてしまったかのようにレガートを排した。
 そこに、われわれは伝統的にいわれるメロディック・スラーやメロディック・ルバートといった言葉のかけらも見ることができない。
 けれども、全くの裸になった主題は、聴き手に驚きと集中を与え、それ以後繰り広げられる変奏との有機的なつながりを意識することを喚起する。

 変奏を経るに従って滑らかになるアーティキュレーションは、まるで今、眼の前で生まれている音楽の存在を、われわれに教えているようでもある。そして何より、美しい。
 冒頭の主題は、すぐにもほどけてしまいそうな、極限の繊細さに包まれている。


創造の過程に グレン・グールドの音楽11

2009年02月21日 16:50

 グールドはピアニストとしてのキャリアのなかで、ウイリアム・バードやギボンズといったバロック以前の音楽から同時代の音楽まで幅広い時代に跨ったレパートリーを持っていた。
 彼がまだコンサートを行っていた頃にも、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンといったお決まりの作曲家とともに(その中でもどちらかといえば<マイナー>な作品)、アルバン・ベルクのピアノ・ソナタ作品1や、ヴェーベルンの作品27、そしてスクリャービンのものを好んでステージに乗せていた。
 彼はドイツ・オーストリア圏の伝統音楽史を縦断した(例外は、初期ロマン派の作曲家によってもたらされた作品である)。前述したような問題は、彼には当てはまらなかったのだろうか。
 
 
 結論から言えば、まったく当てはまらなかった。
 
 何故ならば、彼の分析、スコア・リーディングは唯一の一貫した方法しか持たなかったからだ。
 それは、<全ての楽譜をバッハ的に読む>という行為から為されたのである。
 

 楽譜の解体と再構築という行為が、グールドの創造過程に成されている。
 彼にとって必要なのは、音楽を音楽たらしめる原理、即ち構造であって、つまりは音高とリズムであった。
 バッハの鍵盤音楽の楽譜には、フォルテとピアノ(繰り返すが、現代的な意味合いで用いられたわけではない)、スラーが辛うじて見て取れる記号であり、アクセントやスタッカート、クレッシェンドなどのほとんどは、死後のマンハイム学派によって固定化されていった指示記号である。
 けれどもグールドにはそれで十分であった。
 音楽の垂直方向と水平方向の指針さえ示されていれば、そこから先は演奏者の、音楽家の役割であったのである。グールドにとっても想像の円環を成した『ゴルドベルク変奏曲』にならっていえば、主題は作品であり、彼の演奏はその変奏であった。

 アーティキュレーションや表情記号、テンポ表示といった二次的な概念を取り去られた裸の状態の楽音、素材は、グールドの中で一から吟味しなおされる。
 そういった演奏の指示を取り払われることで、音から、そして音楽から歴史的な文脈が取り払われ、それが所属していた時間軸から解放されるのだ。

 楽器から、そして時代からも離れての作品の分析。

 グールドはキミコ・ナカヤマへの手紙のなかで、19世紀後半の、「非常に細やかな記譜法と、楽器に対する非常に具体的な嗜好が創作の一部となっている」作品と比べて、バッハの音楽は「精密な構造と即興性とが奇妙に結合しているため、演奏家は自分の個性を発揮できる勇気を与えられる」と書いている(GGSL)。
 もちろんその自由は演奏者に全権委任されているものではない(この場合は「バッハの音楽ににじみ出ている基本的な哲学的かつ(あるいは)宗教的態度」と「具体的な対位法構図」であるとしている)(GGSL)。

 自由は構造によってもたらされる。
 表現は構造によって決定され、それに従属することが求められるのである。

 ピアノの使用という決定も、この結果なされたものであるだろう。
 ピアノがグールドを選んだのではなく、グールドがピアノを選んだのだ。

『平均律クラヴィーア』などバッハの作品のいくつかを、グールドはテレビやラジオでの放送のためにハープシコードで弾いている。テンポやアーティキュレーションを変更していくつかのヴァージョンを演奏し、作品の新たな一面を発露させたように、この場合も、音楽の可能性の探求ということができよう。
 彼はその気さえあれば、オルガニストにも成れたのである。

つくば行き高速バスが850円。

2009年02月21日 09:55


しかも筑波大学中央までいくんですね。時代は変わった?


学生時代何百回も乗ったバス。


関東鉄道のデザインも変わったな?。


という訳で、練習に向かうわけです。



グスターボ・ドゥダメル、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

2009年02月21日 00:45


またまたふと観た教育テレビで凄いプログラム。


グスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ。


とても興奮したので、少しだけおすそわけを。


最初「ダフニスとクロエ」を演奏しているのを観て、でかい編成だな?なんて思ってたら。


惹きこまれた。チャイコフスキーのシンフォニー(ずっと苦手なのに)。


そしてアンコールのウエストサイドのマンボで仰天して、

ヒナステラのエスタンシアで、引っくり返った。



音楽へのたぎるような情熱と、いのちへの喜びがあった。




シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラについては、ウィキペディアに詳しい記事がある。→参照


貧困や犯罪にあえぐ青少年を、音楽によって更生させ、健全な社会生活に戻そうとするベネズエラのユース・オーケストラの中でも、選抜されたメンバーで組織されたオーケストラ。



グスターボ・ドゥダメルは、そのオーケストラに14歳から参加、17歳から音楽監督となり、今世界中で話題を集めている指揮者だ。



以下は、ユニヴァーサル・ミュージックの日本語サイトから、ベートーヴェンのシンフォニーに対してのコメントを引用。


音楽が人生を変え得るという絶対的な信念は、ベネズエラでの音楽のアプローチと演奏スタイル両方に影響を与えている。ドゥダメルにとって、ベートーヴェン以上にこれを典型的に示している作曲家はいない。「ベネズエラでは、ベートーヴェンはシンボルなんだ。若者たちにとってベートーヴェンの音楽は非常に重要なものになっている。全ての人にとってそうだけど、若い人たちには特にだ。プロのオーケストラはこれらの交響曲を何百回も演奏している。僕たちにとってこれは新しい音楽で、音楽の新しい視点だ。なぜなら演奏家の頭には、既存のバージョンというものが存在しないからだ。「交響曲第5番は、単なる音ではない。オープニング・モチーフは誰もが知っている。それは運命であり、宿命であり、全ての人にとって何か重要なものなのだ。説明の必要もない。それは音の中にあり、聴けば感じることができる。この交響曲は怒りで始まる。しかし終わりまで展開に沿って演奏して、最終楽章まで来ると、そこには希望がある。」「聞けば音楽の中にそれを感じることができる。多くの子供たちは貧しい家庭からきている。彼らは犯罪、ドラッグ、家庭の問題などひどい体験をしてきている。でもこの音楽を演奏するとき、彼らには特別なものがある。みんな希望を分かち合える。なにか驚くべきものになるんだ。」




穿った見方でなく、純粋に、このオーケストラと指揮者は、このままでいてほしい、そう思った。


友達の家で観た、ルツェルンがアバドと演奏したマーラーの2番を観た時にも、同じようなことを思った。



音楽は、時間に関係した作業だ。

しかし、時間とは連続した直線ではなく、瞬間の連なりである。


瞬間、瞬間を全力で生き切ろうとする想いにこそ、そんな演奏=作品=音楽にこそ、聴く者の魂を揺さぶるエスキスが、含まれるのだろうなと、思った。


それは、僕が、アマチュアでも演奏に関わる以上、決して忘れてはならない、自分自身へのクレドでもある。


心に水を、楽器に油を。シベリウス『弦楽四重奏曲 作品4』

2009年02月20日 01:32




何年振りかに、サックスにキーオイルをさした。


毎日楽器を触ってた時は、ほぼ毎週やってた作業。


何年もケースにしまいこんでた楽器に、少しずつなじんできた。





シベリウスの6番の冒頭を聴いて、なにがしかの映像(のようなもの)を喚起させられる人は多いはずだ。


以前、吉松隆の交響曲第3番の初演を聴きに行ったとき、聴衆のあちこちから、「なんか映画音楽みたいだね」という声が聞こえたのを思い出す。





記譜するという作業は、作曲するという作業と同じくらい大切だと思う。

それは、世界を固定化するという作業。


「美しい楽譜は、それ自体が美しい音楽だ」



フェルドマンの楽譜は、それ自体が芸術的だという。


最近、数学を専門にする友人に、数式というものの概念を教えてもらった。


もしかしたら、その所作と似ているのかもしれない。





「のようなもの」という感覚。


言葉では語り尽くせないもの。

写真では捉えきれないもの。

絵画では描ききれないもの。

数式では固定しきれないもの。


プルーストが、あれだけの文字を連ねてもあらわしきれなかったもの。





音楽は、徹底的に不完全で自立不可能な存在だ。


音楽は、徹底的に周縁的な存在だ。


音楽は、だからこそ本質になりうるのかもしれない。





シベリウスの弦楽四重奏曲 作品4を聴く。


瑞々しさ、希望、夢、生の躍動・・・そういった、「若さ」のようなものを感じる。



10年前に初めて聴いたときとは、おそらく違う感覚だ。





音楽を演奏するという作業は、作曲家から聴衆に、音楽を譲り渡す作業である。


そういった文脈では、音楽を奏でているのは、結局は聴き手なのかもしれない。


マドレーヌから溢れ出す記憶のように、音楽は聴く者の何処かから、何者かを呼び覚まさせる。


聴き手に喚起されるイメージは、聴き手ひとりひとりの<何処かにあった>イメージを超えない。



そう考えれば、聴き手に代表される<人間>というものの存在が、いかに途方もないものかと思える。





シベリウスの弦楽四重奏曲 作品4を聴く。


改めて、自分が音楽に渇望し続けていることに気付いた。




創造の過程に グレン・グールドの音楽10

2009年02月19日 22:07


3 <楽譜をバッハ的に読む>


 ここで再び、記譜法の変遷に触れておく必要があるだろう。

 楽譜は、18世紀の人々にとっては、作品の原理を表すものに他ならなかった。それがマンハイム学派を経て19世紀には、演奏の作法を表すように変化した。
 その間、原則的な書法については、五線というフォーマットに様々な記号が付け加えられているようになったのみである(それすらも、現代の文脈で読むことにはいささかの誤謬が含まれている)。

 19世紀のロマン主義を通して、それ以前の音楽を読もうとする風潮、伝統と、それに対しての反駁は先の章で述べた。
 アーノンクールは、「モンテヴェルディのオペラの一場面ないしはグスタフ・マーラーのある交響曲のように、本質においても様式においても全く異なった音楽が、<同一の>音符で書かれているということは、まことに驚くべきことではなかろうか」と述べ、その応用にこのような見方を示している。


 一、<作品>、すなわち作曲されたものそれ自体が書かれている――したがってその<再現>の詳細に関しては記譜法から知ることができない。
 二、<実施法>が書かれている。その場合、記譜法は同じ<演奏の指示>である。つまりそこでは(第一の場合のように)作品の形式や構造を示すことはない。前者の場合、作品の再現は別の情報から解明されねばならないが、ここでは可能な限り再現(演奏)が示される。この場合は<そのように>演奏されるべきなのであり――そうすることにより作品は上演に際していわば自分から姿を現わすのである。(MK)。



 われわれは今一度、バッハの『音楽の捧げもの』の「6声のリチェルカーレ」のオープン・スコアと、小編成の器楽合奏のためにヴェーベルンが編曲したものに立ち返ろう。
 バッハの原曲でははじめの4小節間に、ハ短調の<王の主題>が置かれている。
 ヴェーベルン版のそれにあたる旋律は、トロンボーン、ホルン、トランペットと、マーラーの点描的オーケストレーションを更にすすめた語法で吹奏される。
 バッハはこのリチェルカーレでは、楽器(=音響)の指定すらせずにその原理を書き留めており、アーティキュレーションや店舗の指定もない。
 ヴェーベルンの手になる再創造とも言えるスコアでは、詳細に<演奏の指示>が付け加えられている。

 演奏への指示は原理と違い言語化することが可能である。
 すなわち「トロンボーンはピアニッシモからト音に向けクレッシェンド、そしてホ音へとディミュニエンドを、テヌートで吹奏する。二分音符がおおよそ60のテンポで。少々のルバートを掛けながらピアノでホルンがテヌートで、次にトランペットがスラーでディミュニエンドを伴いながら相次いで登場し、アタックの音色旋律的なハープとともにホルンがアクセントを付けて奏する」(5小節目まで)、となる。

 それではバッハの譜面はどのように演奏されていたのか。
 ひとつには、バッハが自ら演奏したので、指示などは必要なかったということがいえよう。ジャズにおけるテーマのメモ書き程度で、バッハは自由に演奏することができた。
 もうひとつには、一般に通奏低音のように、こういった音形はどのように演奏されることが望ましいかという演奏習慣があったのである。
 厳密に装飾法に指示を与えていたフランス・バロック、とりわけラモーの例はあるが、習慣は常識として記譜の際には除外されたのである。

 19世紀になって楽器や作風の変化とともに、演奏者は彼らの時代の風潮、いわゆるロマン主義的な発想をもってこれらの古楽の演奏にあたり、それが20世紀にいたるまでの伝統となったのだが、現代の古楽奏者の風潮は、どうだけ作曲当時の演奏習慣に習熟するかということに取り組んでいる。
 読譜方法から楽器、演奏技術と全く異なるこれらの音楽を演奏するには、連続する演奏の伝統とは全く異なった発想(古楽器の使用も含む)、技術を用いなければならないというのが古楽奏者の言い分である。

 アーノンクールに言わせれば、「17世紀のヴァイオリン奏者で、例えばブラームスの協奏曲を弾けたものはいないだろう。しかし同様に、ブラームスが弾けるヴァイオリン奏者で、17世紀の難しい作品を申し分なく演奏できるものもまたいないである」(MK)。

 

創造の過程に グレン・グールドの音楽9

2009年02月18日 23:28


2 分析の作法


 グールドがはじめてシェーンベルクの音楽と出会ったのは、アルベルト・ゲレーロのレッスンにおいてである*。
 グールドはこのチリから来たピアニストに、シェーンベルクの音楽のみならず、演奏に書くことのできない分析の作法を学んだ――「12の歳から私は、これからひかなければならぬ作品は、どんな作品でも分析し記憶するように命じられました。そのあとで、それを試みるためにピアノに向かうことを許してもらえたのです」(モンサンジョン)。
 
 グールドはプロのピアニストとしてのキャリアをスタートしてからも、演奏に対してのそのような分析の作法を変えなかった。
 楽器から離れ、物理的な束縛から離れることで、彼はスコアに記された音符の彼方にある音楽そのものと関係を結ぼうとする。
 彼が触れるのは鍵盤ではない。
 知覚を越えた、形而上的な音楽の理想的な形こそ、グールドは従おうとした。
 

 また、彼が(恐らくは分析の結果)記憶していたのは、ピアノ作品だけではない。

 『27歳の記憶』ではシューベルトのシンフォニーやブルックナーの弦楽五重奏のための曲を暗譜で弾いているし、ヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウス、シベリウスのオペラや交響曲のほとんどはピアノで弾くことができた**。


 この章の冒頭で見たようなグールドの演奏の際の身振りについて、この文脈から考察することができる。
 グールドの内奥の音楽に対するイメージは、ピアノに収まりきれるものではなかった。
 彼はピアノの音響を削り取ることで自らの理想の響きを追求すると同時に、その指揮の身振り、呻き声にも似た歌を付け加えることで、音楽が要求する真の姿を立ち顕わそうとした。
 彼はモーツァルトの後期ソナタに導入される演劇的要素を軽蔑していたが、自らのおよそ鍵盤奏者らしからぬ素振りには意を介さなかった。
 「ああいう風にしないと、演奏が絶対的に劣化してしまう」(コット)。
 モンサンジョンの手によって制作されたバッハのフーガ演奏のフィルムで、その度に弾いていないほうの手でフーガの主題を指揮している姿を、彼は少々の自嘲を持って語っている。
 「これは気取りではありませんよ。自分を抑えられないんです(略)これなしでは私には、一体どうすれば音楽を表現すればいいかわからないでしょうね」(モンサンジョン)。
 
 彼はピアノから<ピアニスティック>な響きをそぎ取ってもたらした<中性的>な性質に、他の楽器からのインスピレーションを加味してやることで、フレーズに生命をもたらしていた。
 シュネーデルはこう言う。「ピアノではなく、まるで弦楽四重奏、オルガン、ハープシコードのようにピアノを弾き、ピアノ固有の音色を成立させる要素を忘れ、チェロのフレージングを追い求め、「運弓法」の力でなめらかにつなげなければならないのだ」(シュネーデル)。
 彼が弾いていたのは一台のピアノであったが、グールドはその観念上の音楽を具象化するために、弦楽器や管楽器の持つ旋律線を形作るメカニズムを導入しようとした。

 
 私は、青年期を過ぎてからは、鍵盤楽器としてのアプローチよりも、オーケストラや弦楽器の音をいつも心に描きながらやってきました。ふつうは、ヴァイオリンや、左手の場合はチェロにふさわしいフレーズをかさねあわせていくわけです(『グレン・グールド ピアノを語る』ジム・エイキン聴き手)

 
 『イタリア協奏曲』の第2楽章では、曲を通じて聴かれる1拍目の裏と2拍目のヘ音域に彼がイメージしていたのは通奏低音楽器(この場合はヴィオラ・ダ・ガンバ)を伴うチェンバロ、ト音域の三度和声進行はヴァイオリン、メロディーはオーボエ(逆もあり得るかもしれない)といった、少なくとも5人の奏者をグールドは演じ分けている。
 もちろんこう言うわたしのなかには『ブランデンブルク協奏曲』のような合奏体があるのだが、グールドの意図もおそらくはそこにある。
 
 『27歳の記憶』には、冒頭部を忘我の状態で指揮をしながら演奏するグールドの姿が残されているが、あたかもそれは左手の5本の指にそれぞれ別の人格がおり、それに個別に指示を与えているようである。

 
 私は、よく、ピアノをひきながら、指揮者のような仕草をするそうですね。あれは、実際は、自分のなかに、一連の想像上の情景を作りあげているんです。たとえば、もっとよいフレージングを作り出させるためには御機嫌をとってやらねばならぬためらいがちなチェリストの姿をね(モンサンジョン)。

 

 彼が分析の際に、どのような作法、どのような理論に根拠を置いていたかは誰にもわからない。
 グールドは分析するということ以上は語らなかったし、遺品の総譜にもほとんど書き込みはなされていない――アドルノの『プリズマン』には大量の書き込みがなされているというのに***。
 けれども、彼の発言、そして何より演奏からは彼の分析の根拠を見て取ることができる。
 それは、対位法に重きをおいた構造の重視と、作品の歴史的コンテクストからの引き剥がしである。それは、<楽譜をバッハ的に読む>という行為に結びつく。





*Stegemannのライナーノートによると、その際にゲレーロによって弾かれたのは作品11と19であった。
**ペイジは、シュトラウスのオペラを自作の編曲で弾くグールドの思い出について語っている。「グールドは夜を徹して弾いた。美しいものを創造する純粋な喜びに我を忘れて」(GGR)
***バザーナによると、グールドの分析は具体的なものによらず「すべて頭のなかでなされたようなのである」(GGPW)。例外として、シェーンベルクとヴェーベルンの作品には音列と動機を分析した形跡が残されていたようである。

村上春樹「エルサレム賞」のスピーチに思う、中川財務相の顕すもの。

2009年02月17日 00:01


作家・村上春樹氏が「エルサレム賞」を受賞した。


この賞が、社会における個人の自由に貢献した文学者に贈られる賞であること、そしてエルサレムが、つい最近まで行われた、空爆という名の市民の虐殺を行っていたかの地であることという理由から、多くの議論を呼んでいた。

村上氏がこの賞を受賞したこと、エルサレムにてスピーチを行ったこと、そしてその内容に対しては、すでに様々な論調がネット上に展開されている。

残念ながら今の段階でスピーチの全文は紹介されていないし、スピーチの内容と、それに伴う喧々諤々の流れについては、各自で参照されたい。


事前に、授賞式へのボイコットを求めた団体もあったようだが、僕は、村上氏のスピーチの中で最も大事であったのは、この言葉であると思う。



 「作家は自分の目で見ていないこと、自分の手で触れていないものは信じることができない。だからわたしは自分で見ることを選んだ。何も言わないよりも、ここへ来て話すことを選んだ。」




いろいろな向きはあってしかるべきだ。

しかし、社会に対してのコミットメントとして――もちろんそれは『アンダーグラウンド』のような直接的なものもあれば、メタファーとしてのものもあるだろう――とるならば、村上氏は逃げることなく<そこにきた>と言えるだろう。


少なくとも、<そこにいる>ということは、それだけで社会的な責任の下にあるのだ。


そしてまた村上氏の示した、「何も言わないよりも、ここへ来て話すこと」という<スタンス>は、まさしく今、私たちが選択を迫られている状況を示している。


今私たちは全ての物事に対して、<スタンス>を表明することが求められているのだ。

例えば選挙権がそうだ。

先進国の中でもずば抜けて低い投票率の国が、日本だ。

世界に対して、隣人に対して、最も関心の低い国が、日本だ。


<スタンス>は責任の表明だ。



日本人は、三度の敗戦を経験した。


一度目は、明治維新。

二度目が、太平洋戦争における敗戦。

そして三度目が、日米安保協定の発効である。


この三度の出来事がもたらした意味は、徹底した価値の転覆である。

それまで信じてきたもの、価値の根幹が、完膚なきまでに反転した。


特定の宗教を持たない日本人が、高度成長期を経て、ある種の拝金的な価値観、物質的価値観、アメリカという(核の)傘の下、新植民地主義的グローバリズムの衣を身につけた。

その結果が、過去のバブルとその崩壊だ。

「失われた10年」と言われる政治的、経済的空白はまた、バブル崩壊における四度目の敗戦とも言えるかもしれない。

しかし、そこでは、価値は<転覆>を超えて、<破壊>されてしまったかもしれない。

オウム真理教の一連の事件、神戸・須磨区に代表される猟奇殺人の低年齢化、池田小や、先の秋葉原での無差別殺人。
村上龍氏は、著書『イン・ザ・ミソスープ』に寄せる文章で、現実が小説を超えてしまっていることへの危機感を記した。

そして9.11以降、日本は一層、世界の<極東>たる場所へと引き籠っている。



村上春樹氏の話に戻ろう。

村上春樹氏も、<デタッチメント>の作家であったこともある。



しかし、我々は、もはや引き籠っているわけにはいかないのだ。



<今、ここにいること>

<自分のことばで、話すこと>


言葉とはすなわち、責任であり、自らの信じるところである。






中川昭一「大臣」のG7後の会見に対して、様々な意見があるだろう。

しかし、確実に言えることは、世界中に対して、醜態を晒したあの人物を選んだのは、他ならぬ我々自身だ。
テレビで、「恥ずかしい」とか「信じられない」と言っている人びとに。
彼を選択したのは、どのような行程があったと言え、あなただ。


「私は選挙に行かなかった」という人は、その選択にすら参加していなかったということだ。





しかし、まだ信じたいのだ。

われわれはまだ、しきりなおしが、きくということを。



シルク・ドゥ・ソレイユ<ZED>

2009年02月16日 00:37

cirque


観てきた。

CIRQUE DU SOLEIL "ZED"


圧倒されるがままの2時間。



幕が降りても、感動が押し寄せてくる。

さざ波のように、それは心の奥から、押し寄せてくるのだ。


「太陽のサーカス」が、薄暗いステージからもたらした光は、確かに想像の閾値を越えて、心に訴えてくる。


ひとつひとつの演目は、なにがしかの意味をなさない。

このプログラム自体は、基本的には古典的なサーカスを踏襲している。


しかし、パフォーマーが、自らの肉体の限りを尽くして表現してくるその「いのち」の連なりが、人間の可能性を軽々と越えていくようなその「いのち」が、「体験」として、観る者の心を揺さぶってくるのだ。




 もっと、生き切れと。いのちの限りに、生き切れと。







<Musica Proibita>雑感。豊かさ、親密さ

2009年02月15日 02:02


遅くなりましたが、2月10日国分寺クラスタに行ってきた。


<Musica Proibita>

フルート  渡瀬英彦
チェロ   宮澤等
ギター   中根康美

曲目は、ヘンデルやバッハなどを前半に、休憩をはさんでヴィラ=ロボスやピアソラ、ゲストの佐野さんの曲を挟みつつ、ペレイラのトリオといった、懐の深いプログラム。

会場の国分寺クラスタは、20人ほどで超満員といった感じ。
僕は遅れていったので入口のドアの前に陣取ったが、智哉は何とギター手前50センチというところ。


音楽は(あえて演奏とは書かない)、気ごころ知った仲という感じ。
奏者も聴き手も、1秒先の音楽を楽しんでいる。
虚勢を張るわけではない、かぶくわけでもない、あるがままの形をした音楽が、そこにある。


僕は、この三人の奏でる、彼らにしかできないようなピアソラの『タンゴの歴史』を聴きながら、コンサートの理想の状態、音楽のあるべき姿とはどのようなものなのかと考えていた。





例えば想像する。


ドイツの深い森のなか、点々とある街の、平日の夜、ありきたりな酒場。
日が暮れて仕事も終わり、明日の糧にと、人々がビールやワインを片手に談笑に興じている。
ソーセージを齧る音がする。今日はいつもより少し客が多い。年齢もまちまちだ。

奥まったステージに、ひとりの男が立った。恰幅がよく、柔和な顔つきだ。
ステージにあるアップライトのピアノのふたが開けられる。おもむろにピアニストが奏で始めた。シューベルトだ。

店の喧噪が、少し静かになる。さっきまで、ドンと音を立てて置かれていたジョッキも、心なしかそっと、優しくテーブルに戻される。

リート歌手が、歌い始めた。
言葉のひとつひとつを、愛でるように空間に置いていく。抑揚とニュアンスを豊かに、それでいて節度を持って音楽を進めていく。音楽は何も強制しない。誇示もしない。まるで自然な流れを、今日も奏で始めた。

さっきまで怒り気味に話していた人は、目を閉じ、ゆっくりと体をゆすりながら、音楽を受け止めている。
ワインをなめながら、今日の余韻を感じているものもいる。音楽に何かを重ね合わせている初老の男性が、静かに目を閉じた。

シューベルトの音楽が、そこにある。

そしてそれは特別なことではない。

最後の言葉が放たれ、ピアニストが元通りに蓋を閉じれば、拍手とともにまた先刻までの喧騒が戻ってくる。


けれどもその喧噪は、その前と比べて何処となく穏やかで、何処となく優しく、そして何処となく哀しい。





 現代のコンサートホールで2000人以上の聴き手を持つようなピアニストは、きめ細かい表現をあきらめねばならない。指はオーケストラ全体にもまけない大きな音を出す訓練をうけ、小さな音には表情というものがないものしかたがないことだ。容量のわずかなちがいによってつくられる古典的なリズム感覚は失われた。耳をすまして音を聴きとるのではなく、ステージからとどく音にひたされていればいい耳は、なまけものになった。

                              高橋悠治『家具になった音楽』



さきの<Musica Proibita>、微妙なニュアンスや音色の変化、アクセントのはね方、そんな音楽の表情や、奏者の息遣いが、手に取るように分かった。

音楽が、豊かだった。

音楽に対して、とても親密な2時間だった思う。





<Musica Proibita>、次回は3月12日、つくばカピオホールにて。

フルート 渡瀬英彦氏、チェロ 宮澤等氏が出演。

二子玉川で楽器を吹く。

2009年02月14日 19:58

今日はいい天気。

もう春ですか?


futakotamagawa

ふら?と二子玉川に行ってみた。


楽器を吹いてみる。


改めて全く吹けないことを痛感。


楽器に息の流れを作ろうとするだけで精一杯・・・

果たしてあと来月に間に合うのだろうか。


ま、焦っても仕方ないか。






高橋悠治、質、茂木健一郎、他者の痛みを感じられるか、「言いたいことを言えない苦しみを味わったほうがいい」

2009年02月13日 21:30

 
 質 という言葉に連なる諸問題。

 
 高橋悠治は、先の引用において、このように記している。

「それぞれの音符はある質を持ち、次の音符では別な質に達する。質はかかれていないから、推測しなければならない」

 また、別な個所では、バッハが西洋の伝統に属さず、孤立した「現象」である所以として、

「(バッハの)音はそれぞれちがうはたらきと質をもつから、粒をそろえずにひくべきだ。これは、粒のそろった、はやいひき方ができることに集中し、音の質をかえりみない標準的な演奏法とは違う技術を要求する」と述べる。


「音は時間と空間の中の個別点ではなく、それぞれがひとつのかたちとなる。かたちは質であり、質は態度である」



 質 という言葉。

 

 茂木健一郎は質、すなわち<クオリア>という観点から、音楽に論を運んでいる。

 シノーポリ=ウィーン・フィルによるシューベルトの『未完成』を聴いたその夜(まさしくカルロス・クライバーがドタキャンした日)を座標軸とし、音楽について言を重ねていく茂木(『全ては音楽から生まれる』)。音楽のクオリアは、「自由」であるという。彼は『未完成』の夜、このような体験をした。

 
 あの時、私の体は確かに共鳴していた。まるで身体が一つの楽器になったような気さえした。オーケストラの紡ぎ出す音が自分の中から生まれてくるようにも感じられ、音楽の生々しい躍動感につられて、心がざわめき始めた。体中が内側から響き出し、その響きとともに、体内の深い深いある一点に、手が届きそうに思われた。私自身が鳴っていたのだ。


 
 はじめ僕は、高橋悠治と茂木に親和力を覚えていた。しかしそれを越える強烈な違和感が生まれ、そして改めて高橋悠治の著作に立ち返った。

 
 高橋悠治と茂木に親和力を観たかったのは、僕にとっての幻想だった。
 1938年に生まれた高橋悠治と、1962年に生まれた茂木。
 
 その断層は余りに大きい。


 茂木は小林秀雄の『モオツァルト』を引き合いに出し、こう語る。


 音楽について、私の言葉で語りたい。自分なりにその正体に少しでも近づいて、自分のものとして音楽と接したい。


 

 ラヴェルやドゥビュッシーの音楽に、おそらくこれ以上ないほどの深い眼差しを送った「分類できない哲学者」ウラジミール・ジャンケレヴィッチは、音楽に対して、「筆舌に尽くせないもの」「言葉では言い表せないもの」という立ち位置を変えなかった。
 
 
 
 調べると、高橋悠治と茂木は、一度対談を行っていた。


 <他者の痛みを感じられるか>

  対論
   高橋悠治 × 茂木健一郎 
   他者の痛みを感じられるか
   2005年12月17日 
   東京 新宿 ICC

 茂木健一郎 クオリア日記 2005/12/18
 ここから、その音声ファイルを聴くことができる。興味がある方はぜひ。結構長い。そして辛い。



 高橋悠治は最後に言う。


  言いたいことを言えない苦しみを味わった方がいいとおもう



 
 僕はその言葉が、茂木ではなく、今僕が生きているこの世界に打ち込まれた言葉のように感じた。



 

気づいたこと

2009年02月13日 02:08


音楽の存在理由のひとつは

ひととひとが理解し合うためにあると思っていたけれど


それはつまり


ひととひとは、決して分かり合えないということ



高橋悠治に聴くバッハ、フーガト短調、シャコンヌ、トッカータとフーガ、マタイ。

2009年02月13日 00:15

 バッハは西洋の音楽にはめずらしく、完全に統合された音楽である。その音楽には、音から音へのたいへん微妙な運動がある。変化が起こるとき、きき手はそれはすでに起こってしまってから初めて気づく。バッハの楽譜は完全ではない。誰の楽譜でもそうだが、楽譜だけによって何かをつたえるのはまず不可能だ。音符のあいだの、音から音への微妙なうごきをつくるものは、どちらにしてもかきあらわされていない。音符と音符の関係は、連続性を実現するための枠なのだ。それぞれの音符はある質をもち、次の音符では別な質に達する。質はかかれていないから、推測しなければならない。かかれた部分は、家をたてるときの足場のようなもので、しごとがすんだら、もういらない。もちろん「足場」なしに、この点に到達することはできないが一度そこに達したら楽譜に精確にしたがうことは、もうたいせつではない。作曲者の意図もまた足場であり、それもすてることができる。のこるものはことばであらわすことができない。だからやるよりほかはない。
 演奏にたいするこの態度は、音楽によって自己表現するロマン的なものではなく、作曲家の意図や、時には楽譜自体を解釈する古典的なものでもない。このことでおもいだすのは、中国のことわざで、「指が月をさすとき、バカは指を見る」というものだ。

                            高橋悠治『失敗者としてのバッハ』より引用


 高橋悠治がバッハの音楽について記したこの文章はまた、作品(作曲家の所作としての)と演奏(演奏家の所作としての)との関係においても光を照射する。それはおそらく、高橋悠治が、作曲家(≠思想家)としてのみならず、演奏家としても稀有な存在であるからに他ならない。

 
 高橋悠治の弾くト短調のフーガ BWV578。まるで引力の縛りから解き放たれたように、音はそれぞれが解けてしまう限界点に踏みとどまっているようだ。
 そのひとつひとつの点描のような音は、聴き手に極度の緊張状態を強いる。音と音との繋がりや連関、ベクトルは、聴き手のこまやかな集中によってしか感じ取ることはできない。そして、その微妙な質の変化、運動こそが、バッハの音楽を極めて豊かなものにする。

 
 「演奏はなりゆきであり、完成品のくりかえしや解釈ではない」と高橋悠治は言う。

 
 演奏するとき、まずすることはきこうとし、自由な遊びをひきおこすことだ。演奏は西洋流にいえば即興のようになる。その場でその時におこらなければならないのだから。演奏者は、バッハが作曲するのとおなじ態度で演奏する。おこっていることに注意をはらい、しかも劇的効果のために音の動きをコントロールしてはならない。これは自己表現をあらかじめ排除する。それは、作曲家・演奏家・きき手がひとつのものである完全に統合された音楽的状況にたいへん近づく。演奏するのはききとることなのだ。



 高橋悠治は、ブゾーニ版のシャコンヌ BWV1004 やトッカータとフーガ BWV565 に関しても、その姿勢を崩そうとしない。高橋悠治は、ブゾーニという「19世紀的なるもの」のフィルターを軽々と乗り越える。
 高橋悠治にとっては、バッハですら「枠」や「足場」でしかない。高橋悠治はそれも飄々と乗り越える。彼にとって、テクストはコンテクストになり得ない。テクストはその都度更新される。おそらく高橋悠治は、驚きを持って鍵盤を操るのだ、音楽はその瞬間に<新たに生まれる>。

 
 先の文章に高橋悠治は続ける。


 聴衆はそこに参加し、音楽がひとりでに立ち上がるのをみまもる。音楽会やリサイタルは演奏者のただのみせびらかしではない。聴衆も消極的にきくだけではない。彼らの音楽への心づかいこそが、それをひとりでによびおこすものなのだ。



 高橋悠治の編んだ『マタイ受難曲 BWV244』から聴こえるのは、まさしく『マタイ』の生まれる過程、創造の行程だ。
 高橋悠治は、まさしくその瞬間に、バッハと重なり合っている。しかし同一ではない。
 矛盾や、人は決して完全に理解しあえるものではないということをあらわすのも、また音楽だ。
 

高橋悠治というプリズム。

2009年02月12日 03:16


高橋悠治という存在に、惹きつけられてやまない。

彼は優れて多角的で複雑なプリズムだ。

そしてそれでいて、非常にシンプルで、決してブレない。



高橋悠治というひとを、その音楽(作曲・演奏)からも聴き解ける可能性もあるし、その著作(文章・行動)から読み解ける可能性もある。しかしそれは、あくまでも可能性の問題。



高橋悠治は常に問いかける。


本当のあなたは、何者なのかということを。



平凡社ライブラリーから出版されている、
『高橋悠治 コレクション1970年代』を読み返している。


そもそも僕は1979年生まれだ。

高橋悠治が、そして世界中の人々が感じ取っていた世界と人間の危機感について、全て知る由もない。


しかし、等しく点で存在する人間など存在しないように、歴史は人間を形成する非常に重要な諸要素のうちの一つだ。


そして、それを繋ぐものが、音楽であり、言葉であり、想像力である。


高橋悠治の存在は、改めて歴史と、それに対する各人の責任においての立ち位置を明確にするようにと、無言で、あるいは音楽で、あるいはことばで、問いかける。



高橋悠治 http://www.suigyu.com/yuji/

一度でいいから、上のサイトを見ていただきたい。

高橋悠治はそこでも、矛盾しない。


否、矛盾するということを前提に矛盾していないのだ。





        世界はことばでうごかせるか
 うごかせるとしたら
    それは 世界を暴力でうごかすのと どこがちがうだろう
         いま起こりつつあることがらも もう過ぎてしまったかのように
            ことばは うごいて止まないものを 一瞬つなぎとめる
        そして ことばはことばを呼ぶ
  ことばはことばを凝視する
          そのあいだも
爆弾はことばを持たないものたちの上に 花びらのように降る

    現実は だれのものでもない
   思うままにうごかせないから 世界はある
  世界に意味があったら こんなにも多くの苦しみがあるだろうか
情報によって 知識によって はっきり見透せるものなら
          世界は こんなふうになっていただろうか
  こんな世界を ありのままに見ることは
    もうひとつの苦しみだからといっても
           なにかをしなければならないと思い
      なにかできることがあるはずだと信じて
           安全なところでうろうろしている
このありさまを見たら
        空爆の下で毎日を生きているひとびとは どう感じるだろう

 かみさま
            あなたのひこうきが まいにち やってきます
       きのうも ぼくたちのテントに
     ばくだんを おとしていきました
  ぼくははしって いわかげに かくれました
        わらって わらって わらいました
   (パレスチナの子どもの神さまへのてがみ)

                              『世界の根拠のなさについて』より一部

休日。変なCM、「かもめ食堂」、シベリウス日和。

2009年02月11日 14:21




今日は久しぶりにゆっくりの日。

体を休めて、脳みそを繰りまくろう。




眼がさめて、TVをつけたら、

CMでカッターで金属バットを切っていた気が・・・


夢?




ひさびさにフィナーレを使う。

3月の楽譜あげにゃ。

ちょっとリハビリが必要。




DVDで『かもめ食堂』を観た。

ずっと観たかった。


最初から最後までずっとにやにやしてみてたけど、

最後のプールのシーンには、ぐっときた。


コーヒーを淹れるときの絵が、とても秀逸。

「湯気」があれだけ存在感のあるものだとは思わなかった。




そんなわけで今日はシベリウスを聴こう。

とりあえずシンフォニーの6番から。




それではまたのちほど。





コンサートのススメ:Musica Proibita (渡瀬英彦・宮澤等・中根康美)

2009年02月10日 01:10

コンサートのご紹介です。

<Musica Proibita>

フルート 渡瀬英彦
チェロ 宮澤等
ギター 中根康美


ヘンデル、バッハ、ヴィラ=ロボス、ピアソラ他



2月10日(急ですが明日です)

国分寺クラスタ

19時開演

ミュージックチャージ 2000円



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


人生の、酸いも甘いも噛み分けた3人が繰り広げるアンサンブルの妙・・・

とても親密な空間のなかで、音楽の機微に触れることのできるコンサートになると思います。


もちろん僕も行きます。ちょっと遅れそうですが・・・


個人的には、渡瀬・宮澤両氏がルーマニアのナショナルフィルに招聘されたとき、
一緒にルーマニアまで連れて行かれて3週間拘束された美しい思い出が。



そんな訳で、遠くも近くも、どうぞご参集ください。

うれしいニュースをふたつ。

2009年02月09日 23:18


土曜日は、大学の楽団の後輩の結婚式だった。


楽団のトレーナーである渡瀬氏の車に同乗し、つくばへ。



結婚式の会場は、僕も大学時代ずっとアルバイトをしていた<灯禾軒>。

いろんな意味でうれしい。



今回めでたく結婚した二人。

新婦は、大学1年生の時から、僕が何かやる時は必ず参加してくれたような(させたような)気がしてた。
多分アンツクのイメージが大きいんだろうけど。

音楽するなら、彼女がいないとなんか違う、といった感じの女の子。


新郎は、先日のアンサンブルコンサートの、きっかけをくれた人。

もしかしたらたくさん負担をかけてしまったかもしれないけれど、今なにかうねりのような、流れのようなものができつつあるのも、全ては彼のおかげだと思っている。

本当にありがとう。


そんなこんなで式が始まる。


と思ったら、最初から宴会だった。



司会は僕の同期が行っていた。
彼は良識人だ。



そして乾杯のあいさつは渡瀬氏だった。
練習の成果が遺憾なく発揮されていたと思うことにしたい。



結婚式は格別だ。



二人を結びつけたきっかけが、音楽だとしたら、なおのことだ。



そして翌日。

中学校の同級生からメールが。

どうやら長く付き合っていた彼女と結婚することを決めたらしい。

ふたりは大学のオーケストラで知り合ったそうだ。


招待状を送りたいから、住所を教えてほしいという彼からのメールには、式の日時も場所も書かれていなかった。

彼らしいな、と思った。




彼らの人生に、幸多からんことを。


音楽に

2009年02月08日 23:41

携わることが


こんなにも幸せだと思うことができた週末


みなさんありがとうございました

創造の過程に グレン・グールドの音楽8

2009年02月07日 00:02

 事実、グールドはバッハの鍵盤作品の大半を録音しているし(原理がオルガンの音響と密に結びついている作品は除外される)、シェーンベルクに至っては5つのピアノ独奏作品全てのみならず、『ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 作品47』、『ナポレオン・ボナパルトに寄せる頌歌 作品41』、『月に憑かれたピエロ 作品21』の抜粋、果ては歌曲集まで録音し、1974年にはシェーンベルク生誕100周年を記念した「シェーンベルク・シリーズ」なるラジオ番組まで制作している。
 テレビやラジオ放送の目的を除いて、録音目的でスタジオで他の楽器と共演したものは、ヒンデミットの金管楽器のためのソナタ集と歌曲集『マリアの生涯』、そしてバッハのものしかないことからも、シェーンベルクに対する深い共感が見てとれよう****。


 「シェーンベルクはピアノに逆らう作品は書いていない」(GGR)とグールドは述べている。
 けれどもそれは、グールドが価値を置かなかった初期ロマン派の作曲家にもたらされたような、<ピアニスティック>な意味合いではない。
 同様に、バルトークやストラヴィンスキーといった作曲家が用いたようなピアノの打楽器的な使用とも意を異にしている。
 シェーンベルクはピアノに媚びなかった。それどころか「アルノルト・シェーンベルクにとって、ピアノは都合の良い楽器であった」(GGR)。
 ピアノが彼に忠実に仕えたのだ(それはグールドとピアノの関係とも似ている)。

 「シェーンベルクはその労に報いて」、作品11・19・23・25・33a&bといった「現代ピアノ音楽の偉大な作品」である5つのピアノ作品を残した(GGR)。
 その録音にあたり、グールドは足早にではあるが、作品に用いられた音列や動機の、詳細な解析を寄せている。
 グールドに聴くシェーンベルクは、理性によって統制された、非常に見晴らしの良いものでありながら、暗闇の中で光る鋭利な刃物のようなアトモスフィアを失わない。
 微妙な音色変化は音楽に絶えず緊張感を与え、驚くほどの効果をもたらしている(とりわけ作品11の第1曲、ピアノからのディミュニエンドを受けるGes-F-Hのコードは、聴いているものからの現実感覚を奪い取ってしまう)。
 独奏以外の作品に対してはこの我の強いピアニストにしては珍しく抑制を利かせた演奏だが、曲の持つ対位法的な構造を活かして共演者との対話を重視している。
 グールドがバッハの演奏に際して発言した次の言葉は、そのままシェーンベルクのそれにも当てはまるようにも感じられる。


 私は、このうえなくコントロールされた響きの枠の中で、できるだけ豊かな表情を生み出すことを目指して、軽快で音の線のくっきりした触覚的感覚や演奏法を育んできたのです*****。



 グールドはモーツァルトとベートーヴェンのピアノソナタ(ベートーヴェンは協奏曲についても)全集録音を残したが、彼自身がその全てに共感を持って演奏したものではない。
 それに比べて、シェーンベルクに対しては深い共感と尊敬の念を持って取り組んだことが、思惟に富んだ演奏に聴くことができる。
 加えて、彼の、著述・講演活動においてもグールドは多面的に、様々な切り口からこの「近代音楽史上最も複雑で、御しがたく、矛盾に満ちた人物」(GGR)にアプローチを行っている。
 それはピアノ作品に留まらず、コンチェルトやオーケストラ作品、そして彼の伝記から作風そのものに至るまで、対象は幅広い******。

 アドルノのいうところ、「最後まで作曲され尽くされ」(アドルノ「アルノルト・シェーンベルク 1874年―1951年」『プリズマン』所収)、「分節されていると同時に揺れ動き、最後の一音に至るまで組織されている」(アドルノ)というシェーンベルクの音楽の特色は、そのままグールドの志向に答えるものであったといえよう。

 グールドはこう予言する――「われわれはいつの日か、かれがこの世にあった最も偉大な作曲家の1人であったことを悟るでしょう」(GGR)。



****付記するならば、グールドは1952年の10月4日にトロントのコンセルヴァトワールで行ったコンサートで初めてシェーンベルクを取り上げるが(『ナポレオン・ボナパルトに寄せる頌歌』の抜粋と作品11、25)そのうちのいくつかでカナダ初演者になった。
*****モンサンジョン。グールドがバッハの<クールな>演奏家であるという評価をどのように思うか問われた際に、いくらかの反駁を持ちつつ答えたもの。
******グールドは、「アルノルト・シェーンベルクのピアノ作品」、「モーツァルトのピアノ協奏曲、シェーンベルクのピアノ協奏曲」、「アルノルト・シェーンベルクの第二室内交響曲」というタイトルの文章を録音に対して、また「たか、はと、フランツ・ヨーゼフという名のうさぎ」をシュトゥッケンシュミットによるシェーンベルクの伝記の書評として残している。また、シンシナティ大学では、1964年に、「アルノルト・シェーンベルク――ある見方」という講演を行っているが、その中の無調音楽とバック・グラウンド・ミュージックについて、興味深い考察を語っている。


パトリシア・プティボン

2009年02月06日 23:39


びっくりした・・・


今教育テレビで中継中。

パトリシア・プティボンの王子ホールでのリサイタル。


なんだこの人は・・・


こんな見応えのあるクラシックのテレビ、あんまりないんじゃないかな・・・



説明が難しいほど素晴らしい。

もう完全に壊れてます・・・あ、今客席に降りてった・・・


しかも、音楽的な背景がフレンチ・バロックらしい。二度びっくり。

見逃したかた。残念でしたね?。

パトリシア・プティボン 公式ページ



『国境の南、太陽の西』、問いかけること、ハイフェッツ、シャコンヌ。

2009年02月05日 22:11

村上春樹の『国境の南、太陽の西』に、たしかこんな台詞があった。



あなたは、まだ私になにも質問してない。



問いかけること。

今改めて、自分の弱みを突きつけられている。




弱いから、話す。

脆いから、語らずにはいられない。


問いかけの先の沈黙に耐えられない。



ハイフェッツのバッハ、シャコンヌを聴く。
 (『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 シャコンヌ』)







これほどまでに雄弁な音楽はないと言う人がいる。


しかし、シャコンヌは、実はなにも語りかけない。


その音楽に、悲しさや儚さ、そして強さを感じるならば、

それはあなたの中にある感情に、シャコンヌが問いかけているのだ。



シャコンヌは問いかける。

お前は果たして、何者なのか、と。




その響きを前に、今の僕は語る術を持たない。


コールドプレイ "Yellow"、Skypeをはじめてみた、mixiエコー、関連性とビジネス、<コミット>

2009年02月04日 05:11


"Viva la VIda"で知ったコールドプレイ。

"Yellow" これもまた生への眼差しが活きている。




 Look at the stars,
 Look how they shine for you,
 And everything you do,
 Yeah, they were all yellow.
 I came along,
 I wrote a song for you,
 And all the things you do,
 And it was called yellow.
 So then I took my turn,
 Oh what a thing to have done,
 And it was all yellow.
 Your skin
 Oh yeah, your skin and bones,
 Turn into something beautiful,
 You know, you know I love you so,
 You know I love you so.
 I swam across,
 I jumped across for you,
 Oh what a thing to do.
 Cos you were all yellow,
 I drew a line,
 I drew a line for you,
 Oh what a thing to do,
 And it was all yellow.
 Your skin,
 Oh yeah your skin and bones,
 Turn into something beautiful,
 And you know for you,
 Id bleed myself dry for you,
 Id bleed myself dry.
 Its true, look how they shine for you,
 Look how they shine for you,
 Look how they shine for,
 Look how they shine for you,
 Look how they shine for you,
 Look how they shine.
 Look at the stars,
 Look how they shine for you,
 And all the things that you do.
 





スカイプ Skype を(今更)始める。
後輩と電話しながら(驚異)、いろいろ機能を教えてもらう。

さらに、ミクシィ mixi でエコーを体験してみた。


ちょっとテクノロジーな自分(陶酔)。

人生3回目の「ちゃっと」に戸惑う(やはり苦手・・・)。




結局人は、誰かと繋がっていたいのだ。

それこそ楽曲が、音と音の関連性からしか生まれないように、
人もまた、自分の場所は誰かとの関連性からしか計ることはできない。

そしてそのことを知っている人間は、関連性を「ビジネス」という形で昇華させている。




それを言えば、このブログだってそうだ。

世界に対して、窓を開く。




「まさにフラットな世界」

Skypeに対しての友人の言葉。




音楽は、とりわけ我々が扱っていこうとしている音楽は、どうだろう。

そこにコミットしていくのが我々の仕事。

コミット commit 、というと、関わりあう、関係する、といった認識が大きいが、

 トランザクション処理が成功したときに、その結果を確定させること。トランザクション処理の結果は「すべて成功」か「すべて失敗」のどちらかに限られるため、一連の処理がすべて終了するまで成功か失敗かを判断することができない。例えば、資金移動システムをコンピュータで処理する場合、出金処理と入金処理は「どちらも成功」か「どちらも失敗」のどちらかであることが要求される。したがって、出金処理が終了しても、入金処理が終わるまではその処理が「成功」か「失敗」かは不明なままである。出金・入金双方の処理がどちらも成功して始めて、資金を本当に移動させることが決定される。この資金移動がコミットである。

IT用語辞典 e-wordsより引用

我々がこれから仕掛けていこうという世界に対しての「コミット」の姿勢は、果たして上記のような文脈である。






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