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何篇かの言葉、武満徹、ケージ、サティ。

2009年05月30日 21:17


私は作曲という仕事を、無から有を形づくるというよりは、むしろ、既に世界に遍在する歌や声にならない嘯きを聴き出す行為なのではないかと考えている。
    (武満徹 『武満徹の世界』)

iphone124


あなたの道と、あなたの心を患わすものとを、天をつかさどる最も信ずべき守りにゆだねよ。
主は、雲や空気や風に道と進路と方向を与え、
あなたの足の進むことの出来る道を、見いだして下さるだろう。 
    (マタイ受難曲第44曲コラール)



サティが生き、そして創造(つく)りだしていった芸術こそが芸術なのだ。芸術は生活や人生と別なものではない。その意味では皿洗いさえも同じことなのだ。
    (ジョン・ケージ)



時代のしるし。芸術家は専門職人となり、アマチュアが芸術家となった。

私の夢――あらゆるところで演奏されること、でもオペラ座はお断り。
    (エリック・サティ『卵のように軽やかに』)


[image/air_ : 細越一平]


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『マタイ受難曲』、アーノンクール、メンゲルベルク、答えは自らのうちに。

2009年05月30日 20:10

長らく失われていたアーノンクール=ウィーン・コンツェントス・ムジクスの『マタイ受難曲』のCDがひょっこり出てきて、繰り返し繰り返し聴いた1週間だった。

リヒター、レオンハルト、メンゲルベルク、小澤、鈴木、コープマン、もちろん素晴らしい演奏はたくさんあるが、アーノンクールのそれはひたすらに「澄み切った」音楽だ。淡々としすぎているという批評もあったようだが、僕はその澄み切った音楽が、逆に聴き手の内奥に物語を照射して来るように思う。『受難曲』に描かれる大いなる哀しみと怒りと絶望が、逆説的にそれを超越した存在と、何より生への希望と祈りによって包まれていることを知る。

大伽藍のようなメンゲルベルクの音楽が、聴き手に圧倒的な想いを<注ぎ込む>のに対し、アーノンクールはあくまでも聖書のようにそれを<示す>。もちろんどちらが良いという話ではない。
メンゲルベルクのカタルシスは言葉で語り尽くすことができない。僕はおそらくその演奏に、音楽を生み出す人間に心を動かされる。
一方、アーノンクールの示すそれは、音楽や想像力、そして先ほど述べた<大いなる哀しみと怒りと絶望、逆説的にそれを超越した存在と、何より生への希望と祈り>が、自分のうちにあることを感じる。音楽の泉は、自らのうちから湧き出すということを、アーノンクールは体験として感じさせてくれる。


最近、バッハの音楽が、<視線を自らに向けなさい>と言ってくれる気がする。
<自分自身を問え>と。答えはそこにしかないのだと。


アーノンクールのCDはこちら。

エンハンスド仕様になっており、『マタイ受難曲』の手稿譜が見れます。
発売が7年前か・・・そのころのMacはPowerPC/OS8.5・・・時代を感じます。

ちなみにメンゲルベルクの演奏はパブリックドメイン・アーカイブで聴くことができます。
http://public-domain-archive.com/classic/composition.php?album_no=180


[image/air_ : 細越一平]

関連した記事はこちら
 高橋悠治に聴くバッハ、フーガト短調、シャコンヌ、トッカータとフーガ、マタイ。
 演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流3
 演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流6
 演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流7
 演奏の哲学 第1章 前提―20世紀、演奏の潮流8

みなとみらい、持たざる者の強み、信じること、芸術とかたち。

2009年05月29日 01:18


仕事帰りに、チケットがあったので、みなとみらいで『天使と悪魔』を観てきた。

作品自体は映画的にとてもよくできた作りで、物語と地理的なロケーションも相まって観客を飽きさせない。筋も前作よりわかりやすく、より開かれた作品となっていた。
アーミン・ミューラー=スタールの存在が印象深い。<人間>の感情の襞とざわめきを表現する彼が、作品全体に奥行きを与えていた。


平日の夜、閑散とするワールドポーターやコスモワールド(?)に思う。
「持つ」ことの恐ろしさ。

自分に返して、「持たざる者の強み」を再確認する。
持っていないということは、「これから始まる」と言うことだ。そこに希望を持たずして、どこに光はあるのだろう? そう自問してみる。

必要なのは「小さく(強く)柔軟であること」。機会を捉える嗅覚と、撤退することをいとわない勇気。決めたことにプライドを持つのではなく、目的とすることにプライドを据えるということ。結果としてそれが「ブレない」ことの表れとなる。ゴールが決まっていれば、方向や軌道を変えることや一時後ろへ下がり機が熟すのを待つことも肝要である。

そのためには若干の余裕が必要なのだろう。そして今あらゆる点で自分にはその余裕がないのかもしれない。しかし焦りが良い結果を生まないことは分かっている。緊張は体と心を硬直させる。固まっているものほど脆いものはない。どれだけ重厚で流麗な建築物も、建立されたときから劣化(=資産価値の減少)は始まっているのだ。
しかし、経年とともにその価値を上げていくものがある。それが芸術である。かたちが現実になくなっても、時として人はそれを想い、慕い、涙する、それが芸術である。

何事においても肝に銘じなければならないのは、「少しでも日々前進すること」であり、「前進していると感じられること、信じられること」である。
信じることだけが、自分の今を、意味あるものにする。今を認めるのは未来の自分だけだ。


[image/air_ : 細越一平]


コンサートのススメ <〈コンポージアム2009〉ヘルムート・ラッヘンマン オーケストラ作品展「協奏二題」>、<低音デュオ>。

2009年05月27日 01:03


墨田ぶらり下町音楽祭>の現代音楽ブースにて凄演を繰り広げられた橋本晋哉さんの演奏会情報です。



コンポージアム2009〉ヘルムート・ラッヘンマン 
 オーケストラ作品展「協奏二題」


ヘルムート・ラッヘンマン,アカント?オーケストラを伴う独奏クラリネットのための音楽(1975/76)[日本初演]
ヘルムート・ラッヘンマン,ハルモニカ?独奏テューバを伴う大オーケストラのための音楽(1981/83)[日本初演]
飯森範親(Cond)、岡 静代(Cl)、橋本晋哉(Tu)、東京交響楽団

東京オペラシティコンサートホール.
全席指定:一般 3,000円 学生 1,000円
2009/05/28 19h開演



"Le tuba rencontre…"vol.5 低音デュオ 2nd Live

M.チェミツキ, Borjú a réten...
C.ウォーリネン, Never again the same
湯浅譲二, 天気予報所見
神長貞行, Digital Box
田中吉史, 科学論文の形式によるデュオ(仮題)
鈴木治行, 沼地の水(仮題)
松平敬, フーガのない前奏曲
M.カーゲル, ミルム
橋本晋哉, 塔の音楽
M.カーゲル, バベルへの塔

松平敬(voice), 橋本晋哉(tuba)

公園通りクラシックス.
当日3000円、前売り2500円(1ドリンク付)
2009/06/11 19h開演

問い合わせ
teion2@me.com
公園通りクラシックス tel:03-3464-2701
(17-22時、月曜定休)


橋本さんのブログでは、ラッヘンマンの『ハルモニカ』について、「一世一代の大舞台、といってもよい演奏会」として、「90名にも及ぶオーケストラ、演奏時間は30分近くになる大規模な曲だけに、中々演奏される機会に恵まれないこの曲、いわんや演奏するチャンスを頂けて大変幸運に思います。
パート譜を眺めるだけでも巨大な山のようなこの曲ですが、現在全力で立ち向かっています。」と意気込みを述べてらっしゃいます。

気鋭の奏者が全霊をかけて臨むこのコンサート、ラッヘンマンだけに青白く燃える炎のような時間が期待できそうです。

橋本晋哉さんのウェブサイトはこちら
 →S.H.web -Tuba Eccentric-
 

しかし、平日19時からのオペラシティには、ちょっといけそうもありません・・・
相変わらず<日本のコンサート19時開演>の制約を憎む今日この頃。

渋谷クラシックスにはなんとか・・・

 
[image/air_ : 細越一平]

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 墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?押上文花町内会倉庫での衝撃の30分?
 Category[ 墨田ぶらり下町音楽祭 ]

これだけは言いたい!

2009年05月26日 22:17


閑話休題。


所英男選手、勝ちました!

なんというか、勝っても負けても熱い試合、フリーターしていつかつかんでやろうとギラギラしてた姿勢、風呂付アパートに引っ越したとたんに負け続け・・・
そんなベタベタだけどひょろひょろして何となく憎めない所選手。

久々に面白い所選手の試合でした・・・


涙がでましたよ!



ほそこしいっぺい

一応所選手のブログです
 → “小さなヴォルクハン”所英男
  ヴォルク・ハンと言うところがまた渋くて良い。

東京都現代美術館、池田亮司展 +/?[the infinite between 0 and 1]、

2009年05月25日 00:26

東京都現代美術館に行ってきた。

池田亮司展 +/?[the infinite between 0 and 1] が企画されていた。こういったインスタレーションに対して、あーだこーだ論を重ねるほど無粋ではないので、興味のある方はぜひ足を運んでみてほしい。
ただ、シンプルにいうと、<けっこう>圧倒的で、<節々で>日本人のアイデンティティを感じ、<かなり>衝撃である。
自分自身を座標に据える感覚がいかに脆弱であるか、そして新しい感覚を探す体験がいかに愉快なものか。
ホワイトキューブを出た後、エスカレーターの音が全く違う響きを持って伝わる。<異化>を体験させてくれる展示。

常設展の「MOTコレクション?MOTで見る夢/MOT.Field of Dreams」も良かった。もしかしたら池田展で感性が開かれていたから・・・? いや、そんなことはないと思う。

気になったものをいくつか。

○藤田由紀夫<EAR WITH CHAIR(MOT)>:チープと本物。笑える素振りが驚きに変わる。
○村山悟郎<神の宿る部分><浸透する ドリフトする>:ありふれた素材の組み合わせから神話的世界が顕れる。
○伊藤存<A VIDA FORA DA MATERIA>
○田幡浩一<Track and Trace(dragon fly)>:日本人的感性を鋭角にしたような作品。
○国吉康雄<幸福の島>:理屈抜きでひきこまれた。
○吉田博<東京十二題>:ルーブルで観たアムステルダムの港を描いた絵画との構図が似ていて興味深かった。
○高木正勝<Bloomy Girls>:なるほど、映像と合わせるとこうなるのか。音楽だけは1年ほど前から何気なく聴いていたのだが、それで感じる物足りなさ、奥行きの浅さは、音楽単体で聴いていたからだったのかと合点。しかし美しさ以外には訴えてくるものはない。
○半田真澄<Menu><フラッシュの森><雲と基礎(興ざめパラダイスその3)>:言葉不要。
○ヤノベケンジ<ロッキング・マンモス>:母がゾイドのサーベルタイガーを迷彩塗装に仕上げ稼働部位が動かなくなったことを思い出した。
○大岩オスカール<虹><牛が見た風景><ネッシー><モンキー>:とりわけ<ネッシ―>が凄い!
○加藤美佳<カナリア><Seed>:絶対に存在しない少女の眼差しがこれ以上ないほどの実体感を持ち<そこにいる>と言う感覚。この展示のなかで最も心を奪われた。
○名和晃平<PixCell-Deer #17, #4>:白眉。美しさ、残酷さ、生と死、時間、セックス、まなざし、そんなことを感じた。


1000円出す価値アリ。
特に企画展の大規模なスペースを使ったインスタレーションは(ブラックキューブをほぼ仕切らず全て使うという大胆さ)、観る者の自由な時間・空間を提供していて、それがさらに<展示>のスタンスを拡げていた。観客も若い人が多く、刺激的な体験を感受しようというひそやかな熱気があって心地よい。


[image/air_ : 細越一平]

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オバマ大統領のグアンタナモ問題に関しての演説に思う、価値観。

2009年05月23日 01:02

ニュースを見ていたら、オバマ大統領グアンタナモ収容所の閉鎖問題に伴って演説をしている映像が流れていた。その中で「アメリカ価値観に基づいて」という言葉がテロップで流れ、気になって調べていた。
調べてみると、オバマ大統領は就任以来、特にグアンタナモ問題に関連した言説のなかで、この<価値観>という言葉を通奏低音として用いているようだ。
中国新聞は要旨をアップしていたがそれは全く意を成さず(実際原文を読むにつれ、それは要旨ではなく意訳であることがわかる)、原文を探し悪戦苦闘していると(僕はネット検索が得意ではない)、実にあっけなくホワイトハウスにて発見。
全文は REMARKS BY THE PRESIDENT ON NATIONAL SECURITY
もちろんボリュームあり(もちろん英語も得意ではない)。

別段ここで政治論議をぶち上げるつもりはない。
オバマ大統領の話す<価値観>、それはつまり彼とかの国における<most fundamental values>、
すなわち合衆国憲法の精神である(ちなみに演説は公文図書館で行われた。さすが演出の国アメリカ)。
演説を組み立てるのにブレーンがいて、最強のシンクタンクが大統領にはついていると聞く。しかしそれにしても、この演説における<価値観>の置かれ方、アメリカの歴史と個人的な歴史とがその<価値観>のもとに収束していき、そこから根拠づけが行われていく様に、僕はいささか感動した。
事実と精神の歴史の座標軸の中に、国家と個人が据えられているのだ。

ある意味システムである。そこには拡大的進歩史観があり、パックス・アメリカーナの揺るぎないdignityがあり(あらねばならない)、そしてリベラルにも保守にもよらない世界とのバランス感覚がある。

日本を思えば、今われわれはオバマ大統領が語るような歴史観に基づくような連続を失っていることは明らかである。過去に繋がっていなければ未来にも繫がるはずはなく、だからこそわれわれは未だに宙ぶらりんのまま寄る辺もなく・・・

何処かで変えなければならない。
別にアメリカを追従するとかいう意味ではなく、純粋にわれわれはわれわれ自身を取り戻さねばならないのだ。そのうねりは少しずつ。起きているはずだ。


[image/air_ : 細越一平]

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"The Addressing of Cats"

2009年05月21日 00:51


Old Deuteronomy:YOU'VE HEARD OF SEVERAL KINDS OF CAT
AND MY OPINION NOW IS THAT
YOU SHOULD NEED NO INTERPRETER
TO UNDERSTAND OUR CHARACTER
YOU'VE LEARNED ENOUGH TO TAKE THE VIEW
THAT CATS ARE VERY MUCH LIKE YOU
YOU'VE SEEN US BOTH AT WORK AND GAMES
AND LEARNED ABOUT OUR PROPER NAMES
OUR HABITS AND OUR HABITAT
BUT HOW DO YOU ADDRESS A CAT?
SO FIRST YOUR MEMORY I'LL JOG
AND SAY A CAT IS NOT A DOG

All Jellicles: SO FIRST YOUR MEMORY I'LL JOG
AND SAY A CAT IS NOT A DOG

Old Deuteronomy: WITH CATS, SOME SAY ONE RULE IS TRUE
DON'T SPEAK TILL YOU ARE SPOKEN TO
MYSELF, I DO NOT HOLD WITH THAT
I SAY YOU SHOULD ADDRESS A CAT
BUT ALWAYS KEEP IN MIND THAT HE
RESENTS FAMILIARITY
YOU BOW, AND TAKING OFF YOUR HAT
ADDRESS HIM IN THIS FORM: O CAT!
BEFORE A CAT WILL CONDESCEND
TO TREAT YOU AS A TRUSTED FRIEND
SOME LITTLE TOKEN OF ESTEEM
IS NEEDED, LIKE A DISH OF CREAM
AND YOU MIGHT NOW AND THEN SUPPLY
SOME CAVIAR OR STRAUSSBURG PIE
SOME POTTED GROUSE, OR SALMON PASTE
HE'S SURE TO HAVE HIS PERSONAL TASTE
AND SO IN TIME YOU REACH YOUR AIM
AND CALL HIM BY HIS NAME

All Jellicles: A CAT'S ENTITLED TO EXPECT
THESE EVIDENCES OF RESPECT
SO THIS IS THIS AND THAT IS THAT
AND THERE'S HOW YOU ADDRESS A CAT
A CAT'S ENTITLED TO EXPECT
THESE EVIDENCES OF RESPECT
SO THIS IS THIS AND THAT IS THAT
AND THERE'S HOW YOU ADDRESS A CAT


                          "The Addressing of Cats" from broadway musical CATS

アンドリュー・ロイド=ウェーバーのミュージカル『キャッツ』の最後のナンバー。エリオットの詩によるもの。
ジェリクル・キャッツもまた、アーティストの一様態として捉えることができる。
感動的に、威厳と風格を持って歌われるこの音楽は、アーティストに向かい合うときのわれわれの心構えもまた示している。
それはひとりの人間に対しての尊敬と謙虚さの姿勢である。


[image/air_ : 細越一平]


resident advisor、ポッドキャスト。

2009年05月20日 23:29

最近のお気に入りがこちら

resident advisor http://www.residentadvisor.net/ のPodcastsRA

最近聴き始めたのだけれど、かなりかっこいい。

ここ1週間は、通勤の(僕も一応仕事をしています)朝はビルスマが奏でるバッハの無伴奏チェロかジョン・ケージのサクソフォン作品集、帰りはこのRAがヘビーローテーション。そしてどちらも電車に乗って最初の6分間はBBCPodcastsを聞く。これは日課。

RA.152 Ellen Allien - 2009.04.27を聴いていたら、ミックスも終盤に差し掛かってきたころで、何度も何度も "Something for your mind" と繰り返されて、その度に少し思考が止まった。


[image/air_ : 細越一平]

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≪re-view + inter-view → VIEW ?≫ アーティストの声に耳を傾ける。

2009年05月20日 22:42

<アーティスト>の声に耳を傾ける。
ひとつには実際に彼らが生み出す作品を通して。そして、もうひとつには彼らが発する実際の言葉を通して。
レビュー<review>とインタビュー<interview>。

われわれが作品に対して語るとき、それは現実に即した形で行われる。
つまり、芸術作品の持つ詩的言語を、現実の言葉に置き換えると言う作業である。レビューとは、その語源にもあるとおり re-view 再び見る/観るという行為だ。

取材、であったり、対話であったりを意味するインタビューも、もともとは inter-view 即ちお互いを見る/観るという行為に由来する。アーティストの言葉は時にその作品と同じくらいに雄弁だ。


iphone2

観る view という行為から派生したレビューとインタビューに拠って、僕は少しずつでも<今>を切り取るような視座を、新しい時代を展開する VIEW を見出せるのではないかと思っている。


[image/air_ : 細越一平]

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<アーティスト>の声に耳を傾けよう、9・11、MUSIC for Today。

2009年05月20日 01:06

昨日の<覚え書き>の追記のようだけれども・・・


今だからこそ、<アーティスト>の声に耳を傾ける必要があると思う。

アフター・ザ・リアリティ>を提唱し、9・11以降の芸術作品を積極的に紹介している吉井仁実さんは、われわれが直面している世界は、もはや<一つの現実を共有している>という前提が崩壊し、「諸価値の対立や軋轢、通訳不可能性(価値観やその前提となる認識について、異なる二者の間で共通項やコミュニケーションの基盤が見いだせないこと)を甘受する」、近代的な個人から生まれる普遍性ではなく、ジェネリックな普遍性をもったイメージの必然性を説いている。

世界のイメージはもはや単一ではないということは、現代ではおそらくほとんどの人が直感的に感じることができるだろう。

しかし、テレビや新聞など、いわゆるメディアでは未だにインフルエンザならインフルエンザ、経済不況なら経済不況と同じニュースが画一的に流れている(しかもそれらはほとんど同じ主張のもとにつくられている)。何処をとっても金太郎アメ的な状況とはいえないだろうか? 見ようによっては、神経症的な、パニック症的な現実が繰り広げられている。

いわば、世界の感覚と、個人の感覚にずれが生じているのだ。意識的にせよ、無意識的にせよ。

芸術は、それを繋ぐ・もしくは完全に切り離す。聴きとれない言葉が世界の余白を埋め、響きのない響きが世界の振動を伝える。だからこそ優れた芸術は人を詩人にし、世界のバランスを保ち・もしくは崩し、花をより花らしくする。

<アーティスト>とは敏感な人たちのことだ。そして長年の鍛錬のなかで世界のズレを彼らなりのやり方で整えてきた・もしくは整えようとしている人たちのことだ。
世界は常に過渡期で、しかし現代ではそのスピードが異常なまでに早くなった。結果世界とわれわれは乖離し、音楽は響かなくなった。

そんな今だからこそ、<アーティスト>の声に耳を傾けたいと思う。

それが、もしかしたら今僕が考えている MUSIC for Today で進めていく方向かもしれない。


[image/air_ : 細越一平]

 今後のトピックについての覚え書き。

今後のトピックについての覚え書き。

2009年05月19日 00:57


いつも当ブログ<音楽、言葉、想像力>においで下さり、ありがとうございます。

今後のトピックをいくつか列挙します。順不同です。


・論文『演奏の哲学』連載再開。
 →集中的に更新しようと思っています。それに伴いカテゴライズを工夫し、またリンクなどを増やしていこうと思っています。

・<墨田ぶらり下町音楽祭>から発展させた問題提起。
 →今後行われていくであろう<音楽文化の地ならし>や地域性、音楽の在り方など。
  加えて、出演者の方々のコンサート情報などを更新していく予定です。

・<テッセラの春音楽祭>から発展させた問題提起。
 →現代音楽を取り巻く環境や、理想のコンサートの探求など。
  
・日本の著作権制度の弊害と、それを打破するためにはどうあるべきか。
 →クリエイティブ・コモンズの紹介なども。

・image/air_の進展(全てを書けないのが残念ですが…)
 ホームページのリリューアルを含めて

・その他レビュー

・今準備しているサクソフォン・アンサンブルについて。
 →9月をめどにトライアウト・コンサートを開催予定。


個人的に、今自分が考えていることのポータルのようなスタンスを(自分にとっても)とっていきたいと思っています。
読んで頂ける方に、少しでも刺激であったり情報であったりきっかけであったり夢であったりを感じて頂けるような場所になるように精進していく次第ですので、よろしくお願いいたします。


[image/air_ : 細越一平]

 


<新しい耳>テッセラの春音楽祭閉幕。

2009年05月19日 00:29

新しい耳>という名を冠した3晩の音楽祭が幕を閉じた。
第3夜は『幻覚』というテーマのもと、クラリネットの異世界への誘いのような微弱音から紐解かれたストラヴィンスキーメシアンの音世界は、『世の終わりのための四重奏曲』によって幕を閉じた。


flower4

個人的に、非常に<与えられるもの>の多い3日間だった。問題提起が様々な場所に潜んでいた。これからじっくりと、その<問いかけ>の答えを探していこうと思う。


何時も何処かで誰かが、種を蒔いているのだ。

今は風が足りないだけかもしれない。
受け入れる土が乾いているだけかもしれない。

風も土も、その時を、息をひそめて待っているはずだ。


[image/air_ : 細越一平]

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<新しい耳>テッセラの春音楽祭、あと1日。

2009年05月16日 21:33

<新しい耳>テッセラの春音楽祭も、2日間が終わった。

火花が散るくらいにスリリングな初日、そして夢や優しさ、切なる本気を感じた2日目。
そして最終日。今日はどんなドラマが待っているのだろう。

flower3

諦めなければ夢は叶う。諦めるのはいつも自分。
夢しか実現しないという言葉があるが、今目の前にある物事は全て、誰かが夢見て叶えてきたものなのだから。

そろそろそれに日付を入れていかなければならない。
過ぎていく音楽とともにそう思った。


[image/air_ : 細越一平]

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いよいよ今日からテッセラの春音楽祭。

2009年05月15日 08:17

いよいよ今日から、<新しい耳テッセラの春音楽祭。
70席という限られた空間で、濃密な時間が繰り広げられる。

passway

手 でも 口 でも 指 でもなく 新しい耳
あくまでも作品を聴衆の<体験>に委ねようという気概。
そして、廽さんをはじめとして、<伝える>という想いに共感した。

どれだけよい作品があって、素晴らしい演奏家がいても、聴き手に熱い気持ちがなければつたわらない。
この3日間もまた、様々な問いかけを受け止める時間になるだろう。

連日満席とのこと。このような催しが必要とされている事のあらわれだろう。

立ち見でも聴きにきたほうがいいですよー!



墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?バロックとオペラ、祭りの終り、カレー弁当?

2009年05月14日 00:21


墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?押上文花町内会倉庫での衝撃の30分?から続き。

やってきました。黒崎竹信堂
ここも普段は立ち入ることのできない職人さんの仕事場らしい。入口から入ってすぐのところで、チェンバロがチューニングされている。

調律
チェンバロを調律している音も外に漏れ、それにまた人が少しずつ寄ってくる。それもまた風情。ヨーロッパでは工房などでコンサートをすることもあるとのことだが、和の中でもまた一興。でもまたちょっと埃アレルギーか? 目がしょぼしょぼ。それもまた一興。

調律後
チェンバロも無事調律終了。これだけ暑いと、チューニングも大変なのだろうな。

バロック音楽ブース>では、テレマン、バッハ、ヘンデルといったドイツの作曲家の前半と、フランス(確かオットテール)、そしてヴィヴァルディのイタリアが演奏された。バロックオーボエ、リコーダー、ガット弦のチェロ、そしてチェンバロといった<知っているようで一風違う楽器>を演奏者が説明しながらのコンサートは、馴染みのない聴き手にも取っ付きやすい工夫だった。
響きがない場所でのピリオド楽器は奏者にもリスキーだったと思うが、そのリスクを冒してでも、そのニュアンスの豊かさ、音楽の近さは聴き手に伝わったと思う。現に演奏が終わったあとの聴き手の感想は、「とても優しい響きがした」「手作りの親しみやすさがあった」といった感じ。特にフランス・イタリアを取り上げた後半の二曲は、前半のものとキャラクターがはっきりと異なっていて、改めて発見があった。

演奏者は、リコーダーが安藤由香さん、チェンバロが長久真実子さん、チェロが山本徹さん、そしてオーボエがこの墨田ぶらり下町音楽祭の発起人である渡邊佳代子さん。

天真庵4
ピリオド楽器の豊かな倍音に脳みそを開かれたあと、いざ<天眞庵>さんへ。

天真庵1
アップライトピアノも、最後の演奏を心待ちにしているよう。<オペラブース>では、吉川真澄さん、愛甲雅美さんのソプラノと、ピアノの鈴木奈津子さんが音楽祭に花を添えた。
会場は50人以上がぎっしりと。中には2回連続という方もいたようだ。

天真庵2
最終回は、『コジ・ファン・トゥッテ』などのモーツァルトのオペラを前半に、後半は日本の民謡と滝廉太郎の「花」。情感とウィットに富んだ歌心は、聴き手の心を確かにつかんでいた。改めて<うた>の力を想い、去りゆく祭りの寂しさを想った。

天真庵外3
「アメージング・グレイス」にてコンサートは終了。墨田ぶらり下町音楽祭も幕を閉じた。


そしてひとつ心残りが。
どうしても<スパイスカフェ>さんのカレーが食べたい!と思った訳です。
再度初めに戻り、イカウイイさんのコンサートが終わった後の<スパイスカフェ>さんへ。さりげなく聞いてみると、心よくカレー弁当を作ってくれた!

カレー
♪カレー弁当 700円♪
マジで!ウマい! カレー通が足を運ぶ理由がわかります。週末は予約でいっぱいだとか・・・というか僕も来たい!

おばあちゃん
そしてお祭りはおしまい。
帰り際、<スパイスカフェ>さんのお向いさんの2階から声をかけられる。
「たまにはこういう賑やかなのもいいねえ」とおばあちゃん。
ベランダではバラが綺麗に咲いていた。
祭りの最後、ほっこりとした気分に。

そうして思い残すことなく(今度は<天眞庵>さんに蕎麦頂きに行こう!)、帰途につきました。

ありがとうございました!!


[image/air_ : 細越一平]


おすすめの音楽→
 Morton Feldman: Patterns In A Chromatic Field: Arne Deforce(Vc)大宅裕(P)
 →大宅裕さん出演の<テッセラの春音楽祭>は今週の金曜日(15日)です!

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 墨田ぶらり下町音楽祭に行ってきた1。 
 墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?いざ押上→十軒橋商店街→スパイスカフェ?
 墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?押上文花町内会倉庫での衝撃の30分?
  墨田ぶらり下町音楽祭から。
  墨田ぶらり下町音楽祭続報♪
  墨田ぶらり下町音楽祭とテッセラの春音楽祭、はないちもんめ、本気。
  墨田ぶらり下町音楽祭
  <新しい耳> テッセラの春音楽祭続報?
  速報!「新しい耳」テッセラの春・第4回音楽祭
  <新しい耳> テッセラの春音楽祭続報? 第1夜 <原田敬子の耳?直感力?>
  <新しい耳> テッセラの春音楽祭続報? 第2夜 <友光雅司?大地のリズム?>
  <新しい耳> テッセラの春音楽祭続報? 第3夜 山根孝司/野口美千光/宮坂拡志/廻由美子 幻覚?ストラヴィンスキーとメシアン?>




墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?押上文花町内会倉庫での衝撃の30分?

2009年05月13日 00:51

墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?いざ押上→十軒橋商店街→スパイスカフェ?に続き。


パティオ・イカウイイさんのおおらかで圧巻のライブを聴き身も心もほっこりしながら次の会場へ向かいます。

商店街
途中佐藤と合流。これから行こうとする現代音楽を聴いてきた様子。
するとそこに、さっきの興奮冷めやらぬと思しき3人のご婦人が。「さっきの歌は良かったねえ」「お兄ちゃんも親孝行しなさいよ」「母の日だからねえアハハ」なんて会話。音楽のおかげで、人の距離が縮まる。そして笑顔。そのご婦人(ちょっと年配)とはそのあと3回くらいすれ違うことに。何しろ道は商店街の一本です。そのたびにはにかみながら挨拶。

倉庫
そして押上文花町内会倉庫へ。ここではヴィオラの佐藤佳子さんと、チューバの橋本晋哉さんという実力派がお出迎え。

会場はまさに普通の倉庫。地元でお祭りや催しをする際の資材が置いてある感じ。そう言えば実家でも小学校の頃は集会場とかがあって、そこにいろんなものがあった気がします。その埃のような匂いが何となく懐かしく、でもすこしアレルギーが出て涙も出ます笑

倉庫4
シャッターの外は普通に自転車に乗った子どもや、布団を担いだおっちゃんが歩いて行きます。そして中をちらちら除いていく光景。

倉庫5
夏休みになったら活躍する予感。「ラジオ体操」の看板。


ここで<墨田ぶらり下町音楽祭>の仕組みについて少々。
会場は4か所あり、14時、15時、16時、17時の各4回、30分のコンサートが行われる。それぞれにバロック、オペラ、現代、ジャズのコンセプトがあり、観客は自由に選ぶことができる。
料金は通し券が2000円、1公演のみは1000円。墨田区文花地域の70歳以上、小学生以下は無料。会場には、元気なおじいちゃんおばあちゃんがとても多くみられた。

出演者はそれぞれのブースごとに自由に演奏されていて、その伝え方にも工夫が凝らされていた。
ジャズのイカウイイさんは聴き手とのコミュニケーションをとりながら進めていたし、現代音楽ではヴィオラとチューバが交互に登場し、聴き手に曲をランダムで選択してもらい演奏した。バロックでは知ってるけれどもちょっと違うピリオド楽器をソロを交えて演奏し、オペラはモーツァルトと日本の作品をたっぷりと歌い上げる。それぞれ30分ほどなので、聴いていて飽きないし、興味を持って聴き続けることができる。
どの会場でも満席で立ち見が出るような状態だったが、うちわを配ったりと配慮もあったが、これ以上暑いときつかったかも。雨が降ってもきつかったかも。そう考えるととても天気に恵まれた。


倉庫後
シャッターが閉じ、いざ本番。しかし外は変わらず日常の光景。車も通れば犬も歩きます。純然たるクラシック至上主義にはどうなの?という状況? 音楽をコンサートホールから引きずり出して、「みんな」の前に置いてみたらどうなるの? ゲンダイオンガクって、ほんとにつまらなくて、われわれの生活とはかけはなれてしまったものなの? そんな問いかけが去来します。

コンサートは、じゃんけんで演奏の順番を決めるというゆる?いはじまりから一転、橋本さんの超絶チューバ炸裂!の作品(名前は失念してしまった)、重音と循環呼吸を駆使した終盤に、聴き手(といってもアカデミックとはほど遠い!)は感嘆の声。演奏が終わってからのおじいちゃんのびっくりした表情が印象的。倉庫のなかに響くチューバの音は想像を超えて雄弁で、特殊奏法も奇抜さを感じさせず、後半の重音は彼岸の歌にも聴こえる。

次の佐藤さんは、徳永崇さんの刺繍の入れ方から着想を得たと言うヴィオラソロ。徳永さんというと、一度何年も前にオペラシティでの初演を聴いた思い出が。作品はヴィオラを弾くという行為と想像を異化させた・・・というような堅苦しい脳みそを捨てて、純粋に音が生まれると言う追体験をしているよう。そとから聴こえる町の音も、僕の耳には心地よいコラージュのように聴こえた。
続いて佐藤さんが一曲、キーヨン・チョンさんの『寺の鐘はいまだ私の心に鳴り響いて・・・』。佐藤さんの幼少のころの思い出を聴き、チョンさんが書いてくれたというこの作品の、声とヴィオラが混じり合って行くさまは、音楽の<体験>と聴き手の<体験>が混じり合って行くさまにも感じた。佐藤さんの個人的な<体験>が、作曲家のフィルターを通して<追体験>され、それが演奏されることで聴き手のなかで再度<体験>される音楽。それはいささか感傷的でもあり、普遍的な抒情でもあり、郷愁でもある。それは、先日森美術館で観たティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションのなかの、スゥ・ドーホーによる『門』で感じた<体験>とも似ていた。

そして、この一風変わった30分は、今の日本の現状から切り離され(解き放たれ)、この町会倉庫のなかで音楽はとても自然で、とても自由に空間を満たし、存分にはみ出していた! 

最後、「時間が余った」といって演奏してくれたのは橋本さん、ポール・マッカートニーの『ブラックバード』。恐るべしセンスに脱帽。圧巻の30分の余韻は僕の頭をコツリと一発。。。


チャハン
興奮冷めやらぬまま来た道を戻る。途中でとても美味しそうな中華料理屋さん。「チャハン」500円!お腹すいた?。このころになると、スパイスカフェでカレーを食さなかったことを非常に心残りに。

調律
バロックの会場へ。チェンバロはチューニング中。その風情のある音に、熱くなった心と頭をクーリングダウンさせて待つことにする。


[image/air_ : 細越一平]


おすすめの音楽→
 Morton Feldman: Patterns In A Chromatic Field: Arne Deforce(Vc)大宅裕(P)
 →大宅裕さん出演の<テッセラの春音楽祭>は今週の金曜日(15日)です!

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墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?いざ押上→十軒橋商店街→スパイスカフェ?

2009年05月12日 02:15

墨田ぶらり下町音楽祭に行ってきた1。に続き。

という訳で<墨田ぶらり下町音楽祭>のご報告♪

今回はiphoneで撮った写真を中心に。その日の情景を想像していただければ幸いです。なお、本当は各会場ともに人が溢れるほどだったのですが、基本的に撮影は遠慮しています。その辺も想像力を働かせて頂ければと思います。iphoneのカメラの素朴さも楽しんでください笑
(各サムネイル画像はクリックで拡大します)



当日は晴天に恵まれました。気温は26度!半そででちょうどといった感じでした。

押上工事
半蔵門線押上へ。実は降りるのは初めてかも。二子玉川からは乗り換えもなく便利!
駅前は工事していました。<東京スカイツリー>建設の影響もあるのでしょうか。

押上1
何となくレトロスペクティヴな雰囲気漂う押上商店街のアーチ。
駅構内から外に出るまで6つ7つと地図があるのですが、なぜか全て違って見えたのは僕だけ?でもそんな微妙なカオスも下町か。

看板
徒歩10分ほどでたどり着きました。汗ばむくらい暖かい。喉が渇くのは作戦通り。<わんぱく天国>という割には子供の姿はちらほら。それがこの国の現状。

天真庵外
何となく迷子の感じをちらつかせながら十間橋通り商店街に闖入。骨董屋さんの前にあった年季の入った扇風機に惹かれながら進むと、見えてきました<長屋茶房・天真庵>さん。今回の目的。ここには入っていませんが、この時には既に結構な列、というか人だかりが。<墨田区文花地域の70歳以上は無料>という方針からか、年配の方が目立ちます。そして年配の方は行列が苦手です笑 基本囲んで輪になる。輪は和となり、とても親密な雰囲気に。

このあと十間橋ふれあい会館にて、とっておいて頂いたチケットを購入し、まずはスパイスカフェへ。その間、チラシとチケットを持った人にすれ違うこと多し。予想以上に観客がいる予感。次第に膨らむ期待と、まだ何となく門外漢の雰囲気。

スパイスカフェ
スパイスカフェ入口。ここにもすでに人だかりが。後で聞いたことですが、どうもこのスパイスカフェ、知る人ぞ知る人気店らしい。緑と花に溢れる、手入れの行き届いた入口を抜けると・・・

スパイスカフェ3
古い木造アパートを改築した、まさにしゃれおつな、それでいて和み空間に。入口では、あれ靴脱ぐのかな、なんて懐かしい感じ。

何となく京都を思い出した。京都には、歴史と生活の営みとが、敬意を持って密接に結びついている。三条通りのあの感じだったり、高瀬川沿いの感じだったりがとても好きだった。

イカウイイさん
そして中に入ると、リハーサルが始まっていた。「音うるさくないですか?」とか「あついですね」とかコミュニケーションをとっているイカウイイさん。ビールを飲む。厨房ではカレー弁当のいい香り。注文しなかったことを後悔。二つの部屋はすでにほぼ立ち見。コンサートが始まると、人はさらに増えてくる。その数60人くらい? ご近所さんと思しき人がたくさん。
そしてコンサートは、とてもよかった。最初のコンサートがイカウイイさんのコンサートでよかったと思う。そのウエルカムさに(そしてビールに)、一気に心がほぐされていく。みると、かなり年配の女性が、体をゆすったり、笑い、手を叩き、そして涙している(特に後半の日本語の歌『サクラフブキ』は、聴き手の心をぐっと掴んでいた!)。幸福感に満ちた音楽は30分をとても短くし、はじまりと同じように自然に終わった。そして僕も、すっと馴染むことができたような気がしてきた訳です。

墨田ぶらり下町音楽祭レポート ?押上文花町内会倉庫での衝撃の30分?につづく)

[image/air_ : 細越一平]

おすすめの音楽→
 Morton Feldman: Patterns In A Chromatic Field: Arne Deforce(Vc)大宅裕(P)
 →大宅裕さん出演の<テッセラの春音楽祭>は今週の金曜日(15日)です!

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<新しい耳>テッセラの春・第4回音楽祭関係

2009年05月12日 02:14

<新しい耳>テッセラの春・第4回音楽祭もあと1週間を切りました!

今回は出演者の方のウェブサイトなどリンクしましたので、ご参考までにどうぞ。


廻由美子さん http://www.allegromusic.co.jp/MeguriYumiko.htm

原田敬子さん http://www.tokyo-concerts.co.jp/index.cfm?lang=jp&menu=artists.011

大宅裕さん Oya Piano Duo Official Blog

鈴木俊哉さん http://www.tosiyasuzuki.com/

菊池奈緒子さん http://www.naokokikuchi.com/

中澤沙央里さん

富永佐恵子さん http://www007.upp.so-net.ne.jp/saechiccello/diary/index.html

友光雅司さん http://masashitomomitsu.web.fc2.com/

山根孝司さん http://www.concertrex.jp/artist/profile.htm

野口千代光さん http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%85%89

宮坂拡志さん


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墨田ぶらり下町音楽祭に行ってきた1。

2009年05月11日 00:39

墨田ぶらり下町音楽祭に行ってきた。


たくさんの笑顔に溢れた演奏会の数々で、こちらまで嬉しくなった。
初めはすこし門外漢のような感じがして気後れしそうになったが、素敵な音楽とそこに集まっている人たちの和気あいあいにほだされた。そして会場を回っていくうちに、これは「凄い時間に立ち会っているのかもしれないぞ」と思うようになった。それも、気負うのではなく、純粋なワクワクした気持ちで。


倉庫

何枚か写真に収めたのだが、そのなかではこの写真が一番この音楽祭を表していると思う。

音楽は、すごい。
それは言葉を介さず人と人を繋ぎ、個人的な思い出と記憶と感情を繋ぎ、ありとあらゆる人間の感情を歌い、時に時間すら飛び越える。
音楽は本来日常に寄り添い、人間の営みに彩りを与えてくれる。それでいて日常の生活では掬いとれない気持ちの間隙を埋めてくれる。音楽が遠く日常から切り離されたわれわれは、実はなんと不幸なことだろう? 
音楽は、さっきまでごくありきたりだった事柄を、まったくありきたりではない景色に変えてしまう。
音楽が空気を震わせたあとでは、その場はそれ以前とは全く異質な風景となる。それは聴き手にも言える。聴き手が<体験>として音楽を通り抜けたあとでは、その存在自体が、より豊かに、潤いと感動をもって生まれ変わっていることに気付けるはずだ。


墨田ぶらり下町音楽祭は、たくさんのひとびとに見守られながら、そのようなことを改めて、僕に投げかけてくれたような気がする。それに付随して、様々な問いも。それに関しては追々。

倉庫5

なんだか、心と脳みそのラジオ体操のような時間だったかも。↑は押上文花町会倉庫にしまってあったラジオ体操の看板。
これから何回かに分けて、その素敵なラジオ体操の時間をレポートしていきます。



[image/air_ : 細越一平]

 Morton Feldman: Patterns In A Chromatic Field: Arne Deforce(Vc)大宅裕(P)

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隅田ぶらり下町音楽祭に行ってきた。

2009年05月10日 18:09

いってきました!

素晴らしかった?


そしてカレー弁当は糸引くおいしさ!


とにかく素敵な「音楽体験」でした。


詳細はのちほど…とりあえずありがとうございました?!



『東京タワー』を観た(泣いた)、母の日、明日は友人の結婚式。

2009年05月08日 23:24



テレビで『東京タワー』を観た。
初めて観た。


僕も母親に育てられた。
まだ、親孝行もロクにできていない自分の今を想い、
だからこそ長生きしてほしいと思う。
まだそんな年ではないけれど。
祖父も祖母も。



もうすぐ母の日が来て、その次の週には母の誕生日が来る。
 (らしい。実は去年覚えた)
今年は何か、贈ろう。手紙でも、書こうかな。



明日は中学からの友人の誕生日。
心を込めて祝おうと思う。


[image/air_ : ほそこしいっぺい]


Morton Feldman: Patterns In A Chromatic Field: Arne Deforce(Vc)大宅裕(P)

2009年05月08日 03:40


Arne Deforce gave an intense and rock steady performance of Zimmermann’s extremely difficult cello part, into which Yutaka Oya delicately intertwined the piano part in the most subtle way. In Barrett’s piece their duo playing grew even closer, navigating between moments of fascinating sensual splendour of sound and outbursts of swirling virtuosity, to which the electronic part (handled by the composer himself) aptly added an adequate dimension. This composition is without any doubt a masterpiece that applies a firm 21st Century update to the classical cello sonata.The enthusiastic audience was offered as an encore Morton Feldman’s Durations II, a moment of musical serenity, succeeding in marvelously catching in merely a few notes the atmosphere for which Rihm had been looking in vain in his Astralis.


今年4月10日付のDe Standaard紙に掲載された、Maarten Beirens氏によるコンサート批評英訳の抜粋(Oya Piano Duo Official Blogより転載)。

コンサートのプログラムはこちら→NACHT UND TRAUME in Concertgebouw Brugge

記事で絶賛されているチェロのArne Deforceさんとピアノの大宅裕さん。アンコールで演奏された"Durations ?"も収録しているCDが、先月リリースされている。

Morton Feldman: Patterns In A Chromatic Field: Arne Deforce(Vc)大宅裕(P)


Patterns in a chromatic field (1981)
Projection ?(1950)
Compisition 8 little pieces (1950) - 世界初録音
Intersection ? (1951)
Duration ?(1960)

88分に及ぶ"Patterns in a chromatic field"では、極度に緊密な空気の中で、音はある時はざらついた触感で、ある時は篝火に覗く能面のように響く。時間は一定の歩みを止め、聴き手を別の次元へといざなう。作品自体の強度が、それに堪えぬく演奏の質と作品に寄せる共感によってさらに高められている。

ちなみに、Aeonレーベルから発売されたこのCDは、現代音楽芸術に貢献した出版物やCDなどに贈られる、長い歴史と権威のある賞である、l'Académie Charles Crosによる"COUPS DE COEUR MUSIQUE CONTENPORAINE 2009"にノミネートされた。
Sélection printemps 2009 ( Les disques, les commentaires, les extraits sonores... )
↑しかし!このページからリンクされているフェルドマンのCDは別の演奏家によるものでは・・・!
Retrouvez les Coups de Coeur Musique Contemporaine printemps 2009 (nécessite Acrobat Reader) 一応クレジットも、PDFもDeforce+Oyaですが・・・さすがフランス人。ラテン系。

15日のテッセラの春音楽祭では、大宅裕さんは原田敬子、ウストヴォルスカヤのピアノ作品、ケージのトイピアノ作品を独奏する他、ユン・イサン、ベルクの室内楽にも登場します。ヨーロッパで数々の作曲家と共同制作を行っている大宅さんから、私たちの耳にどのような音が届くのか、とても楽しみです!

大宅裕さん、さおりさんのピアノデュオ公式ブログはこちら
Oya Piano Duo Official Blog

テッセラの春第1夜詳細はこちら
<新しい耳> テッセラの春音楽祭続報? 第1夜 <原田敬子の耳?直感力?>

まだ若干残席あるとのことです! お早めにお問い合わせください!

[image/air_ : 細越一平]

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墨田ぶらり下町音楽祭から。

2009年05月07日 00:41

再び、墨田ぶらり下町音楽祭

巡り合った言葉を少し。声掛け人のわたなべさんの言葉と、天真庵さんのブログからひかせていただいた。



ずっとこういう面白いコンサートが日本でできると 良いなあと考えていました。
それがやっと実現しました。



利害得失ではなく、「こんなことをしたら楽しい」と思う人たちが、
昔やった「はないちもんめ」みたいに、横に手をつなげて、やさしさ
を広げていけば、「勝ってうれしい・はないちもんめ」よろしく、新しい
未来が開けていけるのではなかろうか。



スポンサーや助成金もうけず、有志で「いい音楽をこの街で楽しみたい」
という「思い」で始めたものだ。でも「お手伝いしたい」という人もたくさん
手をあげてくれたり、いい感じの「和」がひろがってきている。
「精神的文化力」のある町・・・そんな町が近所にあったら、そんな町に
住めたらいい、と、日本人ならみんな思うのではなかろうか?
そんな人たちが、動き出したら、どんな町でも、そんな町になる。
当日券も用意しているので、「!」と感じれる人は、遊びにおいで!



むこうでは音楽家自身がやりたいことをやるのが普通ですから
少しでもみんながhappyになれるコンサートが出来たらいいなあと思います。


♪♪♪ ♪♪♪

ふらりと気軽に立ち寄りたい。
そんな 自然な微笑みを生んでくれそうなお祭りになりそう。



[image/air_ : 細越一平]

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墨田ぶらり下町音楽祭続報♪

2009年05月06日 18:03

以前にこのブログでもご紹介させていただいた、墨田ぶらり下町音楽祭の開催が、5月10日と迫ってきました!

各会場の演奏家が決まったようなので、詳細をアップさせて頂きます。



現代音楽ブース
佐藤 佳子(ヴィオラ奏者 桐朋学園大学卒 ベルギー王立ブリュッセル音楽院卒)
橋本 晋哉(チューバ奏者 エリザベート音楽大学 フランス国立パリ高等音楽院卒)

オペラブース
吉川 真澄(ソプラノ歌手 相愛大学卒 桐朋学園大学研究科修了)
愛甲 雅美(ソプラノ歌手 武蔵野音楽大学卒)
鈴木 奈津子(ピアニスト 東京芸術大学 エリザベート音楽大学院修了
       ベルギー王立ブリュッセル音楽院卒)

バロック音楽ブース
安藤 由香(リコーダー奏者 東京芸術大学卒)
長久 真実子(チェンバロ奏者 東京芸術大学卒、同大学院修了)
山本 徹 (チェロ奏者 東京芸術大学卒 同大学院修了)
渡辺 佳代子(大阪芸術大学 ベルギー王立ブリュッセル音楽院卒)

ジャズブース
パティオ イカウイイ(インターナショナルシンガー 国際国連親善大使)



ベルギーの現代音楽祭<アルスムジカ>にインスパイアされたこの音楽祭、前売りは全て完売、当日券も残りわずかとのことですので、お問い合わせはお早めに!
ただ、立ち見もありとのことですので、商店街を歩いていたらふと音が聴こえるなんて体験も素敵かもしれませんね!


向こう(ヨーロッパ)では音楽家がやりたいことをやるのが普通、ということですが、日本でそれをやるにはたくさんの障壁が沢山あります。そういったものを乗り越えて(もしくはその過程で)、とてもたくさんのひとの想いの集まった音楽祭になりそうです。

また後ほどアップします。

それでは。


[image/air_ : 細越一平]

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<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>に考える?

2009年05月06日 02:15

<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>に考える? から続き。


<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>にちぐはぐな印象を持つのは、LFJが単体として大きくなりすぎている事からくるのかもしれない。ゴールデンウィークにLFJに足を運んだ聴衆が、クラシック音楽の明日の聴衆となりえるようには思えないし、主催者がそのような行動も取っていないように思える。それが正直な感想。


演奏家は確かに例年一流だ。(香港シンフォニエッタは、技量は一流ではないが、本気の演奏なだけに感動を与える)

しかし、1公演あたりの料金設定が、特に集客の大きいホールのコンサートのものが軒並み上がっていることは、あまり語られない。4000円という価格設定は今年からだ。5000人収容のホールの値段こそ、逆に下げるべきではなかろうか。もちろん上の記事にあるような興行的背景がそこにはあるのだろうが、どうしても「客が来るのだからあげてしまえ」的な気配もする(その方向でやってきた音楽事務所がついているから?)。それでも今回は『メサイア』が変更になった。会場にははっきりと<経済的な理由>とあった(公式サイトにもニュース掲載)。その団体は来日し、LFJにも参加すると言う。何があったのかはわからない。 

ナントでのLFJでは、最大の収容人数で1900席。タリフ(価格表)を見ると、編成が大きくなったり著名であると25ユーロという設定があるが(2回だけ30ユーロもある)、目につくのは7ユーロから1ユーロの催しの多さである。一方、日本の有料公演は1500円から。1500円から2000円が最も多い価格帯だ。時間の切り売りではないが、45分の演奏で1500円であると、コストパフォーマンス的にも安いとは言えない。普通、2時間強のコンサートを3000円から4000円で開催している演奏家がほとんどの状況なのだから。

LFJは今年、3日間に規模を縮小したとはいえ、総事業費として6億円以上もの費用がかかるという。クラシックの音楽祭としてかなり大がかりなものだ。ちなみに、20日間ほどの期間開催される松本のサイトウ・キネン・フェスティバルの昨年の事業費は7.8億円である。立地特性や演奏者の数、公演数など、一概に比較対象にはならないとはいえ、LFJの規模の大きさが伺えよう。
もちろん助成のシステムに関しては仕方ない。ヨーロッパと日本ではもとから異なっている。LFJに公的助成を出すのであれば、もっと草の根的な文化事業にカネを出したほうがいいことはみな知っていることだ。

もしかしたら、前述した<ちぐはぐさ>は、LFJ単体での収益にこだわった結果かもしれないし、上のようなプロモーション・モチベーション・マネジメントなど、別な理由があるのかもしれない。

もしかしたら、が続くが、ひとつひとつの公演では、マルタン氏の言うところの<奇跡>が起きたかも知れない。しかし、僕には明日に続く<希望>は見いだせなかった。

少なくともLFJには一過性のイベントになってほしくなかったのだ。けれども今回の音楽祭は、GWの終わりとともに忘れられてしまうような類の感が否めない。ある意味では特別で、ある意味では特別ではなかった。だから、日常に楔を打ち込むまでにはいかない。<体験>として残らない、そんな<消費>されてしまったイベントになってしまった気もする。同時に、様々なことを考えるきっかけを与えてくれた。

<熱狂の日>を、来年も迎えられますようにと願っている。


[image/air_ : 細越一平]

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<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>に考える?

2009年05月06日 02:10

<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>に考える? から続き。


<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>(以下LFJ)で今年バッハをテーマにしたことに、ルネ・マンタン氏はこう書いている。
(ちなみにLFJがバッハを取り上げたのは2度目。「バッハが時空を超えて帰ってくる!」というキャッチは、日本で合わせて考えたのだろうが、何となく不思議)


実は昨年、一昨年と来場者アンケートでもっともテーマ作曲家としてリクエストが多かったのが、バッハでした。日本での知名度の高さを実感しましたが、しかし本当にバッハやバロック音楽が日本に浸透しているかと言うと、まだ一部の愛好家のものというのが実情なのではないでしょうか。


茂木健一郎は、『全ては音楽から生まれる』のなかで、「クラシック音楽は、社会の中で「エリート」と呼ばれるような限られた人たちが楽しむもの、といった印象があります」と述べている(茂木のなかでは自分も「エリート」に入るのだろう、)。逆にマルタン氏は、日本ではクラシック音楽がポピュラーな人にもずいぶん受け入れられている、と述べている。もちろんこれは、クラシック文化圏外では、という留保をつけた方が良いだろう。

上に引用した文章で、「バッハやバロック音楽が」という言葉を「クラシック音楽が」と変えても、違和感はない。


JBPressにこのような記事があった。昨今の経済事情に照らしながら、LFJという興行を、収益や経済効果、そしてクラシック市場に与える影響などを好意的に見ている。

クラシックも価格破壊?
ラ・フォル・ジュルネが夢見る芸術のあり方
2009年04月06日(Mon) 杉田 義博


確かにイベントとしては着実に成功しているように思えるLFJ。しかし、それがクラシック音楽市場に影響を与えるかと言うとどうなのだろう。いろいろな場所で観ることできるマルタン氏の言葉は今、この音楽祭に生きているのだろうか。眺められるだけの壺になってはいないか。今年のLFJに、さらにその想いを強くした。違和感というか、全体を通した不自然さ、ちぐはぐさがあるような気がするのだ。
それには様々な要因が重なり合っている。

GWの風物詩的プロモーションは果たして適切なのだろうか? 
アンバサダーは必要なのか(茂木健一郎はいつの間にかバッハを「一番好きな作曲家」としてマスコミに語っていた。『全ては音楽から生まれた』の時は翌年のLFJがシューベルトだったためかほとんど触れていなかったと思いますが?)? 
東京国際フォーラム、並びに丸の内地区のブランディング機能の一部になり下がってはいないか? あのポップなポスターは(ちなみにナントの公式サイトはこちら。バッハの帰還は至極当然という出で立ちである)? 
当日券のほとんどない状況を作り出したシステムは、実は祭りのサプライズ的な祝祭性を失わせてはいないだろうか?

熱を冷ましているのは、スタッフにも要因があるかもしれない。LFJの公式ブログは、一般性であるとか若い人の視点であるとかを意図しているのだろうが、あの方向性一本というのは賛否両論あろう(僕にはミスマネジメントにしか思えないのだが、2日目以降からは路線変更になっているようだ)。
会場スタッフにも、何となく覇気というか、気概が感じられない。テレム・カルテットの公演では、ボランティアなのかそれにしてもあまりにも拙い通訳、4日の公演では、本番中にステージ袖で翌日の譜面台を組み立てる騒音が響き続けたという(ニュースにて謝罪があった)。そしてスポンサーサイドからの人員は休日出勤(お疲れさまですの印象)?

マルタン氏は「私たちはいわば、人の心の中に一生残り続ける、素晴らしい思い出を建てようとしているのです」と語る。素晴らしい理念だと思う。しかし、この想いは、果たしてこの「何度目かの音楽祭」において全員に共有されていただろうか?


<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>に考える? に続く。

[image/air_ : 細越一平]

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 <ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン>に考える?

吉松隆さんのブログに思う、魚座の音楽論、ファジーバード・ソナタ。

2009年05月06日 01:20

吉松隆さんという作曲家に惹かれてきた。

吉松隆交響曲工房

田舎育ちの高校生だった僕にとって、福島まで行って聴いた須川展也さんの演奏する『ファジーバード・ソナタ』は、原点とも言える作品だった。僕は興奮し感動し、その音楽の<語ろうとしても語りきれない言葉>に耳を澄まそうとした。山形では当時CDも楽譜も手に入らず、カメラ―タから出ていた作品集を仙台まで買いに行ったりしていた(それを考えると、今のこのネット文化は感動もの・・・今日ついに花畑生キャラメルを注文してしまった笑)。
『プレイアデス舞曲集』を拙いピアノで弾き、サックスに編曲した。『3つの白い風景』の美しさ、『交響曲第1番』の拡がり、『朱鷺に寄せる哀歌』の刺すような哀しみ(崩れ落ちるポルタメントは哀しみの絶景だ)、『鳥たちの時代』の輝かしさ、『交響曲第2番』の荘厳さetc. 吉松隆という作曲家は、まさしく僕には青春だった(もちろん今もまだ青春でありたい!)し、その音楽は常に僕のマイルストーンだった。憧れであり、今われわれが<語ろうとしても語れない言葉>を顕わす音楽であったとも思う。『サイバーバード協奏曲』の終楽章や『デジタルバード組曲』、『鳥の形をした4つの小品』、そして先に挙げた『ファジーバード・ソナタ』には、確かにそのイカロスのような叫びがある。
しかしここ数年、僕にとって吉松作品は多くを語らないものとなっていた。そして今日、5月4日のブログ 8分音符の憂鬱 の記事を読んだ。

新緑の音符

新緑の木々を下から写した写真に対して、吉松氏はこう書く。

 昔は←こういう景色を見ると、枝が五線譜・葉が音符に見えて、頭の中にきらきらと音が鳴り始めたものだけれど・・・今はそういうこともなくなった。


著作『魚座の音楽論』には、このような(結構有名だと僕は思っている)文章がある。そしてこの文章は、今の僕にとっては幾ばくかの励ましだった。

 なにしろ音楽というものがあまりにも素晴らしいので、せっかく生きているのだからせめて美しい音楽のひとつも書いてからのたれ死ぬのも悪くない、とそう思って作曲を始めた。

 大学は途中でやめ、今から思うと背筋の寒くなるような不毛な生活をしばらく送るはめになった。なにしろ独学だから当然といえば当然なのだが、書いても書いても呆れるほどどの曲ひとつとして音にならない日々が七年間ほど続いた。
  窓の外で四季がゆったりと回転しているのがわかった。初めは絶望し、深海の底から星を見ているような気分が続き、後にはその見事さに深夜一人で笑い転げた。

 そんな生活を送っていると、逆に、演奏されないような音楽を書いていても殺されもせずにとにかく生きていられるということが、それはもう感動的に思えてきた。
  そしてある朝、神が言い給うた。
 - 幸いなるかな、演奏されない音楽の作曲者よ。音楽は汝のものなり -
 後光が眩しかった。


独特なユーモアで、しかし希望を見出せないままに過ごしていたその時間は、それでいて音楽は鳴り響いていたのだろう。

先のブログはこう続く。


 音楽は世界のすべてで出来ているかも知れないけれど、
 世界のすべては音楽で出来てなんかいないよ。

 …生意気な木がそう言う。
 分かってるさ。そんなことは。


そして僕のなかで吉松隆さんは歴史の人になった。
モーツァルトもバッハもシベリウスもジョン・レノンもジム・モリソンも歴史の人だ。音楽は更新されず、しかしそれに触れることはできるのだ。それは簡単なことで、要は僕のなかでスイッチを切りかえればいいのだ。新しく生まれてくるという希望を捨てればいいと言うことだ。

新緑は、雨が上がれば、また青さを増すだろう。


[image/air_ : 細越一平]

関連した記事
 音楽ノート1
 白い風景 吉松隆
 朱鷺(トキ)に関するニュースを2つ、吉松隆、「朱鷺に寄せる哀歌」。

ギルト・グループ(www.gilt.jp)に登録してみた、クラシック興行の空席について。

2009年05月05日 23:06

以前にimage/air_BLOGで佐藤が注目していたギルト・グループを、「ガイアの夜明け」が特集している。

関連した記事はこちら
 →www.gilt.jp(3月13日)

3月の売上は2千万円ほどだったらしい。日本での会員数はすでに10万人を突破しているとのこと。創業者はハーバード出の二人の女性。才色兼備。そのアイディアはまさに強気かつ合理的。

この期に応じて、会員登録してみた(あくまでも後学のため)。
送料すら負担しないそのスタイルに感動。



佐藤はギルト・グループに関してこのように書いている。

ネットショップの「売上方程式」なるものがある。

  売上 = アクセス人数 × 転換率(購買率) × 客単価

売上は上記3つの要素の掛け算であり、どの要素が強いのか弱いのかを分析し、手を打っていくことで効率的に売上を上げていくことが出来る。

 ・ ・ ・ ・ ・

GILTの場合。
おそらく、「転換率」が他のブランドネット通販よりもかなり上の数値を記録するだろう。
理由は、価格の安さではなく、「限定感」である。

転換率が高いネットショップのページにはいくつかの共通点が見られる。
「刺激的であること」、「限定感があること」、「信頼感があること」。

「刺激」についてはわかりやすいと思う。GILTの場合は、「衝撃的な安さ」である。
しかし、ただ安いだけでは消費者は買わない。なぜかと言えば、疑わしいから。
なぜそんなに安いのか、きちんと納得出来なければ購入には至らない。これが「信頼感」の部分。

そして「限定感」について。GILTでは、3つの「限定感」を演出している。
・「セール期間は36時間で、お買い上げは先着順=在庫限り」であること(時間と数量の限定感)
・「招待制」であること(人の限定感)

 ・ ・ ・ ・ ・

会員制小売ビジネスで日本で成功した事例はまだなかったはず(たぶん)。
GILTがどのような成果を見せるのか、これから注目していきたい。



供給側の過剰、という点においては、クラシックの興行主のほとんどが頭を悩ましているところである。加えて、衣類と違うのは、在庫という概念がないことだ。興行日までに売れなければ、チケットはすべて紙切れになる。コンサートホールの空席は、その翌日に埋まることはないのだ。そういった意味では、生鮮食品よりも扱いが難しい。

ギルト・グループの日本法人は、今期中に10倍以上の売り上げを目標にしていると言う。

この数か月、この売れ残りチケットに関しての施策を考えている。image/air_で事業化するために。
それについての一助になればいいと思っている。


image/air_ : 細越一平]



クリエイティブ・コモンズの概要、CCライセンスに基づき転載。

2009年05月05日 09:00

クリエイティブ・コモンズに関して、まずはそのライセンス(CCライセンス)について説明している図表を。




Producer: Creative Commons
Director: Creative Commons
- Animation + Design: Ryan Junell (junell.net)
- Music + Sound Design: Lesser (LSR1.com)
- Narrator: Sara Kraft (kraftpurver.com)
- Script: Eric Steuer (creativecommons.org)
 
リンク先はWanna Work Together? (CC)

これは<表示>というCCライセンスに基づいて転載した。



[image/air_ : 細越一平]

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  ON CLASSICAL、クリエイティブ・コモンズ、JASRAC、日本の著作権事情に思う。


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